バルシャイのショスタコーヴィチ全集から第4番、第5番。

今回、バルシャイ指揮ケルン放送響のショスタコーヴィチ全集は、素直に番号順に聴いている。通常箱物の全集だと、曲の長さに合わせてうまく収まるよう順番を入れ替えていることが多いが、これはそうなっておらず、そこに意図がある様に思えたからだ。
そして、4番を聴いたときに、これは意味があったなと痛感した。



それまでの作品と、当時のショスタコーヴィチにとっての集大成的な作品であった4番の間には、規模、尺はもちろんだがスケール感や激しさ、様々な点で大きな隔たりがある―尤も、1番の天才的な閃きが、2番3番では労働歌の付加や革命賛美的なテーマ設定、前衛的な組み立てなど纏まりがつかず霞んでしまっていたのかもしれないが―ことを、冒頭から知らしめてくれる。
最近イヤホンをTDKのTH-EB900に戻している所為もあるが重心の低い安定感のある音で、演奏は丁寧だが、確りと強さはあり、抑えてはいるものの熱も感じる。そして、先鋭度の高い芸術が資本主義的、退廃的と見做され命の危険もある状況で、この作品を発表できなかったのもよくわかる。
きりきりとした緊張感は残しながら聞き苦しさも無く、これはいまどきのショスタコーヴィチのスタンダードとなっておかしくないと感じた。

その4番を隠したまま発表し、大衆や為政者にも評価され身の危険を振り払ったのが続く5番だが、こちらも純音楽的にまとめ上げた良演だ。第四楽章冒頭のテンポ設定も速過ぎず、遅すぎず。コーダも、無駄に盛り上げず、かといって交響曲のフィナーレらしい昂揚感が確りとある。

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