コンドラシンのショスタコーヴィチ1番、2番。

ショスタコーヴィチの初期の交響曲は、と言っても3番までだが、いかにも新進気鋭の作と言う感じで現代的、裏返せば青臭く恣意的でもある。この流れでひとつの頂点に達したのが4番と考えれば、期待の若き天才が、非社会主義的な、形式的で退廃した資本主義社会的で、人民の理解を超えた方向へ走っていくことを当局が認められなかっただろうことは理解できる気がする。



1番は19歳時の作品、学校の卒業制作だったそうだ。マーラーの1番が確か28歳のときだったと思うが、完成度は比べられないけれど、ともかくこの天才ぶりは凄まじい。
第一楽章は不安げな旋律に導かれ物憂い感じだが第二楽章のスケルツォなど、流石ショスタコーヴィチと言うべき、フレーズのかっこよさが既にある。そう、他の現代の作曲家との違いは、不協和や晦渋や無調を纏いつつも、かっこよさや美しさを何処かにちりばめ、苦痛だけに終わらない音楽を構築している点なのではあるまいか。それは人民のために配慮せねばならなかったためで、本意ではなかったのかもしれないが。

2番は革命賛美の標題音楽で、しかし、より前衛的で、始まってしばらくは小さな音でミュージック・コンクレートの如き様相。ビートルズのレヴォリューションNo.9をオーケストラが真面目にやっている感じ、と言えばわかりやすいだろうか。そうした前衛的な手法が批判の対象にならなかったのは、その部分が革命以前の圧政を表現しているからだろう。
それでもやがて主旋律らしきものが乗っかってくると、それはそれなりにただの前衛(あるいは騒音)でなくクラシック音楽らしい雰囲気が醸し出される。単一楽章に合唱つきと、交響曲としての組み立て的には変わった作品ではあるが、後半になって合唱が加わると愈々耳で追いやすくなり、それなりに聴き続けて聴き終えてしまえる。まあ、こんな風に全集を聴こうと言う機会でもない限り、進んで聴かない曲なのだが。

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