コンドラシンのショスタコーヴィチ15番。

わけのわからぬうちに終わってしまう、ショスタコーヴィチの最後の交響曲。ベートーヴェンやマーラーの最後の作品は、作曲家自身がそれが最後になると意識して書いたかどうかに関わらず、結果としてそれらしい偉大さ、スケール感や荘厳さを備えているが、この曲にはそんなものは無い。ウィリアムテル序曲その他の引用ばかり印象に残り、なんだか化かされている様な不思議な曲だ。



ここでもコンドラシンとモスクワフィルは、淡々と丁寧に音を紡ぎだす。録音は全集の中では最も良いのではないかと思え、特に管楽器の中高音が滑らかで美しい。全編を通じて過剰に盛り上がるところが全く無く、どうなっていくのだろうと聴いている内に、有耶無耶に終わってしまう。そういう曲なので、これで良い、と言うか、こうあるべきなのだろう。社会主義体制に順応して人民のための芸術を生み出した、なんてことは一切無い、一癖も二癖もあるしたたかな芸術家が、最後の最後に肩透かしと言うか謎かけだけして去ったのだ。
でも、そんな曲でありながら、現代音楽的な晦渋さや訳の判らなさに戸惑うことなく聴き通せるあたり、ショスタコーヴィチは凄いと、あらためて思う。

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