ハイティンクのマーラー全集から、7、8、9番、10番、そして大地の歌。

ゆっくり進めてきた、ハイティンクのマーラー全集、ようやく聴き終えた。

7番は1969年の録音。80年代の録音を聴いて、巨大な曲をありのまま眼の前に投げ出された様に感じたが、それは変わらなかった。年代からしてクリアさやホワイトノイズはさておき、かなり優れた録音で、各パートが混ざり合わず、しっかりと各々の楽器が聴こえ、音楽を詳らかにしてくれる。しかし、この曲を聴くほとんどの場合がそうである様に、聴き終えて全体像がぼやけて把握できない。
この曲にはいつも巨大な建造物を連想させられるが、この録音では、オケの力量と優秀な録音で建物の内部、ディテールを丁寧に見せてくれるのだが、やはり近付き過ぎて外観の全貌が掴めない、と言う感じだ。

8番は71年の録音で、まあ、こういう感じだろう、と言う感想。
クーベリックの全集では曲により個性的なものもあれば特徴を感じられないものがあり、マゼールとウィーンフィルでは2番を除いてマゼールらしい押し出しは感じられず驚くほど耽美的だった。ノイマンとチェコフィルはボヘミアの牧歌的な歌謡性をホールとオケの特長を生かして温かく柔らかに紡ぎ出していた。
ハイティンクはと言えば、ここまでのどの曲もそうだが、響きが豊かで重心が低く、高域もけして出ていないわけではないが耳に刺さることが無い。ややゆったりしてはいるが遅すぎず、一方速過ぎると感じるところも無い。技術的な破綻や録音の疵も耳につかず、流麗で見事なスケール感を湛えつつ美しい。

9番もまさにそうで、近年の録音での、押し出しの強さや、ところどころに感じる妙なアクセントの付け方、そういったものが全く無い、自然な(と言う表現が正しいかどうか自分でも分からないが)、美しく豊かなものだった。終楽章の冒頭の入り方など、余りにもさりげないが、完璧ではなかろうか。69年の録音で、バルビローリ他すでに名演はあったろうが、ほぼ同時期に全集を吹き込んでいたバーンスタインやクーベリックに比べ、少なくとも9番のこなれ具合、完成度ははるかに高いと感じる。
そして71年の10番も同様で、時にサスペンスにでも使われそうな不気味さよりも、アンサンブルと響きの美しさが立っている。ただ、他の曲も含め、何れもどこか一部分をしっかりと抉り出して見せるとか、独自の解釈で大胆な味付けをすると言ったこととは全く無縁であり、押しなべて美音であるから、全盛期のバーンスタインやテンシュテットの指揮が好きな人には向かないのかもしれない。しかし自分には、彼等がカラヤンのように人気を博していれば、恐らくこの全集は日本でも広く愛され、マーラー演奏のスタンダード足りえたのではないかとさえ思えてきた。それで、全集に含まれていない大地の歌を、別のCDで取り寄せ、続けて聴いた。



男声はジェームズ・キング、女声はデイム・ジャネット・ベイカー。ベイカーは、EMIのマーラー全集でバルビローリと組んだ「リュッケルト歌曲集」を聴いているが、「大地の歌」を聴くのは初めてだ。1曲目から、やや歌唱が遠いか、オケが強すぎるのかと言う印象。しかし、2曲目からはそれほどでもなくなる。しかし、やはりどちらかと言えばあっさり目、淡白と受け取る人もいるだろうか。ただし、流石はジャネット・ベイカーで、ここまで重苦しくなく、端正で、しかし神々しい「告別」は、なかなかないのではないかと思える出色の出来栄えだった。

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