リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団の「春の祭典」。

今月は、ロリン・マゼールとフィルハーモニア管のマーラーチクルス、その最後のCDが届くはずだったのだが、10日発売予定が20日に変更とのメールがあり、さらに30日に変更とのメールが来て、 後から届くはずだった注文の品を先に聴くことになった。

高校に上がる前後の頃から、ボツボツ揃えて行ったオーディオ機器の力量を確かめたいと言う動機で、クラシック音楽に興味を持つようになった。1960年代イギリスのポップミュージックでは解像感や周波数特性のちがいなど体感できなかったからだ。EMIのビートルズの録音はまだしも、ストーンズやヤードバーズのLPレコードから出る音は、Hi-Fiとは少しかけ離れたものだった。
1980年前後、PCM録音、デジタル録音が始まって、デジタルであることそのものがウリになる時代だったので、DENONのオトマール・スウィトナー指揮のベートーヴェンや、テラークの録音などに手を出していたが、天邪鬼な性格のためか、独墺系以外、19世紀後半以降の音楽にだんだんとシフトしていったような覚えがある。
前衛的なものでも理解できるようにならねばならぬという、妙な義務感もあったようだ。
そんな少年があるとき、雑誌(「FMファン」だったろうか?)の広告だったか記事だったか今となってはっきりしないが、リッカルド・ムーティ指揮によるストラヴィンスキーの「春の祭典」のことを知り、聴いたことの無い曲だったが音楽の教科書でストラヴィンスキーの名前ぐらいは知っていて、このあたりの現代に近い音楽は聴いておかねばならぬという妙な思い込みで、岡山市の禁酒会館の1階に入っていたクラシック専門のレコード店「アンダンテ」に走った(自転車で)。
廉価盤ではないLPレコードと言うのは小遣いの潤沢でない少年にはなかなか手の出しにくいものだったが、聴かねばならぬと変に燃え上がっている状態だったので国内盤を定価で買い、勇んで持ち帰り、溜めた小遣いをはたいてそろえた、オーディオテクニカの一体型MCカートリッジを取り付けたTRIOのレコードプレーヤーにONKYOのプリメインアンプA917、自作のCORALロクハン1発フルレンジスピーカと言うシステムで聴いて見たのだった。
暴力的な音の洪水が少年に襲いかかった。少年は驚いた。これを音楽と言っていいのか、衝撃を受けた。そして以後20年以上にわたり、ストラヴィンスキー嫌いと言うかアレルギーになってしまったのだった。



そのムーティの録音が、久々にCDで再発された。ストラヴィンスキー嫌いは乗り越えて、今では寧ろ春の祭典は好きな曲のひとつになっているが、この録音は、改めて聴いて克服したいと思っていたので、発売のニュースを見てすぐに予約していた。EMIからワーナーのロゴに変わり、ジャケットも大きく変わった。昔の国内盤LPは、銀灰色のバックに線画と楽譜をあしらったもの、今回のは民族色漂うイラストで、これは恐らく一緒に収められているペトルーシュカのイメージイラストだろう。
1978年の録音。ムーティがフィラデルフィア管の音楽監督に就くのは80年だが、その前に主席指揮者であったらしいので、その時期にあたるのだろう。
さて、実際に聴いてみると、EMIの録音とは思えぬ鮮やかさ。
ファゴットが長閑さの中に不穏なものを秘めて流れ、他の管が絡み合うあたりは、ゆったりとした流れの中でオケの力量の確かさが感じ取れる。そして乙女たちの踊りに至って、凶暴な曲の姿が露わになり、なるほどこれは、かつて現代音楽の素養がまったくなかった自分には音楽と受け止められた筈も無し、と実感するが、今の自分にはこれほど力強く鮮やかな演奏は中々無いぞと寧ろ喜ばしい。
非常に豪華絢爛で、かつてフィラデルフィア管の代表的な形容詞であった“ゴージャス”なサウンドが、美しく力強く、故にいっそう破壊的、暴力的に鳴り響くのに身を任せ、ただただ満足する。
これは素晴らしい。オーマンディが鍛え上げたオケから、気鋭が導き出した名録音だ。

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