佐村河内守事件、びっくりしたなぁ、もう。

佐村河内守という作曲家がいて、「交響曲第一番HIROSHIMA」と言う作品があり、マーラー、ショスタコーヴィチの交響曲を愛する身としては、現代のしかも日本で生み出され好評を得ているらしいこの作品に興味は持っていたが、後で記すような理由でCDを買わず、聴かずにいた。
そして今、佐村河内守は実は作曲をしていなかったというニュースが、世間を騒がせている。

野次馬にとっては色々と興味深い側面を持つ事件だ。
まず、ソチ五輪フィギュアスケートの日本代表、高橋大輔が佐村河内守作とされていた曲で演技する予定であり、著作権問題で佐村河内守作品の演奏、販売が停止されている現状をどう解決するのか、という問題がある。因みに高橋大輔の演技で流れるこの曲―実は義手でヴァイオリンを弾く少女のために、長年少女の伴奏を勤めて来た音楽家の新垣実氏=佐村河内作品の実の作曲者が作ったものだそうで―を聴いた限りでは、なかなか親しみやすく哀感と優美さを備えた良い曲だと感じた。
それから、こちらの方が衝撃が大きいと思うが、被爆2世で聴力を失いかつ慢性的な耳鳴りに悩まされ正規の音楽教育は受けておらず練習し過ぎで手を傷めてピアノが弾けないし視覚にも問題があって屋外ではサングラス必須と、絵に描いたような不幸に満ちたプロフィールそのものへの疑惑が生じている。自らを「共犯者」とする新垣氏自身が、会見の場で、佐村河内守が聾者であると感じたことは無いと言い切っているのだ。
さらに、NHKが「NHKスペシャル|魂の旋律~音を失った作曲家~」と言う番組を放映し、公共の電波に乗せて佐村河内守を肯定的に紹介していたという大失態。NHKは過去に「奇跡の詩人」という番組で「にせもの」の奇跡を「本物」として紹介したのではないかと物議を醸しており、またやらかしたと騒がれている。
そして、この事件が音楽評論家や識者、業界関係者に対するあぶり出しになりつつあること。音楽を耳で聴いて評価できる人なのか、作曲家や演奏者の来歴、サイドストーリーを下敷きに―評論は表現であるからそこに論者の内面や体験が投影されることに何の問題もないし、対象のサイドストーリーを掘り下げることも時として重要だが―好き嫌いを語っているだけの人なのか。

例えば、許光俊という人がいる。
この人の文章は、HMVのショッピングサイト、クラシックのコーナーで、時々コラムを見かけるし、持っているCDの中にも、氏が解説を担当しているものがある。佐村河内守に関しては、こんな具合だ。

  もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か? 耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。
  もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。
  ブルックナーやマーラーにも負けない楽器編成と長さの大曲だが、その大部分は、終わりのない、出口の見えない苦しみのトンネルに投げ込まれたかのような気持にさせる音楽だ。聴く者を押しつぶすかのようなあまりにも暴力的な音楽が延々と続く。これに比べれば、ショスタコーヴィチですら軽く感じられるかもしれないというほどだ。
  ようやく最後のほうになって、苦しみからの解放という感じで、明るく転じる。が、その明るさは、勝利とか克服といったものではない。思いがけないことに、子供の微笑のような音楽なのだ。

HMVウェブサイト、連載 許光俊の言いたい放題 第128回「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」(2007年11月6日)より冒頭部分を引用。

作品そのものに直接ふれているのは「ブルックナーや~」以降の2段落のみで、この後、延々と作曲家(とされていた人物)の来歴、不幸なエピソードの紹介が続く。

私自身は、この人が解説を書いたり薦めたりしている録音を聴いて良いと思ったことがないので、少なくとも私とは好みが合わないと確信している。判官びいきというか、マイナーな存在を過剰に持ち上げる傾向がある様に感じられるし、演奏家の不遇やその人生などサイドストーリーに関して文章を割きすぎ、演奏、録音への評価にそれらがバイアスをかけすぎているようにも思える。結局許氏の文章を読み、許氏が薦めていることがひとつの理由となって、私は「交響曲第一番HIROSHIMA」のディスクを購入せず、結果的に今回の事件でむかっ腹を立てたりせずに済んだ。それはちょっと幸運だったかもしれないし、逆に、実は自分にとって好ましい(かもしれない)音楽と出会うチャンスを、評論家への毛嫌いから自ら手放してしまったのかもしれない。

もっとも許氏に限らず、音楽評論家や本職の作曲家、あるいは五木寛之など多くの有識者が賞賛しており、結果、佐村河内作品は商業的に成功していたらしい。
中でも、新垣氏の会見での

質問:「現代典礼」という曲を作ろうとした経緯と、それが「HIROSHIMA」に変わっていった経緯は

新垣氏「彼(佐村河内守さん)から『一枚のCDに収まるようなゲームではなく、オーケストラのための作品を作りたい』という希望を聞きました。それを、発売するのだと。そのために一年間で、つくってくれ、ということで引き受けました。
私は事情は分からないのですが、結果的に発売はされませんでした。そのままになっていました。もちろんそのときには、『HIROSHIMA』というタイトルではありませんでした。数年後、そのオーケストラ作品が『HIROSHIMA』というテーマで発表されると聞いた際には大変驚きました

産経新聞【佐村河内さん代作会見詳報】(6)「障害者手帳、一度だけ見せられた」2014.2.6 16:20 (1/2ページ)より一部抜粋

というくだりを読むと、CDの商品紹介ページなどに掲載されている五木寛之の

ヒロシマは、過去の歴史ではない。
二度と過ちをくり返さないと誓った私たちは、いま現在、ふたたびの悲劇をくり返している。
佐村河内守さんの交響曲第一番《HIROSHIMA》は、戦後の最高の鎮魂曲であり、
未来への予感をはらんだ交響曲である。
これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ。

Amazon.co.jp より引用。

というコメントは、「ヒロシマ」を全く内包しない音楽から「ヒロシマ」を聴き取るという超絶的な作家的想像力の発露として賞賛に値する。

一方で、その「交響曲第一番HIROSHIMA」は、2009年の「芥川作曲賞」にノミネートされ、三人の選考委員の中で三枝成彰氏はこれを推したそうだが、残念ながら最終選考に残っていない。

芥川作曲賞という作曲家のコンクールがある。今年、その選考員をおおせつかった私は、その候補作の一つだった「交響曲第一番」を選考委員会で聴いた。
それまで佐村河内さんのことをまったく存じ上げなかった私は、予備知識なしにこの作品を聴いたのだが、大きな衝撃を受けた。
まずは曲の素晴らしさに驚き、その後、彼のプロフィールを知ってさらに驚いた。
そして、ぜひこの作品を最終選考に残すように申し上げたのだが、そうなるには至らなかった。

ブログ「三枝成彰のイチ押し!」 勇気をもらった「交響曲第一番」(2009年7月12日)より一部を引用。

残るお二人、斉木由美氏と松平頼暁氏は評価しなかったのだろうか。三枝氏ご自身も、

曲のスタイルが新しいか古いかと言われれば、「交響曲第一番」は確かに古いスタイルにのっとって書かれた作品かもしれない。しかし、そんなことは作品の良し悪しとは関係のないことだ。
……と思うのだが、いわゆる“現代音楽”に携わっている人たちからすれば、確かによい曲だとわかってはいても、やはり評価は、よりコンセプチュアルで先鋭的な作品のほうへ傾いてしまうきらいがある。

と続けている。そしてまた、ネット上にも、作品そのものを聴いて厳しく批評している人たちがいる。対してメディアに露出し、今2chあたりでさらされているレコメンド・コメントは、先にあげた許氏、五木氏のものを筆頭に、大抵、「被爆」「広島」「聾」「(同じ聾者としての)ベートーヴェン」と言った標題、キーワードに頼り、音楽そのものから微妙に逸れて(意図的に逸らされて?)いるように見える。
例えばコンクールで、審査員は出場者のプロフィールを、過去の不幸な体験や心身の障碍を採点に加味するだろうか―この子はみなしごだから基礎点に10点加算とか―と考えるまでもなく、後者の評価姿勢には問題がある(本来素養の無い人に語らせているというケースもあろうが)と言えまいか。言い換えれば音楽そのものへの冷静な分析と背景、サイドストーリーをバランスよく織り交ぜて、素晴らしい作品を、その魅力を解き明かしてくれる評論家、批評家、識者がいないという私たちの時代あるいは国の不幸がこれで証明されたのではなかろうか。むしろもっと単純に、美辞麗句やお涙頂戴にはゆめゆめ気をつけねばならぬ、眉に唾せねばならぬという古典的な教訓が残されただけなのか。

実は、彼は非常に大きな肉体的なハンディキャップを抱えている。なんと、あるときから完全に耳が聞こえないのだ。それどころか、ひどい耳鳴りで死ぬような思いをしているのだ。しかし、彼はそれを人に言わないようにしてきた。知られるのも嫌がった。障害者手帳の給付も拒んできた。自分の音楽を同情抜きで聴いてもらいたいと考えていたからだ。

HMVウェブサイト、連載 許光俊の言いたい放題 第128回「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」(2007年11月6日)より一部を引用。

ほら、御覧なさい。

人に言わないようにしてきた。知られるのも嫌がった。

自分の音楽を同情抜きで聴いてもらいたいと考えていた

と、人に知らしめ広めてくれる人がいることで、より分厚い同情が得られるビジネスモデル。炎上商法ならぬ同情商法。

何を書くつもりだったのか分からなくなってきたが、何となく、忘れてはならないことがふたつあるような気がする。
ひとつ、我々が芸術作品と対峙する時に、必ずしも、作者の来歴、制作過程のエピソードなどインプットされているわけではないし、偶々ラジオから流れてきた音楽に心を動かされ終生愛聴するにいたることもあるように、何も知らずとも心を打たれることはある、ということ(素晴らしさを理解できるだけの素養と言うか経験が必要になる場面やジャンルは勿論あるが)。売る側はより多く売るためのこじ付けを必要とするが、買う側はただただ心の命ずるままでよいのである。
そしてもうひとつ、本質を外れたところでの美辞麗句、賞賛は、翻ってものの価値を貶めかねないということ。
もしかすると、現代音楽の文脈において優れた才をもっていた新垣氏が、共犯者の懇願を受けて得意でないロマン派的な交響曲を作り失敗した、その結果が「交響曲第一番HIROSHIMA」だったのかもしれないし、佐村河内守のプロフィールを見て情にほだされたりせぬよう、却って作品への評価を厳しくした人もいたかもしれない。しかしこうなってしまっては、新垣氏の実力、生み出した作品の価値が、もう一度正当に見直されることは困難だろう。

次のように語るのは(こうでも言わねば立場が無いとは言え)まだ潔いと思うし、そのような作品であった方が、救われる気がする。

同CD録音時に指揮を務めた大友直人さんの関係者は「楽譜を見て素晴らしい作品と思ったので演奏した。別人の作でも、楽譜に記されたことは変わらない」と話す。

毎日新聞 佐村河内さん曲:作られた「物語」2014年02月05日 20時59分(最終更新 02月05日 23時40分)より一部引用。

が、こいつはどうだろう。

「HIROSHIMA」のCDブックレットに解説を寄せた音楽評論家の 長木誠司さんは「強引な『ストーリー』をまとわせないと、無名の作曲家を世に出すことは難しい時代。発売後の過熱ぶりには、私もへきえきした」と明かす。「私たちは肥大化した『ストーリー』に、踊り、踊らされてしまった。誰もが『音楽ではないもの』を聴いていたとも言え、実に現代的な事件」とみる。

同上。

誰もが『音楽ではないもの』を聴いていた

というくだりはなかなかいいけど、その片棒を担いだ責任感は無いのか。厚顔無恥。
願わくは褒めちぎっていた皆さんがこれからも変節することなく、あなた方の心を打った作品そのものを評価されますように。

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