バルシャイのショスタコーヴィチ全集、10番から15番まで。

バルシャイのショスタコーヴィチ全集をのんびり聴いていたら、デニス・ラッセル・デイヴィスの春の祭典や、スヴェトラーノフのショスタコーヴィチ選集、ロストロポーヴィチの無伴奏チェロソナタにジュリーニとスウェーデン放送響のマーラー9番など未聴のディスクがだぶつき始めてきた。
10番と15番を除けば、あとはあまり好んで聴くことの無い曲ばかりでもあり、駆け足で聴いてみた。

10番は、これを聴いてあらためてカラヤンとベルリンフィルの冷徹で緊張感あふれるスピーディーな演奏―1966年のアナログ録音の方であって、肥大したかの如き80年代のデジタル録音の方ではない―こそ至上と確信した。バルシャイとケルンのコンビが悪いわけではない。丁寧で、カッチリとして、過不足の無い演奏だと思う。だが、この曲ではもっと厳しいものが好ましい。

一転11番は、偶にしか聴かない所為かも知れないが、非常に素晴らしい演奏。落ち着いたテンポと丁寧な進行が、却って不安感や緊張感を醸し出しているような。
クライマックスの盛り上がりも力強く、破綻は無く、見事なものだった。

12番も、11番同様に余り好んで聴くことがないのだが、これもなかなかよい演奏で、冒頭からすっと入っていけた。うまくまとまっていると思う。
しかし、如何せん曲そのものの問題だろうが、聴き終えて繰り返し繰り返し現れる主題だけが頭に刷り込まれる感じで、結局、いつものように余り好きになれない、そんな印象だけが残る。ロシア革命を取り上げた標題音楽だけに、頭の固い権力者たちでも何となく分かった気になれるよう、こんな作りになっているのだろうか。

13番と、14番については、まとめて語るべきだろう。
バルシャイは、14番の初演の指揮を担っている。解釈は、至極正当なものであろうから、そこは信じて聴くべきだろう。そして、弦楽四重奏曲を編曲して室内交響曲を作っていることなどから、コンパクトな編成は得意だと思われる。この曲ももともと初演が室内オーケストラとソロ歌手の組み合わせであり、編成の面でもうまくはまっているようだ。それぞれのパートをくっきりと引き出しつつ、歌唱の邪魔をせず立たせている。ミキシング、マスタリングの恩恵もあろうが、非常に見事なものだ。
同じ歌唱を伴う形式の13番も同様で、非常によく出来ていると感じた。

そして15番、これもよかった。軽妙で、一見明るいのだが、どこか不安がよぎる。サーカスのピエロの怖さとでも言うべきか。そんな曲の暗さを滲ませながらやはり丁寧に進んでいく。

全集を通して、爆発的な何か、は感じられないが、節度を持ち確りと統制された非常に丁寧な演奏と言う印象。4番、13番、14番、15番は特によく出来ていて、安全パイとしてでなく積極的に選ぶ意味があると思う。兎に角ショスタコーヴィチを聴いてみたいと言う人がいたら、まずこの全集を勧めておけばよいのではなかろうか。

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