寺山修司記念館と恐山。その2。

大阪の自宅を離れて7年ほど東京で働いていたが、いよいよそれも終わることになり、首都圏にいる間にやっておきたかったことをいくつか片付けようと考えていた。

あわただしくてほとんどは実現できなかったが、長く一度訪ねたいと考えていた、青森県三沢市の寺山修司記念館、そしてむつ市の恐山には、最優先で行くことにした。大阪に帰るとずいぶん遠くなるし、また、面倒くさがりの性分で行く気を無くしそうでもあったからだ。

行くべき場所は決まっていて、そもそもぶらぶらと観光するなどということが苦手であるから、GoogleフライトやYahoo乗換案内などを駆使して、旅程を考える。

ゴールデンウィークの混雑を避け、6月中には大阪へ引っ越すことを考えると、5月中が望ましいのだが、連休のある月だけにさらに有給休暇を取るのは難しく、土日で全旅程を終える必要がある。

しかし、三沢市の寺山修司記念館と、寺山が「ラスコーリニコフの斧」と表現した下北半島の斧の中心あたりにある恐山とは、鉄道とバスを乗り継いで2時間かかるほどの距離があり、しかもバスの本数は少なく、同日にめぐることは不可能だった。

それで、金曜の夜から夜行バスを使い、翌朝三沢についてすぐに恐山へ。夕方三沢に戻って、翌日は朝からじっくり記念館を堪能することにした。

【1日目】

土曜の朝、8時半過ぎに青い森鉄道の三沢駅前にバスが着いた。

駅のソバ屋で朝食に中華そばを摂って時間をつぶし、青い森鉄道でJR下北駅へ向かう。この便は直通だが、通常は野辺地駅で青い森鉄道からJRへ乗り換えるようだ。

乗車時間は1時間半弱、窓外はほぼ、田園風景か緑の野山かで、あまり風景を愛でるということのない身には、知らない土地に来たという高揚感以外の感慨が浮かばないまま、下北駅に着いた。

ここで下車する人はそれなりにいて、恐山行きのバスに乗る人もそこそこ。予想外に開けた市街地を抜けて、バスは山道に入り、40分ほどで恐山の山門前に着く。

すぐにバスが通り過ぎてきた道を引き返し、三途の川へ。「田園に死す」に出てきた場所だ。

山門に辿り着くより少し手前に、三途の川がある。
三途の川のほとりには、奪衣婆の像。懸衣翁の像も並ぶ
三途の川の橋は老朽化で渡れない。

渡れなくなった三途の川を前に、亡者はどうしているのだろうと考えながら、宇曽利湖のほとりを歩き山門へ引き返す。「恐山」と、我々は簡単にそう呼ぶが、そこは、「恐山」という名の活火山であると同時に「恐山菩提寺」という寺である。そして、霊場が面するカルデラ湖、宇曽利湖の「うそり」が転じて「おそれ」となったらしい。
霊場としては、よくできた名前だ。この名前あってこそ、詳しいことを知らないものには、「田園に死す」で垣間見える異様な光景や、「イタコ」の存在など断片的な情報によって、オカルト的な意味でこれ以上ない特異な場所と受け止められるのだろう。


しかし、訪れればすぐにわかることだが、ここは、まず何より、お寺なのである。創建は862年とされ、比叡山、高野山と並ぶ日本三大霊場と言われている。特異な宗派でもなく曹洞宗の、歴とした由緒正しいお山である。そして「イタコ」もいない。イタコは、7月の大祭と10月の秋詣りの時だけ、やってくる。
だがしかし、入山料を払って中に入ると、やはり普通ではないのも確かである。
歴史を感じる本堂や、整然とした綺麗な宿坊に囲まれて立つ掘立小屋は、温泉である。本堂に向かって左手奥には灰色の不毛な荒れ地が広がっているのが見える。そして、卵の腐ったような臭気が漂っている。
ここは活火山であり、境内に硫黄泉が湧き出すという、特異な場所なのである。
そのためか、生き物の気配が薄いというか、確かに、ちょっと異様な雰囲気に包まれている。

掘っ立て小屋の中は温泉。女湯もある

周囲の山は緑だが、広大な境内は硫黄臭漂う不毛の地

荒地にはそれなりに人が踏み固めた細道があり、ところどころ、仏像や、石が積み上げられた塚があり、風車や小さな像や、銭、飲み物などが供えられている。あるいは、木の生えた山に向かう小道の先には不動明王が祀られていたりもする。


不動明王への順路にて

それらをくまなく廻ろうとしていると、突然強烈な腹痛に襲われた。入山料を払うときに入手したマップで、「血の池地獄」近くにある塔のところに手洗いがあるのを見つけ、這う這うの体で辿り着き、どうにか用を足したのだが、どういうわけか尻から出るものが皆硫黄の臭いというか恐山の臭いになっていた。
トメダインコーワのフィルムを服用して腹痛はしのぐことができたが、この体調の異変はどうも奇妙なものだと、後になって知ることになる。

宇曽利湖の極楽浜に辿り着く

塚も何もないところにも、供養のためか風車や供え物が

こうした光景も「田園に死す」で観たような

宇曽利湖の極楽浜に辿り着く。強酸性の水ゆえにウグイ以外住めないというが、このことも一帯の生命感の乏しさに大きく寄与しているように思う。魚が跳ねるしぶきも無く、大きな湖だが水鳥も三途の川のあたりで2羽ほど見ただけだ。風が静かにさざ波を立てる以外動くものが無い。
浜辺を歩いて辿りさらに広大な不毛の地を歩き回り、本堂のあたりまで戻って休憩し、撮った写真をカメラのモニターで眺めながら、ここは想像していたような場所ではなかったなと痛感した。

本当に断片的な情報だけで、何となく、神秘的、霊的、あるいはオカルト的な何かを想像していたが、恐山は、ただひたすら純粋な、敬虔な祈りの場であった。
それらしい塚も墓標もない浜辺の一角で、「ここよ、ここ」と家族を呼び寄せる人がいる。
土埃と亜硫酸ガスをものともせず、険しい道を行く老夫婦がいる。
不毛であるがゆえに、人々はこの場所をこの世ならざる地と捉え、亡き人の残像を求めてやって来る。
故人を偲ぶ人々の純粋な心を汚したような気がして、興味本位で訪れるべき場所ではなかったのではないかと思いつつ、一方で、未知の経験ができて来てよかったとも思いながら、バス、JR、青い森鉄道と乗り継いで三沢駅まで戻った。
繁華街に近いホテルにチェックインをして、体調を確かめる。相変わらず尻から出るのは恐山の臭いであるが、腹は問題なかった。
ホテルの近くで夕食を摂り、ローカル局のニュースなど見て、日付が変わる前に眠りに落ちた。

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