ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送響のマーラー全集。

ミヒャエル・ギーレンは、Web上で見ていると、好きな人はとことん好きになる指揮者のようで、検索で出てくる頻度はカラヤンやショルティに比べて低いが、読みに行くと書かれていることはたいてい細かく、かつ、深かったりする。
ギーレンの録音、我が家ではベートーヴェンのミサ・ソレムニスくらいしかなかったと思うが、南西ドイツ放送響とのマーラー全集の評価はなかなか高く、気になっていた。数年前からタワレコでは値下がりしていて、最近でも高いところの1/3ぐらいの価格だったりするので、ようやく取り寄せた。金額的に大したことがないのにためらってしまうのは、全集を買えば全曲を聴かねばならぬという強迫観念のためだ。3番、8番、それらほどではないが7番も、全て確りと聴かねばならないと思うと、気が重くなる。かといって、何曲かだけつまんで聴くのはどうにも失礼と言うか勿体無いと言うか。



録音は1988年の4番を皮切りに、89年10番アダージョ、93年7番、96年2番、97年3番、98年8番、99年6番、2002年1番、03年夏に9番、暮れに5番。以上15年に渡る。
オケは南西ドイツ放送響だが、現在では「南西ドイツ放送バーデンバーデン&フライブルク交響楽団」と言うのが正式な呼称の様だ。長いな。

まずは1番から聴く。
録音は目が覚めるほどクリアでも無いが悪くも無い、と言う印象。第一楽章の清冽な朝の森の気配はそれなりに漂うが、全体的にちょっと遠くで鳴っている感じだ。強弱はそれなりに付けられているが、どちらかと言えば淡白に感じる。第三楽章など特にそうで、卑俗な雰囲気があまり無くきれいに仕上がってしまっている。指揮者もオケも冷静にことを進めているような。
あえて挙げるならブーレーズに何となく近いだろうか。作曲も手がける現代音楽家と現代音楽にも強いオケの組み合わせでやると古典的な様相を持つ1番もこうなるのか、とまとめてしまいたくなるが、それにはもう少し聴き込む必要がある。

どうでもいいことだが、紙箱のBOXセットの場合、大抵ディスクは紙のスリーブに収められているわけだが、どういうわけかこの全集ではスリーブのふたの部分が糊付けされ封じられていた。こういう全集はあれこれ買ってきたが、こんなことは初めてだ。弱粘性の糊のようではがれることははがれるのだが、しわになったりちょっと破れたりしてなんだかちょっと気を遣った。

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