マゼールのマーラー9番、10番、全集を聴き終えて。

マゼールのマーラー、いよいよ、自分にとっては最も重要な9番を聴く。たいてい箱物セットを買ったときは、9番を最後に残しておくのだが、今回は特に意図も無く10番を残して先に9番を聴いた。
第1楽章の冒頭、比較的録音レベルが高く、最初の聴こえるかどうかと言うところから、それなりに耳に届く。ここはゆったりとはじめる録音が多いので違和感はないが、テンポ設定は遅めなのだろう。柔らかく膨らみのある音で、ここまで聴いてきた各曲と傾向はそのままだ。たゆたう様な気持ちよさはまずまずあるが、音が豊かで濃密であるせいか、非常に厚みがありきれいに整っていて、例えばバルビローリ&ベルリンフィルのような不安定だが心地よい揺らぎは感じられない。中盤以降のガチャガチャするあたりも、もちろんガチャガチャしてはいるのだが、もうちょっとで乱れそうな感じというか、危うさがない。
第2楽章に入って、やはり演奏のたちは変わらず、続く第3楽章も含め、ガチャガチャしたところやドカンドカン来るところが、けして控えめなわけではないのだけれど、破綻しそうになく整っていて、計算ずくというかまだ余裕があるというか、オケの技量をしっかり把握して最大限に引き出して豊かに鳴らせているというか。よく出来ているのだけれど何だかなあ、と思わずにいられない。
しかしながら、そのような演奏であるからして、終楽章はこの上なく美しい。冒頭の、ターラーーーー、テララララーララー、ター、ラー、ラー、と来るところ、ターラーーーーテララララーララーラーラーラーと、あっさり流してしまうあたりから、ちょっと変わっているな、と思わされる。マゼールはマゼールなりの解釈で色々仕掛けていると言うことが良くわかる。ただし、こちらの固定観念の中のマゼールのように大見得切ってくどくアクの強い演奏をしているわけではなく、全てが美しく豊潤な方向へ進んでいくので、何だか化かされているようにも感じる。
オケとホールの影響も大きいのだろうが、マーラーはやろうと思えばここまで美しく仕上げられる音楽なのだよ、と、教え諭されているようだ。聴き終えて、しばらくたってから、そう気がついた。

となると、アダージョだけの10番は、やはり素晴らしく美しいだろうなと思って聴いたら、まあ、その通り。

さて、全集を聴き終えて、マゼールらしさというものに関し、ちょっと考えをあらためねばならないと思った。恣意的というか、独創的な解釈で曲に臨み、しばしばキワモノ的な指揮をする、故に毀誉褒貶、あれこれ言われる指揮者であり、自分もそう認識していた。特に、昔聴いていた「1812年」とかリムスキー・コルサコフとか、あるいは最近聴いたものだとフランス国立管との「惑星」とか、スペクタキュラーな楽曲でのメリハリが利きすぎるぐらいのダイナミックな演奏が記憶に残っているものだから、尚さらだ。そして、少なくともこのマーラー全集でも2番はそのようなイメージの中のマゼールらしい録音だと感じた。
しかし、独創的な解釈はしていたとしても、強固な意思を持って強力にオケを統率しているだけで、常にキワモノであったりアクが強過ぎたりするわけではないのだ(結果としてそうなっていることがしばしばあるだけなのだろう)。かつての天才少年はその後も天才であり続け、その才を様々に思うがままに使い、あるときは歌舞伎のような録音をものしたりもする一方で、このような優美でゴージャスなマーラーも残したのだろう。



ちょっと変わったマーラーだと思う場面は多々あったが、5番、6番、9番、10番の緩楽章を聴けば、他には替え難い価値がある全集だと感じられる。中でも5番は全曲を通じて素晴らしい。

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