S.J.ローザンの「ゴースト・ヒーロー」。

夏に届いていながら読まずに積んであったS.J.ローザンのリディア・チン&ビル・スミスものの新作、「ゴースト・ヒーロー」をようやく読み終えた。



今作は天安門事件で亡くなった伝説的な中国人画家の“新作”を巡る話で、リディアの一人称で進む。
天安門事件は1989年の出来事だからすでに四半世紀が過ぎていることに驚く。しかも、最近知ったが一方的な虐殺があったという、我々が思い描いているような事件ではなかったと言う説もあるらしい。それは兎も角、この作中での天安門事件では、大学生を中心とする、当時の中国共産党に異議を唱える若者たちが軍の介入によって多数命を落とす。これすなわち、我々に伝えられてきた天安門事件と同じである。
その亡くなった中に、非常に優れた技術と先鋭な政治的メッセージを融合させた画家、チョウ・チャンがいた。
リディアは、とっくの昔に亡くなったチャンの新作があると言う噂の真偽を確かめ、真ならばその新作を入手して欲しいと言う依頼を受ける。ビルとリディアは―昔の作品でアートに関わっていたような記憶があるが―専門ではないので、ABCである美術専門の探偵、ジャック・リーの協力を仰ぐが、ジャックはジャックで、別の依頼人からチャンの新作などと言う噂が流れているので調べて欲しいと言う依頼を受けていたところだった。
しかしお互いの情報交換を約束して間もなく、ジャックはオフィスを銃撃され、次いで、依頼人である大学教授のヤンに解雇される。しかしそれで却って3人は「三銃士」のごときパートナーシップを組んで調査を進める。すると、とあるところでチャンの作品と思しきものが見つかっていたことがわかる。
本当にチャンの「新作」なのか。かつて中国にいてチャンと交友のあったヤン教授の心変わりは何故か。調査を妨害しようとする複数の存在も現れる。天安門事件が絡むだけに、中国政府も影を落とす。

私が30年ほど前に訪ねた頃には、中南米や自国の新進作家を取り上げているギャラリーが目に付いたぐらいだったが、現代のニューヨークには、作中に描かれているように、同時代の中国人アーティストの作品を扱う画廊があり、中国人アーティストのコミュニティもあるようだ。色々と様変わりしているのだろう。
しかし、現代美術というのが、ある意味、やったもん勝ちの世界であることは変わらないのではないか。デュシャンが「泉」や「糸車」で提示した、アーティストの行為の結果がそれ即ち芸術作品であると言うコンセプトは、今にして思えばある種の皮肉だったのではないかと言う気がするが、昨今でもメディアで話題になる「現代美術」には、しばしば「目の付け所」以外に心を揺さぶる美や狂気や情念、あるいは驚愕するほどの精緻な筆致や雄渾な色使いといったものは全く感じられないことのほうが多い。
ポップアートを取り上げて卒論をでっち上げた身で偉そうなことは言えないが、有力な画商や評論家が「市場」の論理で「これが芸術なんです」と新しいアーティストを売り出す様は、満足な歌唱力も無いオネーチャンたちを束にしてアイドルとして売り出す商法と大して変わりが無いような気がしてくる。

脱線してしまった。

チャンや、脇役で出てくるアーティストたちは、概ね真摯に芸術を極めようとする人たちで、好感が持てるのだが、それはさておき、今作は、なかなか歯ごたえのある依頼であり厄介な展開であると思う。
しかし解決に向かう道は、それほど困難には見えないのだ。
美術専門の探偵であるジャックがいて、ヤン教授や情報源となるアーティストたちが彼の知己であることで、わりと容易に真実に近づくことが出来ているように見える。優れたハッカーである、リディアの従兄弟のライナスの存在も大きい。ビルの芝居もうまく行き過ぎるぐらいだ。2人で不慣れな香港で苦労した「天を映す早瀬」あたりと比べると、ちょっと、楽な仕事だったような、そんな読後感がある。このコンビが成長したと言う捉え方もあるのかもしれないが。

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