アッカルドとマズアのブルッフ、協奏曲全集と交響曲全集。

マックス・ブルッフはロマン派の、あるいは20世紀初頭まで存命であった作曲家として、今やそれほどメジャーな存在ではないだろう。しかし、ブラームスやメンデルスゾーンなどの高名なヴァイオリン協奏曲のディスクを買うと、カップリングでブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番や、スコットランド幻想曲が収録されていて、いつの間にか同曲異演が何種か集まり、聴き馴染んでしまっている、という人が結構いるのではないだろうか。私自身がそうなのだけれども。
であるから、聴き馴染んではいるけれど、体系的に作品を追ったりはしておらず、結構曲は好きなのに、何かCDを買おうかと思っても、マーラーやショスタコーヴィチを優先してしまい、掘り下げないままで何となく気になっている。ここ数年、自分にとってのブルッフはそんな存在だった。
で、旧PHILIPSの2枚組みシリーズに協奏曲全集と交響曲全集があり、在庫処分なのか何なのかは知らないが最近あちこちでセールに掛けられているので、良い機会だと注文してみた。
どちらも指揮はクルト・マズア、オケはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。ヴァイオリン独奏はサルバトーレ・アッカルドだ。



まずは交響曲全集から。ゲヴァントハウス管と言えばノイマンが指揮したマーラーの9番は手持ちのディスクの中でも最も重要なもののひとつだが、他にあまりあれこれ聴いていない。マズアについても同様だ。
まず第1番、ブルッフらしい、メロディアスで、キャッチーな旋律が散りばめられている。第2番は3楽章形式になり、第3番は4楽章形式に戻るが、どれも、やはり、メロディアスなブラームスと言う感じで、続けて聴くと、どれがどれだか分からない。美しい旋律はブルッフの長所だろうが、手を変え品を変え美しい旋律を繰り出し続けられるうちに、何が何だか分からなくなってしまうような、そんな印象だ。
このセットには、この他にアッカルドがヴァイオリン独奏を担った作品が収められている。ロマンスOp.42、アダージョ・アパッショナートOp.57、イン・メモリアムOp.65、コンツェルトシュテュックOp.84で、協奏曲全集のセットと合わせると、ブルッフのヴァイオリンとオーケストラのための作品がほぼ揃うのではないかと思う。



協奏曲全集は、1番~3番と、スコットランド幻想曲、セレナードOp.75を含む。セレナードはもともと協奏曲第4番として書かれていたものだそうだ。
1番はブルッフの代表作であり、自分がブルッフに興味を持ったのも他の曲目当てで買ったディスクに収められていたこの曲に触れたためだった。
アッカルドのソロは、これは交響曲全集に収められていた曲でも感じたが、朗々として抑揚の効いたもので、開高先生が「アモーレ、マンジャーレ、カンターレ」すなわちセックスと食事と歌の国であると仰っていたイタリアの血統であるからか、まさに歌うような演奏だ。カルロ・マリア・ジュリーニの指揮ぶりがよく「オケを歌わせる」と表現されるのも、やはりイタリア系だからだろうか。
2番はハイフェッツの録音ぐらいしか見かけず、3番はさらにマイナーで、どちらも初めて聴いたが、交響曲に比べるとよく出来ていると感じる。しかし、1番とスコットランド幻想曲に比べれば、聴き終えての印象は薄い。
ブルッフは、キャッチーな旋律を生み出す能力に長けた作曲家なのだと感じる。しかし、夫々には出来のよい旋律が次から次へと繰り出されるばかりで、構成力にやや弱点があるように思う。出るところと退くところのバランス、特に退くところが。故に、主旋律の担い手となるソリストを置いた協奏曲の方で、力量が発揮されたのではなかろうか。
そう考えると歌曲にも良いものを残していそうなのだが、寡聞にして知らない。埋もれているのだろうか。

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