ドラゴン vs. 7人の吸血鬼。

ちょっと見る機会があったのでメモ。
「ドラゴンvs7人の吸血鬼」は、香港ショウブラザースと英ハマーフィルムの合作映画。19世紀初頭、ドラキュラが中国にわたり、現地の7体の吸血鬼を従え人々を苦しめる。100年後、かつて7体のうちの1体を己の命と引き換えに倒した男の 孫シー・チンが、重慶を訪れていたヴァン・ヘルシング教授を訪ね、協力を請う。ヘルシングはチンと7人の兄弟とともに、残る吸血鬼(と、その背後にいるド ラキュラ)を退治に向かうというお話だ。

ハマーフィルム社は1948年設立。1957年、「フランケンシュタインの逆襲」がヒットし、戦前に米ユニバーサルが製作していたドラキュラやフランケンシュタインが登場するようなホラー映画の量産を始める。
クリストファー・リーがドラキュラを初めて演じた「吸血鬼ドラキュラ」は58年の作品で、「ドラゴンvs7人の吸血鬼」は、そこから数えて9作目のドラキュラ映画となる(同時にハマーの最後のドラキュラ映画でもある)。

ドラキュラと言えば70年代の半ばごろだったか、かつてNTV系列の水曜ロードショーで、「ドラキュラ復活 血のエクソシズム」などが放映されたりして―というか当時は夏になると必ずあちこちの局で、怪談物のTVドラマシリーズや怪奇映画(ホラー映画という言葉は無かったと思う)が放映されていたものだった―恐いのだが見ずにおられず、見ては芯から恐れおののき、夢に吸血鬼が出てきたりして後悔していたものだ。格別恐がりと言うわけでもないのだが、吸血鬼にだけ異常に反応していたのは一体なんだったのだろう。

それはともかく、70年代に入ってハマーは勢いを失う、恐らくは73年の「エクソシスト」公開あたりでダメ押しを食らったのだろう。しかし、同じ73年に世界を震撼させたもうひとつの作品と、そこから生まれたブームに賭けた。即ち「燃えよドラゴン」、カンフー映画だ。
しかし、ホラー×カンフーのハイブリッドは失敗。70年台半ばにはハマーは映画製作を止めてしまう。
ドラキュラ退治で名を上げたはずのヘルシングが、1804年に中国に渡ったドラキュラと1904年の中国で対峙するという設定が大問題で、日本国内のブログなどでも厳しく指摘されているが、ドラキュラに異常な関心を示し、ブルース・リーショックをもろに受けた私にとって、このハイブリッドは至高の組み合わせだったのだ。

ドラキュラの宿敵ヴァン・ヘルシング教授はピーター・カッシングだが、ドラキュラはリー御大ではない。主人公デヴィッド・チャンと共に戦う兄弟(義兄弟も含んでいそうだが?)たちは以下の通り。

主人公 シー・チン:デヴィッド・チャン
剣士1 シー・スン:フェン・コーアン(フォン・ハクオン)
剣士2 ?
狼牙棒 ?
槍使い ?
二丁斧 シー・タ:ジェームズ・マ (馬占士)
弓使い シー・クェイ:リュー・チアユン(ラウ・カーウィン)
妹 メイ:シー・ズー(施思、シー・シー)

シー・サン:チェン・ティエンルン

と言うクレジットが、不明な中のどこかに入るのだろう。少しすっきりしない。

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