大阪万博についてのメモ
1970年の万博は見に行ったが、アメリカ館の行列が強烈で月の石を見るのを諦めたり、エキスポランドのジェットコースター「ダイダラザウルス」に乗って左右の揺れで耳を打って痛みに泣いたり、ネガティブな記憶しか残っていない。満6歳になる前のことだからそんなものだろう。
2025年の大阪・関西万博については、そもそも見に行く気はなく、批判的な見方をしているのは確かだが、世間の声には疑問も感じている。
・「赤字」だと言われるが、そもそも営利事業ではないだろうから、「赤字」ということは無いのであって、このような批判はおかしいというか、的外れではないか。
・ただし、公の金で行うものであるから、その使い方におかしいところがあれば、主権者たる国民として文句を言うべきではあるだろう。
とは言え、例えば「トイレが2億円」だと大騒ぎしているけれど、配管やらどこまで含む金額なのか、何か所設置されているのか、ひとつ(一部屋?一人分?)当たりの金額に換算してそれでも法外な金額のものなのかわからない。2億円という数字だけ独り歩きさせて、批判したいがための批判をしようとしていやしないか?
・ガイドブックに未完成のイラストが掲載されていた件も、万博協会を批判するのはお門違いだろう。手書きイラストの最終形は出来上がるまで誰も見ていないわけで、最終の校正を回覧したとて、グラフィックデザインや印刷のプロではない協会の人間が、このイラストは未完成だと判断できるわけがない。単純に発行元のミスでしかないものを、万博全体の問題であるかのように指弾するのはおかしい。
・それよりも、例えば木造リングが「釘を使わず」と言いつつボルトとナットは使っていることなんかの方が余程問題ではないか。「釘を使わない」と謳うことで、日本の伝統的な木造建築技術、木組みを駆使して作られているかのように誤認させようとしているでしょ?
こういうのって、コロナ禍の「イソジンで予防できる」とか「大阪でワクチン開発する」とか、とにかく大本営発表さえしておけば、あとは実態が伴わなくても白を切る、大阪維新の常套手段だよね。実態と宣伝文句の乖離、ごまかし、ミスリード、こっちの方が2億円トイレよりも余程不愉快に感じる。全国の宮大工さんを集めるとか地元大阪府下にある「宮大工養成塾」とコラボするとか、歴史ある日本の木造建築にチャレンジする方法はあっただろうし、それでレガシーと呼ぶにふさわしいものができるのであれば、もっと予算がかかってでもやる価値があっただろうに。
それなのに、この胡散臭い建築を「レガシーとして残すべき」と叫ぶ国会議員まで出てくるのだから、不快どころか情けなくなってくる。自民党はもうだめかも知れない。
・とはいえ、行く気にはならない最大の理由は、そんなことより何より、安全性に対する不安だ。
会場は埋立地で、土壌には放射性セシウムやPCB(久しぶりにこの言葉を聞いて懐かしくなった)が含まれているという。
それだけならまだしも、万一昨今話題のメタンガスが爆発した場合、そんな汚染された土が巻き上げられて、頭から浴びるかもしれないのである。公害が問題になっていた時代にコンビナートのある街で育った―光化学スモッグの発生で小学校が半日休校になった経験もある―せいか、こういうのは非常に怖いと感じてしまうのだ。
さて、開幕を3日後に控え、ようやく海外各国のパビリオンがメディアで紹介され始めた。なかなかに面白そうな気配が漂ってきたが、それでも不安を打ち消すには至らない。だが、始まってみれば多くの人が訪れるのではないかとも思えてきた。
そういえば、その昔、万博会場近くの某テーマパークの建設が決まったころ、あそこは工場の跡地で土壌は六価クロムなど有害な物質で汚染されているという噂があったが、いつの間にか消えていった。多分今は誰もそんな噂は知りもしないだろう。私はいまだにあのテーマパークには一度も行っていないが。
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