クルト・ザンデルリングのマーラー第9番と、ショスタコーヴィチ第15番。

クルト・ザンデルリングは、旧ソ連でムラヴィンスキーに師事した後、東ドイツでベルリン交響楽団などを指揮してきたマエストロだ。我が家ではペーター・レーゼルをソロに迎えたラフマニノフのピアノ協奏曲で長く親しんでいるが、一昨年の後半あたりから、マーラー、ショスタコーヴィチの録音も揃ってきた。ベルリン・クラシックスレーベルの、ショスタコーヴィチの1,5,6,8,10,15番を収めたセットや、マーラーの9番、10番クック版、大地の歌をまとめたセットなどだ。



それ以外の、ザンデルリングの代表的な録音が、フィルハーモニア管とのマーラー第9番で、こちらも評価の高いクリーブランド管とのショスタコーヴィチ第15番とのセットがERATOレーベルの国内盤で出ており、これをようやく入手した。マーラーが1992年、ショスタコーヴィチが91年の録音だ。

先にマーラーから。非常にゆったりと、静かな、柔らかな出だし。しかし楽器が重なってくると、音量が上がり、巨大な音楽へと変貌する。全曲を通じてダイナミックレンジを広く取った、強弱、大小のメリハリが良く聴いた演奏、録音だ。
この年、ザンデルリングは80歳になるわけだが、その年でこれだけパワフルな演奏を生み出せるとは、と、感心することしきり。しかし一方で、軽快な印象が強かった79年ベルリン響との演奏では、「終楽章など、普通ならレガートを使うところをそうせず刻む様な場面、独特のアクセントも感じられる。ただそれも、軽快な方に作用するので、けして重く濃くなることが無い」とメモしたが、大きく力強いこの演奏では、同じような部分に対してあくが強すぎるかな、と感じられてしまった。個人的には79年の演奏の方が好みだ。
ハイティンクの2011年の録音も大きく押し出しの強いものだったが、むしろ老年期になってからの方が、音楽が遅く、大きくなるのだろうか。

ショスタコーヴィチの15番も、オケは違えど同様の、ゆったりとして厚みのある大きな演奏だ。78年の録音について、「ゆったりと、柔らかい入りだ。この曲では、この落ち着いた流れが、曲のディテールをしっかりと紐解くことに繋がっており、暗闇から各パートが浮かび上がってはまた引っ込むような様がじっくりと表出されていく」と前に記したが、それと比べるとかなり押し出しが強く、迫力がある。この、肩透かしのようなとぼけたような、不可思議な曲をここまで堂々と奏でることで曲そのものが持つ違和感が強調されるようでもあるが、軽妙さがスポイルされている点は少し残念だ。

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