コンドラシンのショスタコーヴィチ、13番と14番。

ショスタコーヴィチの13番と14番、ともに創作期間の後期の作で、歌唱を含んでいる。しかしながら、マーラーの歌入りの交響曲ほどには、人気も無く世評も勝ち得ていないように見える。
実際、あまり、好んで聴くことが無く、たまに聴いても、なかなか良さが判らず困る。



どうしても、詞が歌われるために、言葉の意味と言うものが付き纏う。歌が無ければ、曲想についてはすっとぼけることもこじつけることも出来るだろうが、歌詞はそのまま聴き手に伝わるから、危険を冒すことは出来ない。
が、13番でショスタコーヴィチは危険を冒した。手直しはしたものの、それでもなお当局を批判していると受け止められるであろう歌詞で世に出した。ムラヴィンスキーは圧力を受けたそうで初演の指揮を断り、コンドラシンが依頼を受けた。1962年のことだ。妨害を受けつつも何とかなったそうだが、スターリン存命中であったら、流石にこんなことは出来なかったのではないかと思う。この録音はそのときのものではなく、後のセッション・レコーディングだ。

14番にはそのような重さは無い。13番は合唱だがこちらは独唱なので、その点でも軽さを帯びている。11楽章に細かく分かれた構造で、実験的な現代音楽らしい聴きにくさが解消されている辺りは流石と言うべきなのだろう。 

しかしこの両曲、やはり好んで聴くことができず、気持ちが入らない所為か、良し悪しを判断することも出来ない。生きている間に、いつか理解できるのだろうか。

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