呪いの木札

私は霊が見えるとかそういうことを言う人間を信用しない。呪いだの祟りだのあるわけもないと考えている。そのうえで、論理的、科学的に腑に落ちない出来事も世の中にはあって、それを超自然的なものと捉えたくなる人の心というものも肯定はしないが共感はできて、怪談奇談というかたちでそれを楽しむのは面白いと感じている。

それで、ここ数年、主にYoutubeを介してだが、怪談を聞くことが多い。落語講談の怪談とは異なり話者自身が取材して語る「実話怪談」というものが、ジャンルとして確立されてきており、語り手として上手い人もいれば、取り上げる題材がユニークな人もいたり、なかなかに面白い。

そんな怪談界隈で、世間には全く知られていないようだが大事件が起きている。ジャニーズの問題に比べれば小さな小さなニュースだろう。

ある名も知られ人気も高い配信者が、東日本大震災を扱った映画のノベルティとして、震災からの復興を祈り、観客への感謝の気持ちを込めて生み出された木札を、裏取りをせぬまま事実と異なる来歴の、持ち主に障りを催す「呪物」として紹介し、ことが露見して問題になると、ひたすら謝罪はするものの、ものの来歴は別の人間から吹き込まれたものだと弁解し(かつ、その人物と連絡が取れないという)、さらに、だけどこの木札を入手してから障りが起きているのは事実なんです、と言い放った。

そして、擁護する側の人々は、謝罪する姿勢を誠実だと褒め、木札を大切に扱ってきたいい人だと、わけの分からないことを言っている。呪物コレクターという肩書で金儲けしているのだから、呪物(という名の商売道具)を大切にするのは当然だろうが…。

怪談界隈の人たちを配信を通じて見て来て、外から見ているだけの人間のおおざっぱな感想だが、おおむね以下の4タイプに分けられるように思う。

A)好きが高じて

B)芸能人が芸として(落語、講談は別として)

C)作家の余技として

D)ビジネスで

BCとDは似て非なるもので、Bは話芸として、ネタの一種として怪談を扱っていて、また、同時にAでもある方が多いように思う。松原タニシさんなんかは北野誠さんにブッキングされてBで怪談界隈に関わり、「好き」というよりはもっとドライでアカデミックなスタンスだと思うが、Aに近い形で続けておられ、Cになりつつある。

Cは、そもそもAから作家というプロになっておられる方が、語りもやっておられるのであろうから、Dと言えばDだが根の部分はAだろうから区別したい。

Dは、個人的にはちょっと危険だと感じているが、根拠のない中傷になりかねないので詳しく書かない。

いま売れている人の多くはAで、BからAに行った人、あるいはその逆になりつつある人もいるだろうが、共通するのは好きで、自ら収集した(とされる)怪談を扱っていることだ。

例えば、田中俊行さんは表に出ているプロフィールを拝見する限り典型的なAだろう。

今回ことを起こしたはやせやすひろさんと並んで「呪物コレクター」として知られる田中さんだが、時折見せる御母堂との関係性を筆頭にまっとうな社会人とはいいがたい言動などが、怪談、オカルト、呪物に全振りした生き方の裏返しになっているように見えて、強く深い造詣、情熱を感じさせる。他はともかくオカルトに対しては誠実であると感じさせるのである。

それは田中さんだけの話ではなく、A(Cの方も同様)の方々に対し、視聴者や読者は、あちこちに足を運び己の目と耳で集めたというその熱意や行動力、それも、怪談とかオカルトなどという世間的には価値を認められないものにそこまでするのかと呆れる(これはジャンルを問わず、コレクターというものに対して門外漢が抱く典型的な感想でありむしろ誉め言葉だろう)ほどの情熱を感じとる。それが、彼らの語る怪談や、彼らが紹介する「呪物」に説得力を与えている。

はやせさんも、訛りの抜けきらない朴訥とした話しぶりも相まって、「好き」なのだろう、そして、好きなものに対しては真摯で誠実なのだろうと思わせてきた。しかし、少なくとも木札に関してはそうではなかったことが露呈した。

ものの来歴を第三者(「東北のライター」)から聞いたと弁明したのがまずかった。件の木札は非常に特徴的で、書かれている文言や絵柄など手掛かりは明確、Google検索で容易に来歴は明らかになるだろうものである。それなのに第三者から言われたまま、何も調べなかったのかとなると、早瀬さん自身の活動のスタンスがその程度のものだったと思われても仕方がない。あるいは逆に、事実をつかんでいたけど隠してネタにしていたとも考えられなくもないわけで、これだともっと悪質だということになる(すぐばれそうなのでさすがにないと思うが)。「東北のライター」自体が嘘だと思っている人もいるようで、そう思うのも無理はないから、どう転んでもまずい。人気を博した「祝祭の呪物展」にもその木札は展示されていたそうで、入場料を取るイベントであったわけだから、詐欺だと言われてもおかしくない。

さらにまずいのが次だ。

来歴はわかった、第三者の話を鵜呑みにして呪物扱いしてすみませんでした、でも、実際にこれを入手してから怪現象が身の回りで起こっています、と言ってしまった。

これを言うなら、映画のノベルティとして配布された後、この個体がどのような変遷で呪物化したのかまで調べました、というならまだわかる。それなら少なくとも怪談界隈のフィールド内では、物語、エンターテインメントとしては成立する。しかし現実にはそれなしで、「ただの映画のノベルティだけど祟るんです」と言っているだけだから、これはもう配信者やオカルト界隈の人間としての自身の存在価値を否定しているようなものだろう。

祈りや感謝を込めた木札が人に障るだろうか。もし本当に障るのだとしたら、それは、人の心がこもったものを呪物扱いし、金づる、食い物にしていることに対する戒め、罰ではないのか?

そんな嫌味を言いたくなるような事件で、怪談界隈の盛り上がりにも大いに水を差したように思う(さらに一部の同業の人たちと、ファンによる感情的な擁護が、界隈の「ムラ社会」化を匂わせ、なおのことマイナスイメージを振りまいている気もする)が、どう収束するのだろう。

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