ダニエル・フリードマンの「もう年はとれない」「もう過去はいらない」。

続けて最近読み終えた本のメモを記す。
その前に、私はイスラエルとパレスチナの今のありようを見るとき、いつまで経ってもユダヤ人が一方的な被害者として描かれることには少なからず抵抗を感じてしまう人間である。その分、特に以下のシリーズの2作目には、辛い見方をしているかもしれない。

「もう年はとれない」ダニエル・フリードマン


メンフィス在住、87歳の、ユダヤ人の、元殺人課刑事であるバルーク・シャッツ。通称バック。
そろそろお迎えの来そうな友人、ともに第二次大戦に従軍したジム・ウォレスを病院に見舞ったところ、かつて捕虜収容所でバックを痛めつけた怨敵とも言うべきナチの将校ジーグラーが生きている、自分が金塊と引き換えに見逃した、と言う告白を聞かされる。
バックは戦後、復讐のために自らヨーロッパに渡ってジーグラーについて調べ上げ、死んでいることを確認していたが、実はジーグラーは名を変えて逃げ延びていた。
行方を追うべくかつて勤めていた警察署に行っても馬鹿にされるだけでまともに相手にされず、一方ジムの遺族や彼が告白していた教会の牧師から、ジーグラーから手に入れたであろう金塊を巡ってまとわりつかれながら、孫の通称テキーラの助けを借りてジーグラーの行方を追うのだが、周りで次々と殺人が起こる。

色々なハンディキャップを抱えた老人をどう扱うかと言う点で、大変面白かったキース・トムスンの「ぼくを忘れたスパイ」あたりと比べてみたい気持ちもあって読んでみた。まずまず面白かったし、冒頭に書いたような、一方的な被害者ぶりもそれほど感じられなかったので、悪くは無いと言っておきたい。

「もう過去はいらない」ダニエル・フリードマン


続編と言うか、シリーズ第2作。第4作まで進んでいるらしい。面白いのだが、ユダヤ人であることが前作以上に表に出てきていて、どうにも鼻に付くと言うか。もう次作以降は邦訳が出ても読まないかもしれない。

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