寺山修司記念館と恐山。その1。

今年の2月、生まれて初めて北海道へ飛んだ。

飛行機に乗っている間はそうでもなかったが、新千歳空港で札幌へ向かう鉄道に乗ると、窓外の雪景色に、北へ来たのだと実感させられた。

北へ向かうと小林旭の歌声が聞こえてくる。 もちろん実際に音楽が流れているわけではない。「北帰行」が、若いころの旭の甲高い声が、頭の中で響くのだ。

それから数カ月後の5月。今度は青森県を訪ねた。

初夏であり視界に雪はなかった。夜行バスでたどり着いた朝の三沢駅は地方都市の駅以上でもそれ以下でもなかった。しかし、北へ来たという感覚が、やはり旭の歌を思い出させた。渡り鳥シリーズでも、流れ者シリーズでも、青森が舞台になったことは無かったと思うが、旭なのだ。

何となく、寺山修司と小林旭に接点があるか。寺山の著作で旭に触れたものはあったろうか、そんなことが気になった。

この旅のひと月半ほど後、東京転勤を終えて久々に帰った大阪の自宅で、私は国文社の現代歌人文庫「寺山修司歌集」を手に取った。そこに収められた歌論のひとつ、「歌と望郷―石川啄木」の中で、寺山は旭が「渡り鳥」シリーズで演じた主人公、滝伸次について触れていた。

啄木の歌を愛している地方青年たちの感受性の底を流れているものは、例えば日活映画の「渡り鳥」シリーズの滝伸次という主人公を愛する心と『一握の砂』のページをめくる心が同質のものだと知ったときからはじまったのである。

それともうひとつ、両者は三上寛でつながっているような気がする。

三上寛は小林旭が好きで、「仁義なき戦い」シリーズのどの作品だったかに、「小林旭」という役名で出演していたはずだ。もっとも三上寛は、1960年代半ばに生まれた私にとってもそれほど親しい存在ではないのだが…。しかし「田園に死す」において春川ますみの空気女やクライマックスのあのシーンと並んで―それらと比べても彼の登場と行動がひときわ意味不明というか唐突であることにおいてだが―三上寛は強烈な印象を残している。

寺山修司記念館裏の散策路にて

そういえば今年の春、「田園に死す」のブルーレイディスクが発売されていたはずだ。注文しなければ。

そんなことを考えながら、青森旅行の記録を整理する。

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