ハイティンクのマーラー全集から、1番、2番、3番。

マーラー全集を買うと、基本的には作品の番号順に聴くのだが、時々、変化を付けることもある。今回は、特に変える理由は無いので、順番に聴いて行く。

まず第1番。1962年の録音。「An die Musik クラシックCD試聴記」という素晴らしいサイトがあり―一度閉鎖されたものの、昨年末に再開されたとのことで何よりだ―ハイティンクのマーラー録音については以前から記事を読ませていただいていたのだが、この1番のみ、全集録音の中で間隔が開いていて、本来全集として取り組まれたものではないのではないかと思われる、そうだ。
72年にも1番が録音されており、そちらが全集の一環だろうに、このセットでは何故62年版にしたのか。謎ではあるが、気にしても仕方が無いので聴き進める。
冒頭から音量は大き目、薄いノイズにやや古さを感じるが、楽器が重なってくると音場が左右に広がり、分離も結構良く、時代を鑑みればかなり優れた録音と感じる。ホールトーンに因るものだろうが中低域の響きが豊かでそれが全体にまろやかさと温かみを与えている。
演奏はと言うと、なんとも難しいが、まず堂々としたものだ。流麗ともいえる。当時から世界一流のオケと、就任2年目ではあるが名門を任された自国の新進指揮者とのコンビに問題は無かったのだろう。奇矯な癖も無く至極全うに進んでいく。裏を返せば特徴的なところは余り感じられないと言うか、言うなれば、ハイレベルな普通、なのだろう。ただし、第三楽章に至って、クーベリックのような野卑なものではないが、マーラーの音楽に対してしばしば語られる「歌謡」的なところ、それがすとんと腑に落ちた。

続いて2番。1968年の録音。ソプラノはエリー・アメリング。アルトはアーフェ・ヘイニス。合唱はオランダ放送合唱団。指揮者、オケはもちろん、歌唱もオランダ勢で固められている。まさに、フィリップス渾身のマーラー全集だったのだろう。しかし今回入手した箱にはデッカのロゴしか入っておらず、少し悲しい。
こちらも音の傾向は1番と同様で、ふくよかな中低域を基調に各パートがそつなく重なり合って、巨大なマーラーの曲がまるで苦も無く構築されているようだ。
終楽章の冒頭など、マゼールなんかだとここぞとばかりに強烈なタメを作ったりしてくるがそんな恣意的なところは一切感じさせぬまま突き進み、これもまた美しくスケール感もありながら普通と言う感想に落ち着く。

第3番は1966年録音。独唱はモーリーン・フォレスター。
いつも3番は聴き終えて長かったなあとしか思わないのだが、やはり長かった。しかし、響きの美しさは随所でこちらをうっとりさせる。

ここまでのところ、ホールの豊かな響きと見事な演奏技術、奇を衒わない指揮とによって、至極穏当なものになっているように思う。60年代のマーラー全集は、クーベリックはもちろんあのバーンスタインでさえ、どちらかと言えば薄味で端正なもので、この全集も解釈、演出は同傾向と感じる。とは言え音色の面でそれらとは一線を画していて、優美で豊かだ。しかしそれは、マーラーの音楽が備える暴力的な部分や不快あるいは不気味なところをスポイルし、美しく聴かせてしまうのかも知れない。

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