【2日目】
東京の職場に、寺山修司記念館を訪ねたことのあるディレクターがいて、非常に良かったと言っていた。そして、三沢市内の観光スポットを巡るバスぐらいしか交通手段がなく、そのバスの本数が少ないため、バスのダイヤに合わせて行動することになるので、時間に余裕を持たせた方がよいというアドバイスをもらっていた。
そこで今回は、記念館に3時間以上いられるよう旅程を組んだ。
午前9時過ぎのバスに間に合うようホテルをチェックアウトし、バス停へ向かう。
米軍基地や、防衛関連の施設が目に入る。
恐山のあるむつ市は原子力発電所の町でもありところどころにその関連の補助金などが出ている様子がうかがえたが、三沢市もまた、防衛関連で補助を受けているのだろう。
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三沢は米軍基地の町だ |
基地にほど近い商業施設の前で無料のバスに乗り、三沢空港や航空科学館を経由して、20分ほどで寺山修司記念館に着く。建物は上空から見ると柱時計の形になっているそうだが地上にいてはわからない。
寺山の命日が5月4日で、おそらくは記念イベントなどもあったのだろうが、それが終わったばかり、落ち着いた状況での訪問となった。
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寺山修司記念館。右側で企画展示が、左で常設展示が行われている |
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寺山の詩歌などが外壁に散りばめられている |
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開催中の企画展は「手紙魔 寺山修司」 |
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常設展では教室のように並ぶ机の抽斗を開けて展示物を観る |
この記念館については多くの人がWeb上で語っているし、何より
オフィシャルサイトをみれば十分な情報がある。
そして、企画展の寺山の書簡や、常設の、並んだ一つ一つの机に向かい、抽斗に収められた展示物を観ながら、またここに来たいという思いが、今ここに来て観ているにも拘らず、どうにも高まって仕方がなかった。
だから、多くをここに記しておくことはすまいと思う。またいつか、訪れるつもりなのだから、記録は不要だ。
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空気女がいた
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くまなく見終え、裏口から外へ出て、「短歌の径」へ。人気のない森の中の細道を歩いていると、前方にキツネがいた。キツネはこちらを見て素早く姿を消し、私はなんだか寂しい気持ちになった。
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建物の裏には散策路「短歌の径」がある |
寺山修司の存在は知っていても、前衛、アングラ、あるいはあの有名な覗きでの逮捕など、奇妙な存在という認識だった。
だが、友人から競馬を教わり、あるいは短歌に興味を持つなどする過程で寺山の競馬予想―本格的に競馬を楽しむに至ったころにはとっくに寺山は亡くなっていたが―や詩歌に触れて、そこからさまざまな著作や映画にも手を出すようになった。
しかし今もなお、私にとって寺山の作品で最も愛すべきものは、短歌だろう。
ゆえに、濃密で趣向を凝らした館内の展示と打って変わって、さて次はどの歌が現れるのだろうとのんびり歩むこの小径の散策は、これはこれで何とも心地よいものだった。
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「短歌の道標」。指がさす順路に従い森を歩く |
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「田園に死す」の冒頭を思い出す |
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視界が開けた。これは小田内沼か? |
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寺山修司文学碑 |
およそ3時間半滞在し、企画展「手紙魔」にちなんで自分で自分にハガキを出す「アリバイ書簡」という企画に参加して、自分あてのハガキをしたため、受付の箱に投函し、外に出てバスを待った。
三沢駅から青い森鉄道で八戸へ、八戸で駅弁を買い、東北新幹線の車中で遅い昼食を摂って東京駅に着いたのは夕方。
新宿で夜行バスに乗ってから、約45時間の旅が終わった。
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