2012年2月29日水曜日

ワルターとNYPのマーラー2番。

1957~58年のステレオ録音で、これも昔アナログ盤で持っていたが、偶にしか聴かなかった。何かこう、しんどいと言う印象があった。
久しぶりに聴いてみると、相変わらず、何だかしんどいと言うか、きついものがある。音が痩せて鋭いと言うか。特に金管が、ふくらみが無く痛い感じだ。テンポはどちらかと言えばじっくりと落ち着いていて、重厚な気配はあるのだが、出てくる音には厚みよりも鋭さを感じると言う、どうも相反しているような感覚のまま進んでいく。
歌唱がはじまる。アルトはモーリーン・フォレスター。ソプラノはエミリア・クンダリ。フォレスターはワルターとはつながりの深い歌い手で、お互いに深く理解しあった上での歌唱なのだろう。クンダリはデトロイト生まれのイタリア系で、オペラで活躍した人らしいが、詳しいことはわからない。
しかし、フォレスターの声、どうも強いと言うか、太いと言うかで、ちょっと好みではない。しかし、終楽章に入ってからの歌声はそれほど太く感じないのは不思議だ。そして、合唱が、妙に遠いところからぐっと不自然に音量が上がって近づいてくるようなところがあって、終始感じられる違和感は、これではないかと思うにいたった。ミキシングで操作しているのか、妙に、音量が小さくなったり大きくなったり、不自然な感じがあるのだ。
クレンペラーやショルティの録音で、2番に対する苦手意識はなくなったのだが、この録音はやはりしんどい。その、違和感のせいなのかどうかはわからないが。

2012年2月28日火曜日

ワルターとコロンビア響のマーラー1番。

朝、デジ・ハルバン歌唱の「若き日の歌」でも聴こうかと思ったが、寒いながら晴れた天気には似合わないと思い、1番を聴くことにした。あまり金の無い学生だった頃、LPレコードでずっと聴いていたのが、この、ワルターとコロンビア交響楽団による、マーラーの交響曲第1番だった、と言う話は、何度か書いている。マーラー意外も聴くしロックも聴くしで、同曲異演を集めると言うことは無かったから、長らく唯一の1番だった。
CDに移行してからはずっと手持ちに加えず、そのうちにと思いながら20年ほど経って、ようやく今回発売された廉価ボックスセットで再入手したわけだ。

モノラル時代の録音と比べると、テンポはゆったりしている。強奏時や楽器が増える場面では混濁気味になるが、概ね録音は良好だ。鳥が鳴き、森にいるような感覚が蘇り、ああ、これだったなと思い出したような気になる。1番はそれほどたくさん色々聴いてきていないが、第1楽章のこの空気感は、他の録音ではこれほど豊かに感じられない、と考えるのは思い出による補正だろうか。
第2楽章は戦前からの大指揮者らしいゴージャスな雰囲気で過ぎ、第3楽章はモノラルのものほど落着きすぎず良いのだが、クーベリックの全集で聴けるような猥雑さはやはり無い。そして終楽章は強弱、緩急の付け方が明快で、スケール感たっぷりに盛り上げる。

2012年2月27日月曜日

ワルターとNYPのマーラー1番、4番。

どうも疲れが取れぬままの休み明け、通勤電車でワルター指揮のマーラー録音集から、第1番の、古いほうを聴く。オケはマーラー自身がタクトを振っていたNYフィルハーモニック。ワルターはマーラーに師事していた人であるから、このコンビはマーラー演奏の保守本流と言って良いのかもしれない。

さて、まず音はと言うと、古いのでこんなもの、と言う感じ。背後にノイズがサーッと流れている。トランペットが妙に前に出てくる。太鼓も意外とどんと鳴る。しかし、他は遠く感じたり、混濁したりしている。
テンポは、ちょっと速い。颯々と進む。こんなに短かったっけと思うほどにあっさりと第一楽章が終わり、第二楽章もやっぱり速い。
一転、第三楽章はじっくりと落着いた感じになるのだが、そのためか俗謡的なちょっとした猥雑さや軽さが感じられず、いささか残念。そして、終楽章はまた、スピーディーに展開されていく。
音質面で余りじっくりと味わうものでもないだろうと言う先入観があったが、そこまで酷くはなかった。それよりも、キビキビとしたスピード感の方が意外で印象に残った。昔のマーラー録音は、昨今のものほど演奏時間が長くないケースが多いように思うが、ワルターはと言えば9番も2番もどちらかといえば長いほうなので、この1番の速さは尚のこと意外だった。

続いて帰り道は4番。こちらもNYPとのコンビで、1945年のモノラル録音。ワルターは、ライブは他にもあるが、セッション・レコーディングはこれしか残していないようだ。
ソプラノはデジ・ハルバン。検索すると「デジレー・フォン・ハルバン・クルツの肖像画」と言うのが出てくるので、それが本名だろうか。1933年に没したオーストリアのソプラノ歌手セルマ・クルツの娘らしいが、Wikipediaにはセルマさんのページはあってもデジさんのは無く、それ以外にもご本人の情報は余り見つからない。特に日本語だと、この録音に関する情報ぐらいしか見当たらない。
それは兎も角、1番とはうって変わってゆったりと始まり、じっくりと進んで行く。録音はこちらの方がよろしくなく、痩せて、すかすかした感じに聴こえる。デジさんの歌声も、痩せて、やや遠く、今ひとつ冴えないのは勿体無い。

2012年2月26日日曜日

ワルターのマーラーを聴き始める。

SONYから出たワルターのマーラー録音集から、まず、手始めに「さすらう若人の歌」を。
歌唱はミルドレッド・ミラー。オケはコロンビア交響楽団で、1960年の録音だ。ミラーは、昔、最初に聞いたワルターの大地の歌でも歌っている人で、そう考えるとこの人(と、男声のエルンスト・ヘフリガーと)の声からマーラーの歌に入門したわけだが、当時はネットも何も無く、ライナーノートを真面目に読む人間ではなかったこともあって、どういう人かよく知らずに聴いていた。

http://en.wikipedia.org/wiki/Mildred_Miller

カタカナで検索しても、大地の歌のレビューが出てくるだけで、ご本人のことがわからない。アルファベットで検索すると、英文のWikiのページが出てきた。
1924年12月16日、アメリカはオハイオ州クリーブランド生まれのメゾソプラノ歌手であると。地元の音楽大学(Institute)とボストンのニューイングランド音楽院を出ている。ブリテンのピーター・グライムスのアメリカ初演などで頭角を現し、1950年代初頭から20年以上に渡ってメトロポリタンオペラで活躍したそうだ。
オペラに興味が無いのでマーラー以外では接する機会がなかったし、今後もあまりなさそうだが、久々に歌声を聴いて、声を覚えていたわけではないだろうが、自然と聴き入ることが出来た。

2012年2月24日金曜日

マゼールとツィンマーマンのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスの、いわゆる3大協奏曲以上に素晴らしいと思っているが、ズッカーマンとメータ指揮イスラエルフィルの録音で満足しているので、あとはグリュミオーのものぐらいしか持っていない。アナログ時代はマゼールとクレーメルのLPを持っていた、というか、発売されてすぐに飛びついた様に覚えているが、あれはどうにも好きになれなかった。今となっては何故かはわからないが。

そんなマゼールのチャイコンを30年ぶりぐらいに入手した。とは言ってもソロはクレーメルではなく、神童と呼ばれたフランク・ペーター・ツィンマーマン。ソリストが変わって、どうだろう。ジャケットのデザインはかなり適当と言うかひどいと思うが、中身はそんなことはないだろう、と、聴いてみる。



端的に言うと、才気が迸る。切れ味が鋭い。ソロはくっきり浮かび上がって聴こえるが、オケはEMIらしく曇っているので、尚のことツィンマーマンの奏でる音ばかりきりきりと切れ込んでくるように感じられる。これはこれで素晴らしいのだろうが、自分がこの曲に求めるものとは少し違う。もっと軽やかだったり温かだったりしてほしい。
が、カップリングのプロコフィエフの1番では、そうした特徴が良い方に出て、非常に良かった。より現代的な曲調に、鋭いソロがぴったりとマッチしている。このアルバムではこちらがメインと考えたほうが良さそうだ。

2012年2月23日木曜日

ブルーノ・ワルターのマーラー作品集。

SONYの廉価ボックスセットのシリーズから、ブルーノワルター指揮のマーラー作品集が出るというので、予約しておいたのが届いた。当初の発売予定日が2週間ほど遅れると言う案内があったが、実際には一週間遅れほどで発売され、届いた。

もともと、1980年代、学生時代にワルター指揮のLPレコードでマーラーに入門したのだが、当時持っていたのは、1番、2番、大地の歌、残るひとつがうろ覚えだが9番だったか。白地にワルターのサインをあしらったジャケットがなかなか良かった。しかし、LPレコードを何度も裏返し、入れ替えるのが面倒なのと、こちらの理解力がまだまだだった所為か、聴くのはコロンビア響との1番ばかり、時々大地の歌も、と言う程度だった。
今回リリースされたのは、まさに当時持っていた一連の録音で、CDに移行してから、また、マーラーをよく聴くようになってから、未聴のものを優先して聴いて来たが、そろそろ食指が動くものが尽きつつあるタイミングで発売されたので、飛びついてしまった。結婚した時にアナログレコードはすべて売り払ってしまったから、以来約20年振りの再会だ。



収録されているのは以下の録音。

1番/1954年/NYP(MONO)
1番/1961年/コロンビア響
2番/1958年/NYP
4番/1945年/NYP(MONO)
5番/1947年/NYP(MONO)
9番/1961年/コロンビア響
大地の歌/1960年/NYP

これに「さすらう若人の歌」、「若き日の歌」が加えられている。1番の古い方と4番、5番はモノラルだ。5番はDocumentsレーベルのオムニバス全集に収められているのと同じだろう。これらは歴史的価値を聴くものだろうから、あまり気が乗らないが、ステレオ時代の録音だけでも価格以上の価値があるセットと言えるだろう。大地の歌と9番は、これまでに何度か単品で買いそうになっていたのを買わずに来たので、これでようやく精神的に落着ける。
さて、どういう順番で聴くか。先にモノラルと歌曲を済ませて、その後に2、1、大地、9番と言う順番で行こうか。

2012年2月22日水曜日

シャーロック・ホームズもの、「バスカヴィル家の犬」など。

相変わらず、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものを読み続けている。
まず3冊読んで、刊行順に。



4番目に刊行された「シャーロック・ホームズの思い出」は、これで一旦シリーズ終了と言う短編集。末尾に収められた「最後の事件」で、ドイルはホームズとおさらばするつもりだったようだが、ファンがそれを許さず、「バスカヴィル家の犬」が世に出た。ただし、「バスカヴィル家の犬」は「最後の事件」よりも前の出来事として書かれているので、ホームズが"帰って来た"わけではない。
このことには何となく、ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズで、一旦それでシリーズが終わってもおかしくなかった「八百万の死にざま」の次に、過去を回想した「聖なる酒場の挽歌」が刊行されたことを連想させられたが、ま、関係ないだろう。

それは兎も角、小学生の頃に読んだホームズもので一番良く覚えているのが、短編なら「まだらの紐」、長編ならこの「バスカヴィル家の犬」で、事件の核心が分かっている状態で読んでいるのだが、そこまでの描写にはすでに忘れてしまっている部分も非常に多く、思っていたよりも楽しく読み進めることが出来ている。

2012年2月19日日曜日

バーンスタインの昔のマーラー全集。

バーンスタインのソニー時代のマーラー全集が、3月に格安で再発売される。12枚組みで、予約価格では、大体2千円前後。HMVではすでに予約数完売となっている。



10番アダージョを含み、大地の歌は無し。2番、3番以外は1枚に収まっている。8番がロンドン響、おまけの亡き子を偲ぶ歌がイスラエルフィルで、他は全てNYPとの録音だ(以前からある大地の歌を含むセットでは、大地の歌はイスラエルフィルだったような気がする)。
ウィーンフィルとのブラームス、ベルリンフィルとのマーラー9番、NYPとのタコ5など、バーンスタインとの相性はあまりよくないように思う。が、NYPとのチャイコフスキー全集は面白く聴けるので、悪くないかもしれない。何しろ値段が値段だから、失敗してもあまり痛くない。とりあえず予約しておこう。

2012年2月18日土曜日

ロストロポーヴィチとオーマンディのショスタコーヴィチ、チェロ協奏曲第1番。

ロストロポーヴィチのソロ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管による、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。1959年、世界初録音だ。



タワレコの店頭で偶々見つけたもの。ジャケットはオーマンディとタコさんの2ショットだ。録音については持ってはいなかったものの存在は知っていたが、ジャケットはamazonのリンク先で見られるのと同じ、地味な演奏風景のものしか知らず、手にとって何だこれ、と目をむき、オーマンディとタコさんの笑顔につられて買わずにいられなかった。
チェロ協奏曲第1番では、ハインリヒ・シフとマクシム指揮バイエルン放送響のもの、バーンスタインの5番にフィルアップされたヨーヨー・マとオーマンディ指揮フィラデルフィア管のもの、トルルス・モルクとヤンソンス指揮ロンドンフィルのもの、これぐらいしか持っていない。
それらと比べると録音の古さはさておききりっと引き締まった演奏で、同じ指揮者とオケでのマのようなひらひらした軽さは無いが、ロストロさんにしては重くなくて良い。

2012年2月16日木曜日

ハイティンクのショスタコーヴィチ全集。

コンドラシンの次に入手した全集が、ハイティンクのもの。コンドラシンとモスクワフィルの全集を一通り聴き終え、久々にこちらを聴いている。

   

やはり音がよろしい。5番の何処かでちょっとぐしゃっと歪んでいる部分があったが、そういったわずかな疵は兎も角、音場の広がり、音の鮮やかさ、空気感など全く違う。1番から4番、7、9、10、15番がロンドンフィルとの録音、5、6、8、11から14番がコンセルトヘボウ管との録音で、二つのオケにまたがっているが特に違和感は無い。金管が耳に刺さって痛いなんてことも無く、落着いて音楽と対峙できる安心感がある。ソヴィエトの音楽らしい破壊力は余り無いが、堂々たる演奏で、非力だったり繊細過ぎたりもしない。至極真っ当と言うか、入門にもふさわしいと思う。

2012年2月14日火曜日

コンドラシンのシェエラザード。

シェラザードなのかシェエラザードなのか、シェヘラザードというのもあるか。まあ、元々が日本語ではないので正解と言うのは無いのだろうが、表記に困る。



コンドラシンとコンセルトヘボウ管の録音は、高校時代に友人が持っていて素晴らしいと言っていたもの。アナログ時代持っていたのはマゼールとクリーブランド管(だったような気がするが?)のLPだttが、CDに移行してから買いなおすにあたり、コンドラシン盤を選んだのだった。今出ているディスクにはボロディンの2番がフィルアップされているようだが、手持ちのものはシェエラザード1曲のみで、ちょっと余白がもったいない。
ヴァイオリン・ソロは高名なコンマスのヘルマン・クレバース(この名前もクレッバース、クレベルスと、色々な表記がある)で、壮大なスケール感を持ったオケの音に対し、繊細で美しいソロが対比の妙を生んでいる。
久々に聴いたが、つい先日までコンドラシンのショスタコーヴィチ全集を聴いていて、しばしば録音の疵に閉口していたためか、コンドラシンがショスタコーヴィチをコンセルトヘボウ管と録音(もちろんフィリップスの録音で)してくれていたらさぞ面白かったろうにと、ちょっと残念な気になった。
もっとも、無いものねだりをしても仕方が無いし、コンセルトヘボウ管のショスタコーヴィチと言えば、ハイティンクの全集の中のいくつかがそうであり、あれはあれで素晴らしいものだから、今度はあっちを聴いて見ようかとも思う。

2012年2月13日月曜日

最も偉大なシンガーはロッド・スチュアート。異論は認める。

ローリング・ストーン誌のサイトに、色々なランキングが載っている
曲のベスト500、アルバムのベスト500、2000年代以降のアルバムベスト100、最も偉大なシンガーベスト100、最も偉大なギタリストベスト100、ビートルズの曲ベスト100といったところ。選考方法はわからない。

シンガーと言うと思いつくのはこんなところか。順位を調べてみた。

エルヴィス・プレスリー(3)
サム・クック(4)
ジョン・レノン(5)
オーティス・レディング(8)
ポール・マッカートニー(11)
ミック・ジャガー(16)
フレディ・マーキュリー(18)
ロッド・スチュアート(59)
ロジャー・ダルトリー(61)
ロニー・スペクター(69)
フランキー・ヴァリ(80)
ダレーン・ラヴ(84)
スティーヴン・タイラー(99)

デル・シャノン、ベン・E・キング、ジョーイ・ラモーン、イアン・ギラン、デヴィッド・カヴァデール、グラハム・ボネット、ロブ・ハルフォード、と言った名前も頭に浮かんだが(浮かんでくる名前がそもそも偏っているようで同時に脈絡も無くおかしい気がするが)、100人のうちに入っていないようだ。
ロック系のみならずR&Bもポップシンガーも含めてのランキングであり、あくまでアメリカでの評価だから当然のことだろうが、自分の感覚とはずいぶん違うので面白い。アレサ・フランクリンが1位で、2位レイ・チャールズ、マーヴィン・ゲイが6位、9位スティーヴィー・ワンダー、10位J.B.。サム・クックとオーティスを加えるとベスト10中7人が黒人、R&B系が圧倒的に優勢だ。
自分なら、どうするか。もっとも好きな、では無く、最も偉大なシンガーと言うことであれば、ロッド・スチュアートだろうか。ソロの作品は持っていないしヒット曲以外はまともに聴いたことも無く、ジェフ・ベックがらみのアルバムで歌っているのを持っているだけだが、最高と言うか、最強だと思う。別れたとはいえ後にPeople Get Readyでベックと組んだときの歌唱も素晴らしかった。



老いてなお衰えず、何かのアワードでPeople Get Readyを歌っているのを見て聴いて驚いた。好き嫌いを超えて、上手いのはもちろん、これほど質、量ともロックミュージックにふさわしい声の持ち主はいないのではなかろうかと思わずにいられない。

2012年2月12日日曜日

シャーロック・ホームズもの、「緋色の研究」など。

少し前にNHKでBBC制作のシャーロック・ホームズのドラマが放映されていて、家内がはまって録画を見返している。
コナン・ドイルのホームズものは、小学生の頃に、偕成社だったかポプラ社だったかのシリーズを読んでいたが、それ以来読み返したことが無い。で、ふと思い立って文庫で読み直し始めた。



数社から翻訳が出ているが、どこでも手に入りやすい新潮文庫を選んだ。覚えている部分もあり、そうでない部分もあるが、けして子供向きと言うわけではない。そこそこ作品数もあるので、しばらく楽しめそうだ。

2012年2月9日木曜日

コンドラシンのショスタコーヴィチ3番、6番。

コンドラシンのショスタコーヴィチ全集、久々に全曲聴き直してきたが、残りは2曲となった。



3番は、単一楽章で合唱が入る、2番とほぼ同じ構造の曲。「メーデー」という題が与えられていて、この点でも、体制を賛美する2番と色合いが近い。しかし、メーデーと言う労働者に身近なテーマを備えたためか、前衛的な部分が抑えられ、多少は聴きやすい音楽に仕上がっている。

6番は、何度も何度も聴いているのだが、これと言った印象が残らない。それはけしてコンドラシンの所為ではなく、他のディスクも聞きながらの話だ。たまに聴くと、印象的な場面はあれこれあるので、何故なのか、よく判らない。
第一楽章は冒頭から美しいようで暗鬱な展開。ハイティンクあたりより、すいすいと進む。第二楽章で賑やかになってきて、終楽章は軽妙さ、ひょうきんさまで加わって賑々しく終わるのだが、全般にテンポを余り落とさず、打楽器をビシビシ決め、硬質な演奏となっている。それ自体は、非常に良いのではないかと感じた。しかし、残念なことに低音域は歪んでいて、特に太鼓の音はぐしゃぐしゃで聴くに堪えない。

2012年2月8日水曜日

コンドラシンのショスタコーヴィチ1番、2番。

ショスタコーヴィチの初期の交響曲は、と言っても3番までだが、いかにも新進気鋭の作と言う感じで現代的、裏返せば青臭く恣意的でもある。この流れでひとつの頂点に達したのが4番と考えれば、期待の若き天才が、非社会主義的な、形式的で退廃した資本主義社会的で、人民の理解を超えた方向へ走っていくことを当局が認められなかっただろうことは理解できる気がする。



1番は19歳時の作品、学校の卒業制作だったそうだ。マーラーの1番が確か28歳のときだったと思うが、完成度は比べられないけれど、ともかくこの天才ぶりは凄まじい。
第一楽章は不安げな旋律に導かれ物憂い感じだが第二楽章のスケルツォなど、流石ショスタコーヴィチと言うべき、フレーズのかっこよさが既にある。そう、他の現代の作曲家との違いは、不協和や晦渋や無調を纏いつつも、かっこよさや美しさを何処かにちりばめ、苦痛だけに終わらない音楽を構築している点なのではあるまいか。それは人民のために配慮せねばならなかったためで、本意ではなかったのかもしれないが。

2番は革命賛美の標題音楽で、しかし、より前衛的で、始まってしばらくは小さな音でミュージック・コンクレートの如き様相。ビートルズのレヴォリューションNo.9をオーケストラが真面目にやっている感じ、と言えばわかりやすいだろうか。そうした前衛的な手法が批判の対象にならなかったのは、その部分が革命以前の圧政を表現しているからだろう。
それでもやがて主旋律らしきものが乗っかってくると、それはそれなりにただの前衛(あるいは騒音)でなくクラシック音楽らしい雰囲気が醸し出される。単一楽章に合唱つきと、交響曲としての組み立て的には変わった作品ではあるが、後半になって合唱が加わると愈々耳で追いやすくなり、それなりに聴き続けて聴き終えてしまえる。まあ、こんな風に全集を聴こうと言う機会でもない限り、進んで聴かない曲なのだが。

2012年2月7日火曜日

モータウンがらみで「ドリームガールズ」。

12月からauのTVサービスを利用している。CATVより料金が遥かに安いのは良いのだが、HD放送のチャンネルがほとんど無い。ムービープラスぐらいだ。

そのムービープラスで「ドリームガールズ」が放映されていた。R&Bの歴史に残るガールグループであったシュープリームス、後にダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスとなる3人組の、下積み時代から解散までの実話を下敷きにしたブロードウェイミュージカルの映画化作品だ。以前、国際線の機内で上映されているのを、眠りから束の間目を覚ましたときに数分だけ観たような気がするが(夢だったのかもしれないが)、それきりちゃんと観ていなかった。今で言うところのセンターであったダイアナよりも実力的に上だったとされるフローレンス・バラードというメンバーがいて、会社のダイアナ押しに反発して脱退、困窮の末に若くして亡くなってしまう、というのが史実で、そのあたりのざっくりとした経緯は知っていたものだから、観て見たい気もするが精神的ダメージを負いそうに思っていた。それでずっと敬遠していたのだが、録画してさっと流し観してみた。



結果、観て良かった。ストーリーに関しては史実の通りではなく、後味の悪さは無かった。何より素晴らしいと思ったのはダイアナをモデルにしたディーナ役のビヨンセ・ノウルズ、元々顔立ちも近づけられそうだと考えてキャスティングされたのではないかと思うが、振り付けの仕草等、あらゆる場面でダイアナ・ロスに見えて仕方が無かった。そして一方、フローレンスをモデルにしたエフィ役のジェニファー・ハドソンの歌唱力というかパンチ力が凄まじく、実力はありながら冷遇され去っていく役どころに説得力を持たせている。観終わってから調べたらこの人は「アメリカン・アイドル」の出身だそうで、たいしたもんだと驚いた。加えて、ダニー・グローバーが歳をとっていかりや長介に益々似てきているのもちょっと面白かった。
ジェイミー・フォックス演じる社長の悪徳経営者ぶりは、モータウン・レコードの社長であったベリー・ゴーディJr.の実像にほぼ近いと言われ、故に名誉毀損だかなんだかで裁判にまでなったようで、モータウンの歴史(脚色されているが)を裏側から眺める意味でも価値のある作品だろう。
それと、序盤で登場人物たちの会話に、ジャズもブルースもあれもこれも、白人に盗まれた、という台詞があって、盗んだ連中の歌を聴いて喜んでいる身としては複雑な気分になった。

2012年2月6日月曜日

ブリティッシュ・ビートとモータウンとかR&Bとか。

DAPにはクラシック以外の音楽も入れてある。今入っているのは、
・ビートルズの1枚目~4枚目
・スモールフェイセスの1枚目~3枚目
・フーの1枚目~3枚目とBBCセッション
・ゾンビーズの1枚目
で、これらの中から選抜した曲でクイックリストと言うものを作っている。所謂プレイリストだ。何の気なしにリストは作っているのだが、聴いていると何か偏りがあるような気がしてきて、整理してみたくなった。

Beatles:Baby It's You
Beatles:All I've Got to Do
Beatles:All My Loving
Beatles:You've Really Got a Hold on Me
Beatles:Not A Second Time
Small Faces:Shake
Small Faces:Sha-la-la-la Lee
Small Faces:What's A Matter Baby
Small Faces:Runaway
Small Faces:My Mind's Eye
Small Faces:Hey Girl
Small Faces:All or Nothing
Small Faces:You've Really Got a Hold on Me
The Who:La La La Lies
The Who:My Generation
The Who:The Kids Are Alright
The Who:I Can't Explain
The Who:Anytime You Want Me
The Who:Substitute
The Who:Pictures of Lily
Zombies:You've Really Got a Hold on Me
Zombies:She's Not There
Zombies:Leave Me Be
Zombies:Tell Her No
Zombies:Whenever You're Ready
Zombies:I Love You
Zombies:Indication

Baby It's Youはバート・バカラック作だが歌ったのはR&Bガールグループの先駆者とも言うべきシュレルズ。Shakeはサム・クック、Anytime You Want Meはガーネット・ミムズ。3種類入れているYou've Really Got a Hold on Meは言わずと知れたミラクルズの傑作で、ゾンビーズのカヴァーでは後半サム・クックのBring it on Home to Meへのメドレーとなる。どれも素晴らしい。
オリジナル曲でも、ビートルズのAll I've Got to DoやNot A Second Timeはモータウンサウンドの影響が多大と言われている。フーの場合は、濃すぎるのでリストに加えていないが、ファーストアルバムでのジェームズ・ブラウンのカヴァー2曲が恐ろしいほど良いし、セカンドアルバムにもモータウン最強のチームであったホーランド=ドジャー=ホーランド作の「恋のヒートウェーヴ」があるしで、そもそもR&B色はかなり濃い。
初期のストーンズなんかはR&Bからさらに遡ってブルーズ色が濃いのだが、そこまで行くとちょっと違うな、と感じてしまう。また、もう少し後の時代の、アレサ・フランクリンやオーティス・レディングが出てきて、アメリカ軽音楽史の中でR&B、ソウルがブラック・エクスプロイテーションの文脈で語られる時期になってからの音楽も、中には名曲もあるけれどしっくり来ない。1950年代末から60年代初頭のR&Bの、英国のグループによるカヴァー(恐らくはオリジナル以上にカヴァーが)と言うのが、絶妙な化学反応を起こし、脳内麻薬の呼び水になっているのだろう。

2012年2月4日土曜日

コンドラシンのショスタコーヴィチの5番。

ショスタコーヴィチに興味を持ったのは、FM雑誌の広告で見た(見ただけで聴いていない)、バーンスタイン指揮NYPの、東京文化会館でのライヴLPが最初だったと思う。1980年だったか、そこのところは定かでない。
デジタル録音が出始め、話題をさらっていた頃で、DENONはPCMでスメタナ弦楽四重奏団のドヴォルザークや、スイトナー指揮のベートーヴェンのシリーズを発売し、SONYはこの5番や、メータのツァラトゥストラを次々に繰り出していた。輸入盤ではTELARCがダイナミックレンジの広さで驚愕を持って迎えられていた。
色々と手に入れたくなるディスクがあって、こっちはクラシック入門者で、しかも使える金は豊富でなく、ローリング・ストーンズやヤードバーズやドゥー・ワップなども並行して追わねばならず、バーンスタインの5番は後回しにし、やがて忘れた。
ショスタコーヴィチのことをふと思い出したのは、90年代、CDを少しづつ買い始め、結婚して引っ越すついでにアナログ盤を売り払い、クラシックを再び聴き始めてからだった。まだアメリカ村に店舗があったタワーレコードで、コンドラシンの5番を手に取った。ジャケットのデザイン、シンプルに抑えた配色、書体など、ほぼ見た目だけで惹きつけられた。



そして以後、計10枚となる全集の分売を、ぽつりぽつりと揃えていくことになる。その時はボックスセットは見かけず、揃えて暫くしてからショスタコーヴィチの自演録音の特典ディスクを含めたセットが出ているのを発見した時はちょっと悲しかった。

あらためて聴くと言う感じではなく、この録音はしばしば聴いているので、特に感想と言うものが無い。コーダのトゥッティで音が潰れているのがどうしようもなく残念だが、それを除けば録音は我慢できる範囲。演奏に関してはこれが自分にとって5番の基準なのだから文句の言いようが無い。ムラヴィンスキーの終楽章が速すぎると感じ、バーンスタインはもっと速すぎで笑いそうになり、アンチェルの設定に違和感を感じるのもすべて、この録音を物差しとしているからだ。全曲を通じてエネルギーは満ちているが、妙なところ、恣意的に臭いところが無く、けして過剰に盛り上げようとはしない。終楽章もゆっくりと始まり、コーダも速くならず、爆発はするが、ペースは落着いている。社会主義体制の勝利とか言った妙な華やかさは無く、かといって「証言」以後の「強制された歓喜」とも当然無縁だ。古典回帰した交響曲の終楽章として当たり前のように盛り上がるだけだ。
他の曲の印象も合わせて考えてみるに、コンドラシンこそ、すでにソヴィエト時代において、イデオロギーだの何だのを拭い捨ててショスタコーヴィチに純音楽的アプローチを行った先駆者だったのではなかろうか、なんて大層な事を考えてしまう録音だ。

2012年2月3日金曜日

コンドラシンのショスタコーヴィチ、13番と14番。

ショスタコーヴィチの13番と14番、ともに創作期間の後期の作で、歌唱を含んでいる。しかしながら、マーラーの歌入りの交響曲ほどには、人気も無く世評も勝ち得ていないように見える。
実際、あまり、好んで聴くことが無く、たまに聴いても、なかなか良さが判らず困る。



どうしても、詞が歌われるために、言葉の意味と言うものが付き纏う。歌が無ければ、曲想についてはすっとぼけることもこじつけることも出来るだろうが、歌詞はそのまま聴き手に伝わるから、危険を冒すことは出来ない。
が、13番でショスタコーヴィチは危険を冒した。手直しはしたものの、それでもなお当局を批判していると受け止められるであろう歌詞で世に出した。ムラヴィンスキーは圧力を受けたそうで初演の指揮を断り、コンドラシンが依頼を受けた。1962年のことだ。妨害を受けつつも何とかなったそうだが、スターリン存命中であったら、流石にこんなことは出来なかったのではないかと思う。この録音はそのときのものではなく、後のセッション・レコーディングだ。

14番にはそのような重さは無い。13番は合唱だがこちらは独唱なので、その点でも軽さを帯びている。11楽章に細かく分かれた構造で、実験的な現代音楽らしい聴きにくさが解消されている辺りは流石と言うべきなのだろう。 

しかしこの両曲、やはり好んで聴くことができず、気持ちが入らない所為か、良し悪しを判断することも出来ない。生きている間に、いつか理解できるのだろうか。

2012年2月1日水曜日

コンドラシンのショスタコーヴィチ15番。

わけのわからぬうちに終わってしまう、ショスタコーヴィチの最後の交響曲。ベートーヴェンやマーラーの最後の作品は、作曲家自身がそれが最後になると意識して欠いたかどうかに関わらず、結果としてそれらしい偉大さ、スケール感や荘厳さを備えているが、この曲にはそんなものは無い。ウィリアムテル序曲その他の引用ばかり印象に残り、なんだか化かされている様な不思議な曲だ。



ここでもコンドラシンとモスクワフィルは、淡々と丁寧に音を紡ぎだす。録音は全集の中では最も良いのではないかと思え、特に管楽器の中高音が滑らかで美しい。全編を通じて過剰に盛り上がるところが全く無く、どうなっていくのだろうと聴いている内に、有耶無耶に終わってしまう。そういう曲なので、これで良い、と言うか、こうあるべきなのだろう。社会主義体制に順応して人民のための芸術を生み出した、なんてことは一切無い、一癖も二癖もあるしたたかな芸術家が、最後の最後に肩透かしと言うか謎かけだけして去ったのだ。
でも、そんな曲でありながら、現代音楽的な晦渋さや訳の判らなさに戸惑うことなく聴き通せるあたり、ショスタコーヴィチは凄いと、あらためて思う。