シーナ&ザ・ロケッツのシーナさんが逝去され。

2月14日、シーナが逝き、自分でも意外なほどショックを受けている。
「ライヴを実際に見たことがある人が亡くなると言うのはきついね」と、家内に話したら、「清志郎の時はそんなこと言わなかったじゃない」と返された。
確かにそうだったが、この感じ方の差は何だろう。
アジテーターだったり自転車乗りだったりした清志郎。福島の原発事故の後、今清志郎が生きていたら、(坂本龍一がそうである様に)政治的な発言をある種の勢力に利用される(あるいは自分自身がそうなる)姿を見てうんざりさせられたかも知れないね、等と、我が家では話していたのだが、どこかで清志郎には、距離を感じていたのだろうか。
そして一方で、喉をやられても歌い続け、世を去ったシーナには、ロックに殉じたかのような神々しさがあるからだろうか。
恐らくは―結局歳を経てジョン・レノンが自分にとってどうでもいい存在になったのと同じ理由で―純粋なポップ・アイコンのままでいる(いた)ことの潔さと美しさに、自分は打たれているのだろう。そう言う事にしておこう。

35年も前、昔のことを何故かはっきりと思い出す。
岡山で高校生だった頃、地元のラジオ局の公開録音だかのライブイベントで、シーナ&ザ・ロケッツがやって来て、クラスメートに入場券をもらって皆で観に行った。地元のメンズブティックのちょっとしたファッションショーが挟まれていたりするような、当時の最新の音楽とファッションと、若者の文化をひとまとめにしたようなイベントだった。
最初にプラスチックス、次にヒカシューが出てきて、プラスチックスは代表曲の「コピー」以外はそんなに面白くなかったし、ヒカシューは曲は面白かったが所作があざとい感じでちょっと気持ち悪く、シーナ&ザ・ロケッツが目当てだった自分はややフラストレーションが溜まっていたが、周りの若者たちは私以上に不満だったようで、トリに彼等が出てくると群集はどっと立ち上がりステージに押し寄せた。
危険な状態で、このままでは中止にせざるを得ないという、アナウンスだか、ラジオ局の偉い人の声だかが聞こえ、比較的冷静だった我々は一体どうなってしまうんだろうと、席を離れずに呆然としていたら、鮎川さんがべたべたの九州弁(博多弁ではなく筑後弁だそうだ)で、皆落ち着いてライブ楽しもうぜ見たいなことを言って、一発で群衆は我に帰り、ライブは続行されたのだった。
そして、シーナのパフォーマンスに熱狂し。なんと、素晴らしいひと時だったろう。



彼等がアルファレコードに所属していたアナログレコードの時代にはLPを買っていたが、結婚前にアナログレコードをすべて処分してから、そう言えばCDになってからは持っていないなと、いまさら気がついた。しかし、かつて持っていたオリジナルアルバムは、過去にはCDの再発もあったようだが今では廃盤だ。日曜日、街に出て、難波のタワレコに2007年ごろに出たアルファレコード時代のベストアルバム「GOLDEN HITS」があったので買って帰った。
「ユーメイドリーム」なんて、今思えばあまりにも当時のYMOに連なるテクノポップ臭が強すぎるし、下敷きはロネッツの「Be My Baby」で、フィル・スペクターが生のストリングスを使った替わりに細野春臣がシンセを使って、サビのところのギターはピート・タウンゼントっぽかったり、バックボーンが透けて見えすぎる嫌いがある。だからと言ってこれほどの名曲が他にあるかと言うとそうざらには無いのだが。
あるいはこれも名曲だけど「Kiss Me Quick」なんかも、元はビートルズ(カヴァーだが)の「アンナ」と「ベイビー・イッツ・ユー」かな、と言った具合―とは言え、ロックンロール自体がそういったパクリとかインスパイアから逃れられないもののような気がするし、形式を取り入れあるいは引き継ぎながら変化していくことは大衆音楽の自然な姿なのではないかと思えるのだが―ではあるけれど、そこにシーナのヴォーカルがあると、そんな瑣末なことはどうでもよくなってしまう(流石に「レモンティー」は「Train Kept A Rollin'」のまんまやんけ、と思う―全体はヤードバーズでギターソロに入るところでちょっとだけエアロスミスか?―けど)。
アルバム「ピンナップ・ベイビー・ブルース」に収められていた「プロポーズ」が含まれていないのがちょっと不満だが、昔を思い出し、楽しむには、まずまずのセットだ。しばらくは、聴き続け、自分なりにシーナを悼む。

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