ハイティンクのマーラー全集から、4、5、6番。

ベルナルト・ハイティンクとコンセルトヘボウ管弦楽団のマーラー全集、続き。

第4番は1967年の録音。ソプラノは2番でも歌ったエリー・アメリングだ。
ハイティンクの4番というと、ロバータ・アレグザンダーが歌った80年代の録音を持っている。4番にしては意外なほど落ち着いた演奏だったが、この67年の録音も同様だ。膨らみのあるオケの音、ゆったりとしたテンポで、美しく厚みがある。アメリングの歌唱もたおやかでけして野太くないが包容力があり、心地よく聴かせる。
曲に対するアプローチの独自性や譜面の裏側まで追求するようなスタンスではなく、楽譜に忠実に対峙しつつ、オケとホールの美質を存分に引き出そうとしているのではないか、そう思えた。

5番も同様の傾向で、感想も似た様なものになりそうなのだが、どうもこの時代のハイティンクの録音は、指揮者自身の解釈や美意識よりも、コンセルトヘボウの音を聴かせるものに仕上がっているのではないかと思えてきた。音場は広めで重心が低く、低音は量感があり、かといって中高音が犠牲にはなっていない。
第四楽章アダージェットの美麗さは言うまでも無く、終楽章は勇壮だ。スケールはかなり大きいが、シカゴ響はもちろん、ベルリンフィルと比べてもその音は柔らかく、一方でチェコフィルほどに甘くは無い。
ネット上のレビューなどでハイティンクの音楽はしばしば「中庸」と評されているが、まさにそう言うことなのだろう。

このあたりで、概ね傾向の様なものを感じとり、6番に臨むと、予想通りだった。やや遅めのテンポで、ショルティのような追い立てられる切迫感は無いが、重戦車の様な迫力は備えている。
第二楽章に置かれたスケルツォも似た感じで、不安を急き立てるにはもう少し速く、ソリッドであっても良いのではないかと思えるが、続くアンダンテ、ここの美しさは文句無く、厚みのある弦のアンサンブルに包まれるのが心地よい。
そして終楽章は、また、やや悲壮感や不安感が物足りなくなってくるのだが、これはハイティンクの解釈よりも、コンセルトヘボウの音と6番と言う曲との相性の問題ではなかろうか。あるいは単に6番における私の好みの問題か。

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