昔から、といっても自分が学生だった頃であって、彼らが活躍していた時代からは随分と後のことだが、スモール・フェイセスは好きなバンドで、しかしその頃は正規にリリースされたアルバムと言うのが判然とせずまた容易に手に入らず、代表的な曲がほぼ網羅された企画編集版のLPレコードを1枚だけ持って聴いていた。尤も、1970年代後半から80年代、60年代イギリスのバンドでオリジナルのアルバムが簡単に入手できたのはビートルズやストーンズぐらいで、他の60年代のバンドのアルバムをきちんと揃えるのは難しいことだった。ベスト盤かアメリカ編集盤しか売られていないなんてことは普通だったのだ。
と言っても、彼らの正規のアルバムは、デッカからの、66年のデビュー盤「Small Faces」1枚、そしてわずか1年で移籍したイミディエイト・レーベルからの、紛らわしい同じ名前の「Small Faces」(よってオンラインショップなどでは「Immediate」と注釈が付いている)と、高名な「Ogden's Nut Gone Flake」の2枚で、あとはどれも企画盤のようだ。
今回はこのImmediateでの2枚を一緒に入手した。もう一枚ボーナスディスクらしきものを加えた3枚組みのボックスセットもあるようだが、音質など余り評判が良くないのでパスしたものの、結局中身は同じだったりするのかも知れない。
「Small Faces(Immediate)」の方はデビュー(?)35周年の記念盤だそうで、2枚組みになっている。オリジナルのステレオ版とモノラル版の2枚、各々にボーナストラックが納められているが、ほとんどは本来の曲と同様、同じ曲のステレオ版とモノラル版。2曲ほど別の曲というか別テイクが収録されている。ステレオかモノラルかだけの違いを無いものとすると、ラジオCMのようなサンプラー音声を別にして計26曲になる。
「Ogden's Nut Gone Flake」は30年ほど前に友人のお兄さんが持っていたのを聴いたような気がするが自分では持っていなかったので記憶は無いに等しい。こちらは1枚だが、オリジナル12曲に対してボーナストラックが14曲とたっぷり入っている。ザ・フーの「セル・アウト」、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」、ストーンズの「ゼア・サタニック・マジェスティ-ズ・リクエスト」等と同様、ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」の影響で生まれた、いわゆるコンセプト・アルバムのはしりのひとつだ。
2作通して聴くと、やはり大成出来なかったバンドらしく、楽曲の出来にムラがある。良い曲はとことん良いが、それ以外はそれなりだ。同じようなフレーズを少し変えて使い回しているように思える節もある。ヴォーカルは素晴らしいし、イアン・マクレガンやケニー・ジョーンズといった腕のいいプレイヤーがいはしたものの、ソング・ライティングというかメロディーメイキングというか、曲作りの才能において、同時代から抜きん出ることが出来なかったのだろう。それでもヤードバーズよりは随分と優れているけれど。
2011年12月30日金曜日
2011年12月29日木曜日
開高健の「耳の物語」。
「破れた繭」、「夜と陽炎」の2作に別れていたものを、一冊にまとめた文庫。「音」によって自らの生涯を語ってみようと言う試み。「味覚」や「触覚」なら兎も角、開高先生と音、即ち「聴覚」と言う組み合わせは、何だか物珍しく感じられる。
最初のうち、いつもと違う文体で戸惑う。晩年に差し掛かっての自伝小説、しかも「音」を媒介に書いていこうと言うので失礼ながら手探りで進んでおられるようだが、徐々に乗ってこられると、だんだんといつもの開高健らしくなって来る。蓮の花の開く音、空襲警報、焼夷弾の落下音、アイヒマン(だったか?)裁判の同時通訳、ベトナムの戦火の音、モーツァルトのジュピター、娘さんの鼻歌、アルビノーニのアダージョ、その他もろもろ。しかも、結局は「音」だけでなく、書物や食べ物やらにもやはり触れずにはおられぬようで、幼年期から、初老に至るまでの味覚や触覚や視覚、あれやこれやがちりばめられている。
最初のうち、いつもと違う文体で戸惑う。晩年に差し掛かっての自伝小説、しかも「音」を媒介に書いていこうと言うので失礼ながら手探りで進んでおられるようだが、徐々に乗ってこられると、だんだんといつもの開高健らしくなって来る。蓮の花の開く音、空襲警報、焼夷弾の落下音、アイヒマン(だったか?)裁判の同時通訳、ベトナムの戦火の音、モーツァルトのジュピター、娘さんの鼻歌、アルビノーニのアダージョ、その他もろもろ。しかも、結局は「音」だけでなく、書物や食べ物やらにもやはり触れずにはおられぬようで、幼年期から、初老に至るまでの味覚や触覚や視覚、あれやこれやがちりばめられている。
2011年12月28日水曜日
マゼールのシベリウス2番など。
12月28日、大阪市街地に出る用事があり、電車の中でシベリウスの交響曲第2番を。これでマゼールとピッツバーグ響のシベリウス全集を聴き終えることになる。マゼールは昔デッカでシベリウス全集を残しているが、ピッツバーグ響と2度目の全集録音を行って、非常に満足していたと、全集の紹介では語られている。
前の全集は聴いていないから比較はできないが、ゆったりとしたテンポでスケールの大きいフレージングを雄雄しく表現しており、5番、6番もだが、何より高名な主題を含む2番の終楽章では、ボーっと身を委ねていると行ったことも無い北欧の風景を感じられるような気がしてくる。
帰りはいよいよ最後にとっておいたクリーブランド管とのベートーヴェン全集へ。
まずは交響曲第1番。ぎゅっとエネルギーが詰まったような録音で、このコンビの「英雄の生涯」と同様、冒頭からはっとさせられる。まだ古典派の交響曲そのままと言った感じで、余り面白いと思わない1番だが、スピード感、力感に満ちて、あれよあれよと聴かされてしまった。
年代による指揮の違いもあろうし、オケの違い、録音場所の音響特性の違いもあるわけだが、クリーブランド時代のマゼールと言うのはやはり凄かったのだなと思い知らされた感がある。
前の全集は聴いていないから比較はできないが、ゆったりとしたテンポでスケールの大きいフレージングを雄雄しく表現しており、5番、6番もだが、何より高名な主題を含む2番の終楽章では、ボーっと身を委ねていると行ったことも無い北欧の風景を感じられるような気がしてくる。
帰りはいよいよ最後にとっておいたクリーブランド管とのベートーヴェン全集へ。
まずは交響曲第1番。ぎゅっとエネルギーが詰まったような録音で、このコンビの「英雄の生涯」と同様、冒頭からはっとさせられる。まだ古典派の交響曲そのままと言った感じで、余り面白いと思わない1番だが、スピード感、力感に満ちて、あれよあれよと聴かされてしまった。
年代による指揮の違いもあろうし、オケの違い、録音場所の音響特性の違いもあるわけだが、クリーブランド時代のマゼールと言うのはやはり凄かったのだなと思い知らされた感がある。
2011年12月27日火曜日
今年最後の通勤もマゼールを聴きながら。
12月25日は休日だが街に出たので行き帰りにマゼールのシベリウスを聴いていた。
「フィンランディア」「カレリア組曲」「悲しきワルツ」「トゥオネラの白鳥」、そして、交響曲第一番。
30枚組みセットでのシベリウスの録音は全てピッツバーグ響とのもので、録音時期は1990~92年。アメリカのオケにしては、歯切れや金菅のパリパリした感じに乏しく、響きがまろやかで、スモーキーというかちょっとくすんだ味もある。マゼールの指揮は、ウィーンフィルとの録音などと同様に少しゆったり目で、それらが相俟って、柔らかく、ふくよかに音楽が形成されていく。とはいえ、それで例えばフィンランディアの雄雄しさが損なわれたりはしない。
12月26日、朝はシベリウスの3番。比較的こじんまりとした曲だが、やはりゆったりと、しかし力強く、時には軽快に、聴き応えのある仕上がりだ。帰りは4番、晦渋と評される曲で実際その通りで、そこを何とかしようとしているような、温かい場面やゆったりとした場面はあるものの、やはり晦渋なままひっそりと終わっていった。
12月27日、今年の仕事納め。朝はシベリウスの5番。雄大なスケール感溢れる曲で、これこそ一連のマゼールの指揮が見事にはまっている。ゆったりと大きく、穏やかでありながら意気軒昂。惜しむらくはもう少し太鼓などの低音がくっきり前に出てきて欲しいが、そのあたりも含めて全体にまろやかな響きが功を奏している面もあろうから、トレードオフということで我慢すべきか。
帰りは6番。これも雄大で大らかで素晴らしい。
「フィンランディア」「カレリア組曲」「悲しきワルツ」「トゥオネラの白鳥」、そして、交響曲第一番。
30枚組みセットでのシベリウスの録音は全てピッツバーグ響とのもので、録音時期は1990~92年。アメリカのオケにしては、歯切れや金菅のパリパリした感じに乏しく、響きがまろやかで、スモーキーというかちょっとくすんだ味もある。マゼールの指揮は、ウィーンフィルとの録音などと同様に少しゆったり目で、それらが相俟って、柔らかく、ふくよかに音楽が形成されていく。とはいえ、それで例えばフィンランディアの雄雄しさが損なわれたりはしない。
12月26日、朝はシベリウスの3番。比較的こじんまりとした曲だが、やはりゆったりと、しかし力強く、時には軽快に、聴き応えのある仕上がりだ。帰りは4番、晦渋と評される曲で実際その通りで、そこを何とかしようとしているような、温かい場面やゆったりとした場面はあるものの、やはり晦渋なままひっそりと終わっていった。
12月27日、今年の仕事納め。朝はシベリウスの5番。雄大なスケール感溢れる曲で、これこそ一連のマゼールの指揮が見事にはまっている。ゆったりと大きく、穏やかでありながら意気軒昂。惜しむらくはもう少し太鼓などの低音がくっきり前に出てきて欲しいが、そのあたりも含めて全体にまろやかな響きが功を奏している面もあろうから、トレードオフということで我慢すべきか。
帰りは6番。これも雄大で大らかで素晴らしい。
2011年12月25日日曜日
「You Really Got a Hold on Me」について。
スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの代表曲であり、ビートルズのセカンド・アルバムにして個人的には最も好きな「With the Beatles」にカヴァー・ヴァージョンが収められており、こちらはジョンとジョージの掛け合いで尚のこと素晴らしい、兎に角類稀な名曲だ。タイトルは「You Really~」だったり「You've Really~」だったりするが、まあ、そんなことは置いておこう。
ゾンビーズの「Begn Here」のボーナス・トラックにもカヴァーが収められていて、これがまた後半でサム・クックの「Bring It on Home to Me」へのメドレーになると言うつくりでいかしている。
他にもいいカヴァーがありそうでYoutubeで探してみると、スモール・フェイセスも。
ソウル、R&B系のカヴァーも山ほどあるだろうが、このあたりの多少方向性の異なるイギリスのバンドが、それぞれカヴァーしていると言うのが面白い。長年聴き込んでいる分、またギターの音の太さがちょうど好ましくて、ビートルズ版が自分にはベストかなと思うが、それぞれ味があって良いものだ。
ゾンビーズの「Begn Here」のボーナス・トラックにもカヴァーが収められていて、これがまた後半でサム・クックの「Bring It on Home to Me」へのメドレーになると言うつくりでいかしている。
他にもいいカヴァーがありそうでYoutubeで探してみると、スモール・フェイセスも。
ソウル、R&B系のカヴァーも山ほどあるだろうが、このあたりの多少方向性の異なるイギリスのバンドが、それぞれカヴァーしていると言うのが面白い。長年聴き込んでいる分、またギターの音の太さがちょうど好ましくて、ビートルズ版が自分にはベストかなと思うが、それぞれ味があって良いものだ。
2011年12月24日土曜日
「処刑人」と「ハイランダー」のブルーレイディスク。
職場の若い人(といっても30過ぎているが)に言わせるとブルーレイの時代は来ないまま終わるのではないかと言うことだが、安物でも一応ハイビジョン対応の液晶TVで見ると、DVDの画質はつらい。SACDが再生できると言うことでそれを主目的に買ったSONYのBDプレーヤーで、HDMIで繋ぎ、アップコンバートと言うのか、画質補正をした状態で見てもやはりよろしくない。一方でブルーレイディスクのパッケージソフトは安くなっているので、どうせなら、そっちを買うべきだろうと思う。
先日妻が泉南タワレコの"2枚で2,980円"セールで「インセプション」と「処刑人2」のBDを買い、それはあまり真面目に観なかったのだが、数日後にムービープラスチャンネルで放映された「処刑人」の一作目のほうを観たらかなりつぼにはまったので、「2」があるのに「1」がないのも気持ちが悪いしと、BDを注文した。
ふとしたことでロシアンマフィアを殺してしまったアイルランド系アメリカ人の二卵性双生児が、留置場で神の啓示を受けて悪を滅ぼす処刑人となると言う、アメリカ版必殺シリーズみたいな映画だ。アイルランドっぽい音楽とパンクっぽいサウンドと銃撃音と祈りの言葉とイタリア人の仲間がやたらと口にするF**Kが入り乱れ、硝煙と血しぶきが漂う。マンガっぽいお話で何処かチープさが抜けきらず、しかしそんなところも荒削りな魅力へと昇華されている。で、「1」を観てから「2」を観るとなお面白い。ただ、「1」にはウィレム・デフォーがたっぷり出演しており、やりすぎとも思える芝居で主役の二人を食いつつもうまくフォローしていると言うか、絶妙の存在感で作品を引き締めつつ笑わせてくれている。その分出来が良いと個人的には思う。
ふとしたことでロシアンマフィアを殺してしまったアイルランド系アメリカ人の二卵性双生児が、留置場で神の啓示を受けて悪を滅ぼす処刑人となると言う、アメリカ版必殺シリーズみたいな映画だ。アイルランドっぽい音楽とパンクっぽいサウンドと銃撃音と祈りの言葉とイタリア人の仲間がやたらと口にするF**Kが入り乱れ、硝煙と血しぶきが漂う。マンガっぽいお話で何処かチープさが抜けきらず、しかしそんなところも荒削りな魅力へと昇華されている。で、「1」を観てから「2」を観るとなお面白い。ただ、「1」にはウィレム・デフォーがたっぷり出演しており、やりすぎとも思える芝居で主役の二人を食いつつもうまくフォローしていると言うか、絶妙の存在感で作品を引き締めつつ笑わせてくれている。その分出来が良いと個人的には思う。
今は次の作品を作ろうとしているようで、Facebookページで「3を作るかTVシリーズを作るかそれとも両方か、どれがいいですか?」などというアンケートをとっていたので「3」を作って欲しいと言う答に一票投じておいた。
もう一本、一緒に買うと割り引きになると言うので「ハイランダー」を。
途方も無い年月にわたり殺し合いを繰り広げている一団がある。首を切り落とされない限り死なない。互いに殺し合い、最後に残ったひとりには究極の宝が得られる。という伝奇物語。
主演はクリストファー・ランバートだが、師匠役のショーン・コネリーが最高に恰好良く、また、全編にクイーンの曲が流れまくるのが素晴らしい。公開当時理由は覚えていないがロードショーを観に行った作品で、とはいえ単純な物語なのでパッケージソフトを持っておくほどでもないかなと思っていたのだが、改めて観ると買ってよかったと思う。
途方も無い年月にわたり殺し合いを繰り広げている一団がある。首を切り落とされない限り死なない。互いに殺し合い、最後に残ったひとりには究極の宝が得られる。という伝奇物語。
主演はクリストファー・ランバートだが、師匠役のショーン・コネリーが最高に恰好良く、また、全編にクイーンの曲が流れまくるのが素晴らしい。公開当時理由は覚えていないがロードショーを観に行った作品で、とはいえ単純な物語なのでパッケージソフトを持っておくほどでもないかなと思っていたのだが、改めて観ると買ってよかったと思う。
ちなみにどういうわけか律儀に続編「ハイランダー2」もロードショーを観に行ったが、これはもう、大失敗だった。無かったことにすべきだと思う。
2011年12月23日金曜日
マゼールのリヒャルト・シュトラウス。
マゼールとバイエルン放送響との一連のリヒャルト・シュトラウス作品群から、12月20日の朝は「ツァラトゥストラかく語りき」を。
昔々、オーディオ趣味からクラシックを聴く様になったばかりの頃、バーンスタインのショスタコーヴィチの5番などとともに、最新のデジタル録音レコードとして、メータ指揮のこの曲が発売されていた。1980年か81年か。確か同じ頃にこの曲の冒頭部分を使ったあの高名な「2001年宇宙の旅」のリバイバル公開を観に行っていた事もあって、ショスタコーヴィチではなくこちらを選び、しかし当時の感性では冒頭部分ほどのドラマティックな展開がその後無い構成は退屈で、愛聴には至らなかった。
今は、モチーフの再現など全体を通して面白みを感じることが出来るようにはなったが、それでもタコさんやマーラーにどっぷり浸かった身には、ちょっと物足りない。
帰りは宴会の後で少し酔った状態で「アルプス交響曲」。ウインドマシーンという変な道具で風の音を再現したりするという妙な曲だが(そんなことを言うとマーラーの6番のハンマーも大差ないのかもしれないが)、さらにこの録音では雷鳴をテープかなにかで再生している。効果としては良いのだろうがやりすぎな気もする。
12月21日の朝は「家庭交響曲」。邦題のせいかもしれないがどうも意味不明というか何がしたかったのだろうと思ってしまう曲だ。しかしながら曲そのものは派手でメリハリが効いており、マゼールらしいと言うか聴かせどころをしっかり押し出してくる演奏も面白い。表題などつけずに純音楽として聴いた方がよいのではないかと思える。
帰りは「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」。
翌22日の朝は「バラの騎士」組曲、帰りは「マクベス」。残るは「死と変容」だけになったので、家で聴く。どれもこれも物語を追って行くような曲で、見せ場と言うか聴かせどころをしっかりと押さえ、場面の転換、進行がダイナミックに演出されている点では良いのだと思う。録音も一連の曲と同様で文句が無い。しかし、どうも取り止めが無くて強く頭に残るものが無い。尤もこれは指揮や演奏ではなく曲そのものの問題だ。
これで聴き終えたのは以下。残り12枚。
Disc6:1812年など戦争もののうち、「ウェリントンの勝利」以外。
Disc7:ベルリオーズ「幻想交響曲」
Disc8:ドビュッシー管弦楽曲集
Disc9:グローフェ「グランドキャニオン」他
Disc10:ホルスト「惑星」は持っているのでおまけの「ボレロ」のみ。
Disc12:ラヴェル管弦楽曲集
Disc13:レスピーギのローマ三部作
Disc14:サンサーンス交響曲第3番他
Disc19-22:リヒャルト・シュトラウス作品集(バイエルン)
Disc23:リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」(クリーブランド)
Disc24-25:ストラヴィンスキー作品集
Disc26-28:チャイコフスキー交響曲4/5/6番+おまけ
昔々、オーディオ趣味からクラシックを聴く様になったばかりの頃、バーンスタインのショスタコーヴィチの5番などとともに、最新のデジタル録音レコードとして、メータ指揮のこの曲が発売されていた。1980年か81年か。確か同じ頃にこの曲の冒頭部分を使ったあの高名な「2001年宇宙の旅」のリバイバル公開を観に行っていた事もあって、ショスタコーヴィチではなくこちらを選び、しかし当時の感性では冒頭部分ほどのドラマティックな展開がその後無い構成は退屈で、愛聴には至らなかった。
今は、モチーフの再現など全体を通して面白みを感じることが出来るようにはなったが、それでもタコさんやマーラーにどっぷり浸かった身には、ちょっと物足りない。
帰りは宴会の後で少し酔った状態で「アルプス交響曲」。ウインドマシーンという変な道具で風の音を再現したりするという妙な曲だが(そんなことを言うとマーラーの6番のハンマーも大差ないのかもしれないが)、さらにこの録音では雷鳴をテープかなにかで再生している。効果としては良いのだろうがやりすぎな気もする。
12月21日の朝は「家庭交響曲」。邦題のせいかもしれないがどうも意味不明というか何がしたかったのだろうと思ってしまう曲だ。しかしながら曲そのものは派手でメリハリが効いており、マゼールらしいと言うか聴かせどころをしっかり押し出してくる演奏も面白い。表題などつけずに純音楽として聴いた方がよいのではないかと思える。
帰りは「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」。
翌22日の朝は「バラの騎士」組曲、帰りは「マクベス」。残るは「死と変容」だけになったので、家で聴く。どれもこれも物語を追って行くような曲で、見せ場と言うか聴かせどころをしっかりと押さえ、場面の転換、進行がダイナミックに演出されている点では良いのだと思う。録音も一連の曲と同様で文句が無い。しかし、どうも取り止めが無くて強く頭に残るものが無い。尤もこれは指揮や演奏ではなく曲そのものの問題だ。
これで聴き終えたのは以下。残り12枚。
Disc6:1812年など戦争もののうち、「ウェリントンの勝利」以外。
Disc7:ベルリオーズ「幻想交響曲」
Disc8:ドビュッシー管弦楽曲集
Disc9:グローフェ「グランドキャニオン」他
Disc10:ホルスト「惑星」は持っているのでおまけの「ボレロ」のみ。
Disc12:ラヴェル管弦楽曲集
Disc13:レスピーギのローマ三部作
Disc14:サンサーンス交響曲第3番他
Disc19-22:リヒャルト・シュトラウス作品集(バイエルン)
Disc23:リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」(クリーブランド)
Disc24-25:ストラヴィンスキー作品集
Disc26-28:チャイコフスキー交響曲4/5/6番+おまけ
2011年12月22日木曜日
ゾンビーズの「Begin Here」。
ブルーレイディスクを注文するついでがあったので、ゾンビーズのファーストアルバム「Begin Here」を頼んでおいた。偶然なのだが、アイルランド系が暴れる映画「処刑人」と、スコットランドにちなんだ「ハイランダー」のBD、そして、イングランドのバンドであるゾンビーズのCDがひとつの箱に入って送られて来ると言うのが、自分としてはちょっと面白かった。
アナログ時代に持っていたベスト盤で、ここに収められている曲の大半には親しんでいる。曲目を見れば、メロディが浮かんでくる。甘いボーカルとオルガンの利いたアンサンブルの素晴らしさは今更語る必要も無い。「She's Not There」や「Tell Her No」といった代表作はもちろん、「Indications」なんかおそらくちゃんと聴くのは20年振りぐらいだろうがやっぱり素晴らしい。
主要な曲のポップチューンとしての出来のよさは初期のビートルズよりも上ではないかとすら感じるところもある。何故早々に解散したのか、バンドとして長く生き延びて大成できなかったのか、どうにも解せない。
アナログ時代に持っていたベスト盤で、ここに収められている曲の大半には親しんでいる。曲目を見れば、メロディが浮かんでくる。甘いボーカルとオルガンの利いたアンサンブルの素晴らしさは今更語る必要も無い。「She's Not There」や「Tell Her No」といった代表作はもちろん、「Indications」なんかおそらくちゃんと聴くのは20年振りぐらいだろうがやっぱり素晴らしい。
主要な曲のポップチューンとしての出来のよさは初期のビートルズよりも上ではないかとすら感じるところもある。何故早々に解散したのか、バンドとして長く生き延びて大成できなかったのか、どうにも解せない。
2011年12月21日水曜日
ローレンス・ブロックの「やさしい小さな手」。
ローレンス・ブロックの短編集。ハヤカワミステリ文庫の、短編集ばかりのシリーズの一冊。
14編を収めており、うち何作かにスカダーが登場。並びとしては終わりの方に、スカダー登場作品はまとめられている。作中で時々名前が出てくるキャラクターの思い出話とか、ふむふむとうなずきながら楽しめる。それらの作品は何となくほっとするが、スカダーを知らない、といっても手にとるならミステリーファンだったりするだろうが、そういう人に勧められるかと言うと難しい気がする。情のもつれからの殺人や、猟奇殺人者のどうにも収まらない衝動とか、ちょっとダークなモチーフにフォーカスを当てた作品が多い。このあたり、好き嫌いが分かれるのではないかと思うのだ。
14編を収めており、うち何作かにスカダーが登場。並びとしては終わりの方に、スカダー登場作品はまとめられている。作中で時々名前が出てくるキャラクターの思い出話とか、ふむふむとうなずきながら楽しめる。それらの作品は何となくほっとするが、スカダーを知らない、といっても手にとるならミステリーファンだったりするだろうが、そういう人に勧められるかと言うと難しい気がする。情のもつれからの殺人や、猟奇殺人者のどうにも収まらない衝動とか、ちょっとダークなモチーフにフォーカスを当てた作品が多い。このあたり、好き嫌いが分かれるのではないかと思うのだ。
2011年12月19日月曜日
マゼールの「英雄の生涯」、その2。
バイエルン放送響との、リヒャルト・シュトラウス作品集は、30枚組みセットの中、4枚を占めている。RCAから4枚組みボックスセットで売られていたのと、そっくり同じもののようだ。
まず、驚くほど良かったクリーブランド管との録音と比較するつもりで、「英雄の生涯」から。
12月19日の通勤の行きで聴いた。
悪いわけではない。のびのびとしていて、おおらかな感じだ。ややまろやかな音だが、分離は良い。しかし、各パートの一体感に乏しいように思えてしまう。で、帰りは両方の録音を聴き比べたりしていた。これはもう、クリーブランド管との録音が良すぎるということにしておくしかないのだろう。
まず、驚くほど良かったクリーブランド管との録音と比較するつもりで、「英雄の生涯」から。
12月19日の通勤の行きで聴いた。
悪いわけではない。のびのびとしていて、おおらかな感じだ。ややまろやかな音だが、分離は良い。しかし、各パートの一体感に乏しいように思えてしまう。で、帰りは両方の録音を聴き比べたりしていた。これはもう、クリーブランド管との録音が良すぎるということにしておくしかないのだろう。
2011年12月18日日曜日
マゼールのレスピーギとベルリオーズ、そして「英雄の生涯」。
引き続きマゼールを聴いている。12月16日の通勤は、行きがベルリオーズの「幻想交響曲」で帰りがレスピーギの「ローマ」三部作。どちらもCDは持ってはいるがそんなにしょっちゅう聴かないから他の演奏と比較しての善し悪しを語るのは無理だ。
「幻想交響曲」は1977年、クリーブランド管とのもの。録音はまずまず良く、多面的に展開していく曲の表情を生き生きと奏でてはいるのだが、如何せん曲そのものがあまり面白くないというこれまで持っている印象は覆らなかった。
「ローマの松・噴水・祭」は94年、ピッツバーグ響との録音。これも目まぐるしい曲だが、幻想よりはオーケストレーションは派手だし幾分面白い。
12月18日は休みだが市街地に出たので電車の中で「英雄の生涯」を聴いた。30枚組みの中に、この曲は2種類納められており、これはクリーブランド管との77年の録音の方。
これが、凄かった。冒頭から力感あふれる弦楽合奏が鮮やかに立ち上がる。金管の鳴りの伸び、ブリブリと震える唇、非常に生々しく伝わってくる。ヴァイオリンソロも、フルートやピッコロも、繊細な音は繊細に、時に優しくときに鋭く現れる。緩急強弱大小が大胆にコントロールされ、それが見事に捉えられている。77年と言うことはまだアナログ録音だと思うのだが、これほどの音が記録されているとは。
「幻想交響曲」は1977年、クリーブランド管とのもの。録音はまずまず良く、多面的に展開していく曲の表情を生き生きと奏でてはいるのだが、如何せん曲そのものがあまり面白くないというこれまで持っている印象は覆らなかった。
「ローマの松・噴水・祭」は94年、ピッツバーグ響との録音。これも目まぐるしい曲だが、幻想よりはオーケストレーションは派手だし幾分面白い。
12月18日は休みだが市街地に出たので電車の中で「英雄の生涯」を聴いた。30枚組みの中に、この曲は2種類納められており、これはクリーブランド管との77年の録音の方。
これが、凄かった。冒頭から力感あふれる弦楽合奏が鮮やかに立ち上がる。金管の鳴りの伸び、ブリブリと震える唇、非常に生々しく伝わってくる。ヴァイオリンソロも、フルートやピッコロも、繊細な音は繊細に、時に優しくときに鋭く現れる。緩急強弱大小が大胆にコントロールされ、それが見事に捉えられている。77年と言うことはまだアナログ録音だと思うのだが、これほどの音が記録されているとは。
2011年12月16日金曜日
ローレンス・ブロックの「死への祈り」。
タイトルからはどこかしら静謐な場面を想起させられるが、シリーズ中最も不安に満ちた、嫌な作品だ。といっても面白くないわけではない。冒頭、スカダーが想像する被害者の行動が淡々と叙述されていくあたりは、いつもと違ってちょっととっつきにくいのだが、事件が動き出すと、読むのを止められなくなる。シリーズ中でも屈指の面白さだと言っていい。嫌なのは、今作の犯人像だ。
敵は例によって異常者なのだが、これが手ごわい上に、運もいい。これまで様々な異常者、倒錯者、狂気染みた犯罪者を相手に、自殺を促したり、警察に引き渡したり、自ら手を下したり、何らかの形で片をつけてきたスカダーに、出来ることがあまり無い。
しかも、ところどころに犯人側の一人称視点が挿入され(これは賛否両論あるようだが)、犯人の思考や感情を読まされると、2001年、今から10年前に書かれた作品でありながら、いま現在の社会においても実在しておかしくないリアリティがあり、そのうち犯人の方が主人公であるかのような錯覚に陥りそうになる。
そして、現実はスカダー(そして警察組織も含めて)を追い越して、最早できることは限られてしまっている、ひとりの探偵がこの複雑で狂った社会に対して出来ることなどタカが知れている、とでも言わんばかりの結末。
続く、ということなのだろうが、次作「すべては死にゆく」はまだ文庫化されておらず、一作だけハードカヴァーで買うのも気が引けて悩ましい。
敵は例によって異常者なのだが、これが手ごわい上に、運もいい。これまで様々な異常者、倒錯者、狂気染みた犯罪者を相手に、自殺を促したり、警察に引き渡したり、自ら手を下したり、何らかの形で片をつけてきたスカダーに、出来ることがあまり無い。
しかも、ところどころに犯人側の一人称視点が挿入され(これは賛否両論あるようだが)、犯人の思考や感情を読まされると、2001年、今から10年前に書かれた作品でありながら、いま現在の社会においても実在しておかしくないリアリティがあり、そのうち犯人の方が主人公であるかのような錯覚に陥りそうになる。
そして、現実はスカダー(そして警察組織も含めて)を追い越して、最早できることは限られてしまっている、ひとりの探偵がこの複雑で狂った社会に対して出来ることなどタカが知れている、とでも言わんばかりの結末。
続く、ということなのだろうが、次作「すべては死にゆく」はまだ文庫化されておらず、一作だけハードカヴァーで買うのも気が引けて悩ましい。
2011年12月15日木曜日
まだまだマゼール。
12月14日。行きはドビュッシーの「海」と「ノクターン」。これらも昔からデュトワ指揮モントリオール管でたまに聞いているぐらいなのだが、色彩感豊かな曲で、ちょっととりとめのなさもあるものが、ウィーンフィルだとやはり近代から現代へつながるあたりのわけのわからなさとか奇矯な要素がうまく丸め込まれて堂々とした名曲になってしまうような感じがある。
帰りはチャイコフスキーの交響曲第6番。1980~81年、クリーブランド管との後期交響曲録音の中のひとつ。一般にこの曲がチャイコフスキーの代表作なのだが、個人的には4番の方が好きで、あまり好んで聴くことがない。ちょっとだるい気がする。しかし、2楽章あたりの美しさはなかなかに素晴らしい。
12月15日。行きはチャイコフスキーの交響曲第5番。バーンスタインとNYPの全集、ムラヴィンスキーが西側に来てグラモフォンに吹き込んだ後期3曲のアルバム、ムラヴィンスキーのライヴ盤など持っているものの、それほど聴き込んでいる曲ではない。
6番では特に感じなかったのだが、ちょっと位相がおかしくなっているのかなと言う瞬間はあるものの、非常に立体感のある録音で、曲の組み立てが浮き彫りになるかのように聴こえて来る。もちろん音の鮮度は最新の録音には及ばないが、アメリカのオケらしい、適度に厚みがあり、適度にきらびやかな演奏がよく捉えられていると言う気がする。レコードと言うものは指揮と演奏と録音(ミキシング、マスタリング含め)が三位一体となって生まれる芸術だと、あらためて思う。今まで感じ取れていなかった曲の美しさも伝わってきたようだ。
帰りは交響曲第4番。好きな曲なのだが、考えてみると、結局冒頭のファンファーレのような戦争映画のテーマ曲の様なものに惹かれる癖があるのだろうか。ショスタコーヴィチの5番の終楽章なんかもそんな入り方で、リビングで聴いていると妻に「映画音楽みたいだ」と言われたりするのだが、おそらくそういう嗜好なのだろう。これも、ちょっと曇った感じはあるものの十分に立体感のある録音で、しかも硬軟、緩急、陰陽のメリハリの利いた小気味良い演奏。ムラヴィンスキーの峻厳さからすると全体に軽いことは否めないが、けして悪くない。
さてここまでで聴き終えたディスクはと言うと、こんなところ。
Disc6:1812年など戦争もののうち、「ウェリントンの勝利」以外。
Disc8:ドビュッシー管弦楽曲集
Disc9:グローフェ「グランドキャニオン」他
Disc10:ホルスト「惑星」は持っているのでおまけの「ボレロ」のみ。
Disc12:ラヴェル管弦楽曲集
Disc14:サンサーンス交響曲第3番他
Disc24-25:ストラヴィンスキー作品集
Disc26-28:チャイコフスキー交響曲4/5/6番+おまけ
約11枚で、まだ約1/3。リヒャルト・シュトラウスの作品集(4枚ともう1枚)、シベリウス(4枚)とベートーベンの交響曲全集(5枚)と言う山場がまだまだ残っている。ツールドフランスで言えば、山岳ステージで三級、二級のちょっとした峠を越えて、これからいよいよ一級、一級、最後に超級山岳の山頂ゴールに向かい始めたと言う状況か。いや、わけがわからんな、これでは。
帰りはチャイコフスキーの交響曲第6番。1980~81年、クリーブランド管との後期交響曲録音の中のひとつ。一般にこの曲がチャイコフスキーの代表作なのだが、個人的には4番の方が好きで、あまり好んで聴くことがない。ちょっとだるい気がする。しかし、2楽章あたりの美しさはなかなかに素晴らしい。
12月15日。行きはチャイコフスキーの交響曲第5番。バーンスタインとNYPの全集、ムラヴィンスキーが西側に来てグラモフォンに吹き込んだ後期3曲のアルバム、ムラヴィンスキーのライヴ盤など持っているものの、それほど聴き込んでいる曲ではない。
6番では特に感じなかったのだが、ちょっと位相がおかしくなっているのかなと言う瞬間はあるものの、非常に立体感のある録音で、曲の組み立てが浮き彫りになるかのように聴こえて来る。もちろん音の鮮度は最新の録音には及ばないが、アメリカのオケらしい、適度に厚みがあり、適度にきらびやかな演奏がよく捉えられていると言う気がする。レコードと言うものは指揮と演奏と録音(ミキシング、マスタリング含め)が三位一体となって生まれる芸術だと、あらためて思う。今まで感じ取れていなかった曲の美しさも伝わってきたようだ。
帰りは交響曲第4番。好きな曲なのだが、考えてみると、結局冒頭のファンファーレのような戦争映画のテーマ曲の様なものに惹かれる癖があるのだろうか。ショスタコーヴィチの5番の終楽章なんかもそんな入り方で、リビングで聴いていると妻に「映画音楽みたいだ」と言われたりするのだが、おそらくそういう嗜好なのだろう。これも、ちょっと曇った感じはあるものの十分に立体感のある録音で、しかも硬軟、緩急、陰陽のメリハリの利いた小気味良い演奏。ムラヴィンスキーの峻厳さからすると全体に軽いことは否めないが、けして悪くない。
さてここまでで聴き終えたディスクはと言うと、こんなところ。
Disc6:1812年など戦争もののうち、「ウェリントンの勝利」以外。
Disc8:ドビュッシー管弦楽曲集
Disc9:グローフェ「グランドキャニオン」他
Disc10:ホルスト「惑星」は持っているのでおまけの「ボレロ」のみ。
Disc12:ラヴェル管弦楽曲集
Disc14:サンサーンス交響曲第3番他
Disc24-25:ストラヴィンスキー作品集
Disc26-28:チャイコフスキー交響曲4/5/6番+おまけ
約11枚で、まだ約1/3。リヒャルト・シュトラウスの作品集(4枚ともう1枚)、シベリウス(4枚)とベートーベンの交響曲全集(5枚)と言う山場がまだまだ残っている。ツールドフランスで言えば、山岳ステージで三級、二級のちょっとした峠を越えて、これからいよいよ一級、一級、最後に超級山岳の山頂ゴールに向かい始めたと言う状況か。いや、わけがわからんな、これでは。
2011年12月13日火曜日
今日もマゼール。
12月12日。通勤の往路はリストの交響詩「フン族の戦い」。1995年、バイエルン放送響とのもの。「1812年」など戦争がらみの作品を集めた中の一曲。短い中にギュっとドラマが詰まっている。
その後ラヴェルの「ボレロ」のフランス国立管との方。おそらく81年ごろの録音。飄々と軽く、普通ならもうちょっと終盤でドンガラガッシャンと来るだろうなと言うところをスマートにやり過ごす感じとでも言おうか。
復路は同じく「ボレロ」の、96年、ウィーンフィルとの録音。他のウィーンフィルとの録音と同様、やっぱりふくよかな響きで、終始危うさが無い。その後「ラ・ヴァルス」。
12月13日。往路は前日の続き、同年同オケとの「ダフニスとクロエ」組曲版、第一と第二の2曲。これは他の録音とちょっと違ってあまりふわっとした感じが無く、引き締まった音に感じられた。復路は「スペイン狂詩曲」。その後99年、ウィーンフィルとのドビュッシー、まずは「遊戯」から。
このあたりになると、デュトワ指揮モントリオール響のCDを持っていてごくたまに聴きはするものの、善し悪しを語れるほどではない。
その後ラヴェルの「ボレロ」のフランス国立管との方。おそらく81年ごろの録音。飄々と軽く、普通ならもうちょっと終盤でドンガラガッシャンと来るだろうなと言うところをスマートにやり過ごす感じとでも言おうか。
復路は同じく「ボレロ」の、96年、ウィーンフィルとの録音。他のウィーンフィルとの録音と同様、やっぱりふくよかな響きで、終始危うさが無い。その後「ラ・ヴァルス」。
12月13日。往路は前日の続き、同年同オケとの「ダフニスとクロエ」組曲版、第一と第二の2曲。これは他の録音とちょっと違ってあまりふわっとした感じが無く、引き締まった音に感じられた。復路は「スペイン狂詩曲」。その後99年、ウィーンフィルとのドビュッシー、まずは「遊戯」から。
このあたりになると、デュトワ指揮モントリオール響のCDを持っていてごくたまに聴きはするものの、善し悪しを語れるほどではない。
2011年12月9日金曜日
マゼールのストラヴィンスキー、その他。
12月8日。通勤の往路はストラヴィンスキーの「三楽章の交響曲」と「詩篇交響曲」。復路は「ペトルーシュカ」を聴く。交響曲2曲は1995年頃のバイエルン放送響との録音。ペトルーシュカは98年、ウィーンフィルとの録音だ。
三楽章の交響曲は楽章ごとに表情が変わる曲で、第二楽章の美しさは素晴らしく、やれば出来るじゃないかと言いたくなるが余計なお世話だろう。詩篇交響曲は歌が入るのためかストラヴィンスキーにしては破壊的な面が押さえ込まれていて聴きやすい音楽になっているものの、らしくないのも事実。
ペトルーシュカはウィーンフィルのおかげかまろやかで美しく、これも聴きやすく仕上がっている。もちろん曲自体が他の代表作よりも多少穏健だからでもあるのだが、ふくらみのある響きと、反面耳に付くピーキーな高音、全体につきまとう艶っぽさなど、日頃あまり好ましくないと感じているウィーンフィルの音が、この曲では良い方に転んでいる。不思議なものだ。
12月9日。行きはグローフェの「グランドキャニオン」、帰りはハーバートの交響詩「ヘーローとレアンドロス」とオペレッタのメドレー。
グローフェとこの作品は名前は聴いたことがあったが聴くのは初めて。なかなかに叙情的で風景描写に優れた聴いていて楽しい作品だ。
ハーバートについては名前も知らず、紙ケースのスペルを見て、ヘルベルト、ドイツの作曲家だろうか、聴いたことが無いなと思って調べたらアメリカのハーバートさんだった。アメリカ的な味はあるがグローフェや、あるいはコープランド、ガーシュイン等よりは薄く、特にオペレッタのメドレーは曲によりヨーロッパの作曲家が書いたワルツだと言われればはいそうですかと言ってしまいそうな穏健な出来だった。
どちらも1991年、ピッツバーグ響との録音。ハーバートはピッツバーグ響の音楽監督であり、グローフェは彼の遠縁とのことで、オケにとっては歴史的に重要なレパートリーなのだろう。30枚組みの中に、こうしたあまりメジャーでない曲を入れるあたり、どんな曲でも対応できるというかしてしまうマゼールらしい選曲なのだろう。
三楽章の交響曲は楽章ごとに表情が変わる曲で、第二楽章の美しさは素晴らしく、やれば出来るじゃないかと言いたくなるが余計なお世話だろう。詩篇交響曲は歌が入るのためかストラヴィンスキーにしては破壊的な面が押さえ込まれていて聴きやすい音楽になっているものの、らしくないのも事実。
ペトルーシュカはウィーンフィルのおかげかまろやかで美しく、これも聴きやすく仕上がっている。もちろん曲自体が他の代表作よりも多少穏健だからでもあるのだが、ふくらみのある響きと、反面耳に付くピーキーな高音、全体につきまとう艶っぽさなど、日頃あまり好ましくないと感じているウィーンフィルの音が、この曲では良い方に転んでいる。不思議なものだ。
12月9日。行きはグローフェの「グランドキャニオン」、帰りはハーバートの交響詩「ヘーローとレアンドロス」とオペレッタのメドレー。
グローフェとこの作品は名前は聴いたことがあったが聴くのは初めて。なかなかに叙情的で風景描写に優れた聴いていて楽しい作品だ。
ハーバートについては名前も知らず、紙ケースのスペルを見て、ヘルベルト、ドイツの作曲家だろうか、聴いたことが無いなと思って調べたらアメリカのハーバートさんだった。アメリカ的な味はあるがグローフェや、あるいはコープランド、ガーシュイン等よりは薄く、特にオペレッタのメドレーは曲によりヨーロッパの作曲家が書いたワルツだと言われればはいそうですかと言ってしまいそうな穏健な出来だった。
どちらも1991年、ピッツバーグ響との録音。ハーバートはピッツバーグ響の音楽監督であり、グローフェは彼の遠縁とのことで、オケにとっては歴史的に重要なレパートリーなのだろう。30枚組みの中に、こうしたあまりメジャーでない曲を入れるあたり、どんな曲でも対応できるというかしてしまうマゼールらしい選曲なのだろう。
2011年12月8日木曜日
ローレンス・ブロックの「皆殺し」。
マット・スカダーシリーズ一気読み返しも、残り2冊。ちょっと振り返ってみる。
・初期三作:過失事故で人生が狂った元刑事がもぐりの私立探偵としてニュー・ヨークを闊歩する。そんなハードボイルド・ノヴェル群。スカダーは酒に浸かっているような生活だが、まだシリーズらしい深みは無い。ただし、導入部などさすがブロックと思わせるアイデアは光っている。
・「暗闇にひと突き」:続く傑作「八百万の死にざま」への、ジャンプ台のような作品。前3作とは何かが違う。飲む量とか。
・「八百万の死にざま」:最初の到達点。序盤での(あるいは今日までの?)最高傑作。ついに酒に殺されそうになり、殺人鬼にも狙われ。そこから立ち直る道を見つけるまでの物語。
・「聖なる酒場の挽歌」:過去を振り返ってのお話。閑話休題というか。
・「慈悲深い死」:一旦リセットして、続く三部作へのジャンプ台のような作品。
・倒錯三部作:シリーズが迎えた二度目のピーク。
・「死者との誓い」:アル中と言うトラブルを抱えた無免許の探偵が、異常な、あるいは猟奇的、倒錯的な犯罪と対峙すると言う構図は変らない。事件の「解決」とは一体何なのか、アメリカの司法制度の無力さも常に訴えられてきた。そしてここでは、「解決」とは誰のためのものなのかという疑問も提示される。誰も真実が解き明かされることを臨まないと言う、探偵の存在意義にまで関わる問題。果たしてこの作品でのスカダーは探偵なのか。
・「死者の長い列」:ユニークな設定で謎解きの面白さも期待させつつ、結末も一風変わった作品。
・「処刑宣告」:「劇場型犯罪」と言ってよいのだろうか。そうした事件に関わり、次々と真相を解明していくスカダー。ちょっと、何もかも上手く行き過ぎている感が否めない。
そして、「皆殺し」。友人である犯罪者ミック・バルーと彼の配下たちが、何者かに狙われ、殺されていく。スカダーもまた、バルーの側の人間として、狙われる。前作までどうにかこうにかうまくいき、綺麗にまとまってきたスカダーの世界に、鉄槌が叩き込まれる。甘くなりすぎたシリーズを、大きく揺り戻すかのように。
それにしても、厳しいストーリーだ。ただ、終わってみると、前作同様、都合が良すぎる感も残るのだが。
・初期三作:過失事故で人生が狂った元刑事がもぐりの私立探偵としてニュー・ヨークを闊歩する。そんなハードボイルド・ノヴェル群。スカダーは酒に浸かっているような生活だが、まだシリーズらしい深みは無い。ただし、導入部などさすがブロックと思わせるアイデアは光っている。
・「暗闇にひと突き」:続く傑作「八百万の死にざま」への、ジャンプ台のような作品。前3作とは何かが違う。飲む量とか。
・「八百万の死にざま」:最初の到達点。序盤での(あるいは今日までの?)最高傑作。ついに酒に殺されそうになり、殺人鬼にも狙われ。そこから立ち直る道を見つけるまでの物語。
・「聖なる酒場の挽歌」:過去を振り返ってのお話。閑話休題というか。
・「慈悲深い死」:一旦リセットして、続く三部作へのジャンプ台のような作品。
・倒錯三部作:シリーズが迎えた二度目のピーク。
・「死者との誓い」:アル中と言うトラブルを抱えた無免許の探偵が、異常な、あるいは猟奇的、倒錯的な犯罪と対峙すると言う構図は変らない。事件の「解決」とは一体何なのか、アメリカの司法制度の無力さも常に訴えられてきた。そしてここでは、「解決」とは誰のためのものなのかという疑問も提示される。誰も真実が解き明かされることを臨まないと言う、探偵の存在意義にまで関わる問題。果たしてこの作品でのスカダーは探偵なのか。
・「死者の長い列」:ユニークな設定で謎解きの面白さも期待させつつ、結末も一風変わった作品。
・「処刑宣告」:「劇場型犯罪」と言ってよいのだろうか。そうした事件に関わり、次々と真相を解明していくスカダー。ちょっと、何もかも上手く行き過ぎている感が否めない。
そして、「皆殺し」。友人である犯罪者ミック・バルーと彼の配下たちが、何者かに狙われ、殺されていく。スカダーもまた、バルーの側の人間として、狙われる。前作までどうにかこうにかうまくいき、綺麗にまとまってきたスカダーの世界に、鉄槌が叩き込まれる。甘くなりすぎたシリーズを、大きく揺り戻すかのように。
それにしても、厳しいストーリーだ。ただ、終わってみると、前作同様、都合が良すぎる感も残るのだが。
2011年12月7日水曜日
マゼール聴きながら通勤。
毎朝夕、通勤の行き帰りに「ロリン・マゼールの芸術」を聴いている。
昨日は行きがストラヴィンスキーの「兵士の物語」、ナレーションの無い管弦楽だけのもので、それだけでは時間が余ったのでサン=サーンスの「パエトーン」「死の舞踏」を。帰りはサン=サーンスの交響曲第3番。「兵士」は1995年頃、バイエルン放送響との録音で、流麗でありながら骨太のアンサンブルが、どちらかと言えば軽妙な曲をダイナミックに響かせていて非常に良い。サン=サーンスは全て93年、ピッツバーグ響とのもの。こちらも鮮やかだが、交響曲だけオルガンが入るためか、録音の場所かセッティングが異なっているようで、やや籠もった感じを受けた。しかし、第二部後半(というか第4楽章と言うか)でオルガンとオケが絡みだしてからの、厚みと適度な分離と響きの良さで挽回している。
今朝はプロコフィエフの交響曲第一番と、「キージェ中尉」。どちらもフランス国立管との録音。チャイコフスキーの交響曲の余白に入っているので、オンラインショップでの曲目紹介から漏れているし、またこのボックスセットでは録音年などの詳細なクレジットをどこにも掲載していないのでよくわからないが、録音はこれまで聴いてきた曲よりちょっと曇った感じがあったり、打楽器の出方に物足りなさがある。しかし、このコンビの「惑星」のようにメリハリの効いた楽しい演奏ではある。
帰りはストラヴィンスキーの「ナイチンゲールの歌」、98年、ウィーンフィル。まあ、これは、ストラヴィンスキーだなと。
昨日は行きがストラヴィンスキーの「兵士の物語」、ナレーションの無い管弦楽だけのもので、それだけでは時間が余ったのでサン=サーンスの「パエトーン」「死の舞踏」を。帰りはサン=サーンスの交響曲第3番。「兵士」は1995年頃、バイエルン放送響との録音で、流麗でありながら骨太のアンサンブルが、どちらかと言えば軽妙な曲をダイナミックに響かせていて非常に良い。サン=サーンスは全て93年、ピッツバーグ響とのもの。こちらも鮮やかだが、交響曲だけオルガンが入るためか、録音の場所かセッティングが異なっているようで、やや籠もった感じを受けた。しかし、第二部後半(というか第4楽章と言うか)でオルガンとオケが絡みだしてからの、厚みと適度な分離と響きの良さで挽回している。
今朝はプロコフィエフの交響曲第一番と、「キージェ中尉」。どちらもフランス国立管との録音。チャイコフスキーの交響曲の余白に入っているので、オンラインショップでの曲目紹介から漏れているし、またこのボックスセットでは録音年などの詳細なクレジットをどこにも掲載していないのでよくわからないが、録音はこれまで聴いてきた曲よりちょっと曇った感じがあったり、打楽器の出方に物足りなさがある。しかし、このコンビの「惑星」のようにメリハリの効いた楽しい演奏ではある。
帰りはストラヴィンスキーの「ナイチンゲールの歌」、98年、ウィーンフィル。まあ、これは、ストラヴィンスキーだなと。
2011年12月5日月曜日
「ロリン・マゼールの芸術」、ファースト・インプレッション。
週末に30枚のCDをMP3化し、半分ほどをDAPに同期させ、月曜の朝の出勤から。
一部を除いてディスクごとではなく作品ごとにMP3を作ったので、DAPの中では、作曲家の名前順に曲が並んでいる。
その中から、まずはチャイコフスキーの「1812年」、1992年ごろと思われるウィーンフィルとの録音と、1995年のバイエルン放送響との録音の2種を立て続けに聴く。ちょっとゴリっとしたオケの厚みでバイエルンに軍配を上げたいが、大砲の音がラインでミックスしたかのような作り物っぽさで残念。そこについては、太鼓で再現しようとしたウィーンフィルの方が良かった。
会社帰りにも、イタリア奇想曲(バイエルン)、スラヴ行進曲(VPO)、ストラヴィンスキーの「花火」(VPO)、サン=サーンスの「バッカナール」(ピッツバーグ響)など小規模な曲ばかり聴いてみた。
まず何より、今日聴いたのはどれも1990年代の録音だからか、S/N比の高いリマスタリングで、非常に心地よく聴ける。バイエルンの「1812年」などは、テンポをぐいっと動かしたり、マゼールらしいメリハリの利いた演奏で、ただでさえ躍動感の高い曲がいっそう魅力的に響く。ウィーンフィルとのスラヴ行進曲では、エキゾチズムが横溢していて、いつも個人的に気になる、ウィーンフィルらしい美しさと裏腹の肌に合わない感じがない。
まずは幸先が良い。明日はサン=サーンスからストラヴィンスキーあたりを聴こうか。
一部を除いてディスクごとではなく作品ごとにMP3を作ったので、DAPの中では、作曲家の名前順に曲が並んでいる。
その中から、まずはチャイコフスキーの「1812年」、1992年ごろと思われるウィーンフィルとの録音と、1995年のバイエルン放送響との録音の2種を立て続けに聴く。ちょっとゴリっとしたオケの厚みでバイエルンに軍配を上げたいが、大砲の音がラインでミックスしたかのような作り物っぽさで残念。そこについては、太鼓で再現しようとしたウィーンフィルの方が良かった。
会社帰りにも、イタリア奇想曲(バイエルン)、スラヴ行進曲(VPO)、ストラヴィンスキーの「花火」(VPO)、サン=サーンスの「バッカナール」(ピッツバーグ響)など小規模な曲ばかり聴いてみた。
まず何より、今日聴いたのはどれも1990年代の録音だからか、S/N比の高いリマスタリングで、非常に心地よく聴ける。バイエルンの「1812年」などは、テンポをぐいっと動かしたり、マゼールらしいメリハリの利いた演奏で、ただでさえ躍動感の高い曲がいっそう魅力的に響く。ウィーンフィルとのスラヴ行進曲では、エキゾチズムが横溢していて、いつも個人的に気になる、ウィーンフィルらしい美しさと裏腹の肌に合わない感じがない。
まずは幸先が良い。明日はサン=サーンスからストラヴィンスキーあたりを聴こうか。
2011年12月4日日曜日
「処刑宣告」の追加のメモ。
作中に、「殺し屋」シリーズのケラーが使った手口が、過去にあった事件の話題として出て来る場面がある。それをやったのがケラーだとはもちろん書かれていないのだが、気になる。
しかし、ケラーのどの本のどのあたりだったか、すぐに見つけられない。
しかし、ケラーのどの本のどのあたりだったか、すぐに見つけられない。
2011年12月3日土曜日
ローレンス・ブロックの「処刑宣告」。
「処刑宣告」と言うタイトルはかなりハードな雰囲気だが、起こる事件はセンセーショナルではあるものの荒っぽくはない。
ある新聞の名物コラムニストの主張がきっかけとなったのか、無罪となった殺人者が殺された。犯人は自ら人々の「意思(will=ウィル)」と名乗り、コラムニストに声明を送りつけ、ニューヨークはその話題一色になる。ウィルは社会に悪影響を与えている考えられる著名人の名を挙げて第二、第三と殺人を予告し、実際に標的となった者が殺され、ついにスカダーの知人でありたまに仕事をくれる弁護士が標的となって、事件はスカダーと接することになる。シリーズで常に投げかけられている、司法制度が報いを与えられない犯罪者に対していかにして報いを与えるべきか、という問いかけに対して、今回はスカダーではなく犯人の側が答えを提示している。
また一方で、AAの知人の女性から、公園で射殺された彼女の友人、名もないエイズ患者についても相談を受ける。この誰も見向きもしない殺人と、世間を賑わす殺人との対比が秀逸で、その間を行きかいながら、スカダーはいつものようにこつこつと真実に近づいていく。
エレインとの生活が安定し、スカダーは探偵の免許を取得し、TJは便利屋から正式なパートナーのポジションに近づいている。皆すっかり全うな人生を歩むようになって、常にシリーズに付き纏ってきた仄暗い寂寥感はすっかり薄れた。
相変わらずスカダーは禁酒には努めていて、まだけして全ての苦悩から解き放たれたわけではないが、やはりちょっと穏やかで明るい物語になってしまった感は否めない。このような感想は、訳者である田口俊樹氏のあとがきにも書かれているし、何より、終結部がほろりとさせられるいい話になっていて、それが読了感を支配してしまう。もちろん、これはこれで良いのだが。
ある新聞の名物コラムニストの主張がきっかけとなったのか、無罪となった殺人者が殺された。犯人は自ら人々の「意思(will=ウィル)」と名乗り、コラムニストに声明を送りつけ、ニューヨークはその話題一色になる。ウィルは社会に悪影響を与えている考えられる著名人の名を挙げて第二、第三と殺人を予告し、実際に標的となった者が殺され、ついにスカダーの知人でありたまに仕事をくれる弁護士が標的となって、事件はスカダーと接することになる。シリーズで常に投げかけられている、司法制度が報いを与えられない犯罪者に対していかにして報いを与えるべきか、という問いかけに対して、今回はスカダーではなく犯人の側が答えを提示している。
また一方で、AAの知人の女性から、公園で射殺された彼女の友人、名もないエイズ患者についても相談を受ける。この誰も見向きもしない殺人と、世間を賑わす殺人との対比が秀逸で、その間を行きかいながら、スカダーはいつものようにこつこつと真実に近づいていく。
エレインとの生活が安定し、スカダーは探偵の免許を取得し、TJは便利屋から正式なパートナーのポジションに近づいている。皆すっかり全うな人生を歩むようになって、常にシリーズに付き纏ってきた仄暗い寂寥感はすっかり薄れた。
相変わらずスカダーは禁酒には努めていて、まだけして全ての苦悩から解き放たれたわけではないが、やはりちょっと穏やかで明るい物語になってしまった感は否めない。このような感想は、訳者である田口俊樹氏のあとがきにも書かれているし、何より、終結部がほろりとさせられるいい話になっていて、それが読了感を支配してしまう。もちろん、これはこれで良いのだが。
2011年12月2日金曜日
マゼールのマーラー9番、10番、全集を聴き終えて。
マゼールのマーラー、いよいよ、自分にとっては最も重要な9番を聴く。たいてい箱物セットを買ったときは、9番を最後に残しておくのだが、今回は特に意図も無く10番を残して先に9番を聴いた。
第1楽章の冒頭、比較的録音レベルが高く、最初の聴こえるかどうかと言うところから、それなりに耳に届く。ここはゆったりとはじめる録音が多いので違和感はないが、テンポ設定は遅めなのだろう。柔らかく膨らみのある音で、ここまで聴いてきた各曲と傾向はそのままだ。たゆたう様な気持ちよさはまずまずあるが、音が豊かで濃密であるせいか、非常に厚みがありきれいに整っていて、例えばバルビローリ&ベルリンフィルのような不安定だが心地よい揺らぎは感じられない。中盤以降のガチャガチャするあたりも、もちろんガチャガチャしてはいるのだが、もうちょっとで乱れそうな感じというか、危うさがない。
第2楽章に入って、やはり演奏のたちは変わらず、続く第3楽章も含め、ガチャガチャしたところやドカンドカン来るところが、けして控えめなわけではないのだけれど、破綻しそうになく整っていて、計算ずくというかまだ余裕があるというか、オケの技量をしっかり把握して最大限に引き出して豊かに鳴らせているというか。よく出来ているのだけれど何だかなあ、と思わずにいられない。
しかしながら、そのような演奏であるからして、終楽章はこの上なく美しい。冒頭の、ターラーーーー、テララララーララー、ター、ラー、ラー、と来るところ、ターラーーーーテララララーララーラーラーラーと、あっさり流してしまうあたりから、ちょっと変わっているな、と思わされる。マゼールはマゼールなりの解釈で色々仕掛けていると言うことが良くわかる。ただし、こちらの固定観念の中のマゼールのように大見得切ってくどくアクの強い演奏をしているわけではなく、全てが美しく豊潤な方向へ進んでいくので、何だか化かされているようにも感じる。
オケとホールの影響も大きいのだろうが、マーラーはやろうと思えばここまで美しく仕上げられる音楽なのだよ、と、教え諭されているようだ。聴き終えて、しばらくたってから、そう気がついた。
となると、アダージョだけの10番は、やはり素晴らしく美しいだろうなと思って聴いたら、まあ、その通り。
さて、全集を聴き終えて、マゼールらしさというものに関し、ちょっと考えをあらためねばならないと思った。恣意的というか、独創的な解釈で曲に臨み、しばしばキワモノ的な指揮をする、故に毀誉褒貶、あれこれ言われる指揮者であり、自分もそう認識していた。特に、昔聴いていた「1812年」とかリムスキー・コルサコフとか、あるいは最近聴いたものだとフランス国立管との「惑星」とか、スペクタキュラーな楽曲でのメリハリが利きすぎるぐらいのダイナミックな演奏が記憶に残っているものだから、尚さらだ。そして、少なくともこのマーラー全集でも2番はそのようなイメージの中のマゼールらしい録音だと感じた。
しかし、独創的な解釈はしていたとしても、強固な意思を持って強力にオケを統率しているだけで、常にキワモノであったりアクが強過ぎたりするわけではないのだ(結果としてそうなっていることがしばしばあるだけなのだろう)。かつての天才少年はその後も天才であり続け、その才を様々に思うがままに使い、あるときは歌舞伎のような録音をものしたりもする一方で、このような優美でゴージャスなマーラーも残したのだろう。
ちょっと変わったマーラーだと思う場面は多々あったが、5番、6番、9番、10番の緩楽章を聴けば、他には替え難い価値がある全集だと感じられる。中でも5番は全曲を通じて素晴らしい。
第1楽章の冒頭、比較的録音レベルが高く、最初の聴こえるかどうかと言うところから、それなりに耳に届く。ここはゆったりとはじめる録音が多いので違和感はないが、テンポ設定は遅めなのだろう。柔らかく膨らみのある音で、ここまで聴いてきた各曲と傾向はそのままだ。たゆたう様な気持ちよさはまずまずあるが、音が豊かで濃密であるせいか、非常に厚みがありきれいに整っていて、例えばバルビローリ&ベルリンフィルのような不安定だが心地よい揺らぎは感じられない。中盤以降のガチャガチャするあたりも、もちろんガチャガチャしてはいるのだが、もうちょっとで乱れそうな感じというか、危うさがない。
第2楽章に入って、やはり演奏のたちは変わらず、続く第3楽章も含め、ガチャガチャしたところやドカンドカン来るところが、けして控えめなわけではないのだけれど、破綻しそうになく整っていて、計算ずくというかまだ余裕があるというか、オケの技量をしっかり把握して最大限に引き出して豊かに鳴らせているというか。よく出来ているのだけれど何だかなあ、と思わずにいられない。
しかしながら、そのような演奏であるからして、終楽章はこの上なく美しい。冒頭の、ターラーーーー、テララララーララー、ター、ラー、ラー、と来るところ、ターラーーーーテララララーララーラーラーラーと、あっさり流してしまうあたりから、ちょっと変わっているな、と思わされる。マゼールはマゼールなりの解釈で色々仕掛けていると言うことが良くわかる。ただし、こちらの固定観念の中のマゼールのように大見得切ってくどくアクの強い演奏をしているわけではなく、全てが美しく豊潤な方向へ進んでいくので、何だか化かされているようにも感じる。
オケとホールの影響も大きいのだろうが、マーラーはやろうと思えばここまで美しく仕上げられる音楽なのだよ、と、教え諭されているようだ。聴き終えて、しばらくたってから、そう気がついた。
となると、アダージョだけの10番は、やはり素晴らしく美しいだろうなと思って聴いたら、まあ、その通り。
さて、全集を聴き終えて、マゼールらしさというものに関し、ちょっと考えをあらためねばならないと思った。恣意的というか、独創的な解釈で曲に臨み、しばしばキワモノ的な指揮をする、故に毀誉褒貶、あれこれ言われる指揮者であり、自分もそう認識していた。特に、昔聴いていた「1812年」とかリムスキー・コルサコフとか、あるいは最近聴いたものだとフランス国立管との「惑星」とか、スペクタキュラーな楽曲でのメリハリが利きすぎるぐらいのダイナミックな演奏が記憶に残っているものだから、尚さらだ。そして、少なくともこのマーラー全集でも2番はそのようなイメージの中のマゼールらしい録音だと感じた。
しかし、独創的な解釈はしていたとしても、強固な意思を持って強力にオケを統率しているだけで、常にキワモノであったりアクが強過ぎたりするわけではないのだ(結果としてそうなっていることがしばしばあるだけなのだろう)。かつての天才少年はその後も天才であり続け、その才を様々に思うがままに使い、あるときは歌舞伎のような録音をものしたりもする一方で、このような優美でゴージャスなマーラーも残したのだろう。
ちょっと変わったマーラーだと思う場面は多々あったが、5番、6番、9番、10番の緩楽章を聴けば、他には替え難い価値がある全集だと感じられる。中でも5番は全曲を通じて素晴らしい。
2011年12月1日木曜日
ローレンス・ブロックの「死者の長い列」。
最高傑作と称される「死者との誓い」に続いてブロックが著した「死者の長い列」は、ちょっとおとぎ話のような、不思議な作品だ。筒井康隆の「富豪刑事」をちょっとだけ連想したが、深い意味は無い。
古代バビロニアから続いているとされる、「31人の会」というものがある。31人の男が会員となり、その内の30人が亡くなった時点で、ただ一人残ったものが、新たに30人を選び、集め、次の代(作中でスカダーは「章」という言い方をしている)の31人の会が発足し、また30人が亡くなった時点で次の30人を集めて、と繰り返していくというものだ。といっても秘密結社でもなんでもなく、思想信条趣味嗜好いっさい関係ない。やることも、年に一回集まって会食し、物故者の名前を読み上げて追悼するだけで、秘密めいたものはない。この連綿と続くイメージが、タイトルの「死者の長い列」だ(といってもこの言葉自体はミック・バルーが別の出来事に関して口にするのだが)。
しかし、会員はもちろん部外者には尚のこと存在理由がよく判らない会であるからか、会員は会のことをおおっぴらに話したりすることは無く、世間にも知られておらず、会のことは何となく会員たちだけの秘密になってしまっている。
そんな31人の会のあるメンバーが、あるとき、自分たちの代の会は、あまりにも死者が多すぎるのではないかと疑問を持った。そして、スカダーに調査を依頼した。彼らは概ね50歳代後半なのだが、すでに約半数が亡くなっていた。スカダーが調べると、明らかな事故死や病死もあったが、殺されたもの、事故や自殺とされていても偽装の可能性があるものが見つかった。
誰も存在を知らない会の会員が続けて殺されていくとして、犯人は誰か。
このような、ちょっとハードボイルド・ノヴェルらしからぬ設定が、まず面白い。謎解き重視のミステリー作品のようだ。といって、スカダーが推理を売り物にするホームズのような探偵に変身するわけではない。会員の中には著名人も何人かおり、会のことが表沙汰になると、メディアなどが面白おかしく書き立てるのは目に見えているから、警察に相談するわけにも行かず、スカダーはTJをパートナーに、いつものように動き回ってこつこつと真相を追及していく。
そして、片の付け方が、ちょっと変わっている。これまでにないパターンだ。警察に委ねるわけでもなく、自ら手を下すわけでもない。もちろん、これまでの作品と同様、現実のアメリカの司法制度では手に負えない犯罪や犯罪者をどう扱うべきか、という問題に対するブロックなりのアイデアのひとつであることには変わりは無いのだが。
発端から結末に至るまで、スカダー自身はいつも通り動き回っているのだが、異色作と言って良い様に思う。シリーズを続けて読んでいる者には、変化球的な楽しみが感じられるように思う。また、弁護士のドルー・キャプランが現れず別の弁護士が登場したり、コングズはハーバード大学に進学してニューヨークを去っていたりと、少し、スカダーを取り巻く人間関係に変化がある。エレインとの関係も含め、そのあたりを追いかける楽しみももちろんある。
古代バビロニアから続いているとされる、「31人の会」というものがある。31人の男が会員となり、その内の30人が亡くなった時点で、ただ一人残ったものが、新たに30人を選び、集め、次の代(作中でスカダーは「章」という言い方をしている)の31人の会が発足し、また30人が亡くなった時点で次の30人を集めて、と繰り返していくというものだ。といっても秘密結社でもなんでもなく、思想信条趣味嗜好いっさい関係ない。やることも、年に一回集まって会食し、物故者の名前を読み上げて追悼するだけで、秘密めいたものはない。この連綿と続くイメージが、タイトルの「死者の長い列」だ(といってもこの言葉自体はミック・バルーが別の出来事に関して口にするのだが)。
しかし、会員はもちろん部外者には尚のこと存在理由がよく判らない会であるからか、会員は会のことをおおっぴらに話したりすることは無く、世間にも知られておらず、会のことは何となく会員たちだけの秘密になってしまっている。
そんな31人の会のあるメンバーが、あるとき、自分たちの代の会は、あまりにも死者が多すぎるのではないかと疑問を持った。そして、スカダーに調査を依頼した。彼らは概ね50歳代後半なのだが、すでに約半数が亡くなっていた。スカダーが調べると、明らかな事故死や病死もあったが、殺されたもの、事故や自殺とされていても偽装の可能性があるものが見つかった。
誰も存在を知らない会の会員が続けて殺されていくとして、犯人は誰か。
このような、ちょっとハードボイルド・ノヴェルらしからぬ設定が、まず面白い。謎解き重視のミステリー作品のようだ。といって、スカダーが推理を売り物にするホームズのような探偵に変身するわけではない。会員の中には著名人も何人かおり、会のことが表沙汰になると、メディアなどが面白おかしく書き立てるのは目に見えているから、警察に相談するわけにも行かず、スカダーはTJをパートナーに、いつものように動き回ってこつこつと真相を追及していく。
そして、片の付け方が、ちょっと変わっている。これまでにないパターンだ。警察に委ねるわけでもなく、自ら手を下すわけでもない。もちろん、これまでの作品と同様、現実のアメリカの司法制度では手に負えない犯罪や犯罪者をどう扱うべきか、という問題に対するブロックなりのアイデアのひとつであることには変わりは無いのだが。
発端から結末に至るまで、スカダー自身はいつも通り動き回っているのだが、異色作と言って良い様に思う。シリーズを続けて読んでいる者には、変化球的な楽しみが感じられるように思う。また、弁護士のドルー・キャプランが現れず別の弁護士が登場したり、コングズはハーバード大学に進学してニューヨークを去っていたりと、少し、スカダーを取り巻く人間関係に変化がある。エレインとの関係も含め、そのあたりを追いかける楽しみももちろんある。
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