ピエール・ブーレーズのマーラー、2番と10番アダージョ。

ブーレーズのマーラー全集から、2番と10番を続けて。
2番を聴く前に、ブーレーズ以外ではパーヴォ・ヤルヴィのものぐらいしか目にしたことの無い、「葬礼」を聴いた。2番の第一楽章の原型となった交響詩だ。
まあ、2番だな、という印象で聴き進めていたら、朝の通勤電車で運良く座れたものだから聴きながら眠りに落ち、感想も何もなくなってしまった。
それから別の日に2番を。2005年の録音で、オケはウィーンフィル、歌唱はソプラノのクリスティーネ・シェーファー、メゾのミシェル・デ・ヤング。
これが何と言うか、緩急強弱の著しいもので、終楽章の後半などは柔らかくふくよかでこの上なく美しかったりもして気持ちよく聴き終えることはできたが、3,7,8番あたりの印象とは真逆で、少し困惑させられた。
しかし、マゼールと同じウィーンフィルとの全集でも、2番だけはこんな感じではなかったか。ゆったりと美しく磨き上げられた全集の中で、かつてのマゼールらしいケレン、アクの強さが唯一感じられたのが2番だった。あるいは余りの力強さに驚いたメータの2番もウィーンフィルだったが、まさかオケとは関係あるまい。若書きなのか、2番そのものが持つ構造的な何かがあるのかもしれない。



兎も角、クレンペラーやショルティではこれほどのあざとさを感じなかったのも事実で、楽譜を見ながら聴けるほどの知見の無い身にはよく分からない。

10番はアダージョのみ、クリーブランド管。録音は2010年と、かなり新しい。
曲については、余り聞き比べもしていないので余り語ることも無いのだが、弦の渋い鳴り具合などに、往年のマゼールとの録音などで聴けたクリーヴランドらしい味わいを感じて心地よくなった。そう言えば昔のブーレーズのストラヴィンスキーの録音も、パートナーはクリーブランド管だったわけだから、コンビネーションは悪かろうはずも無いのだった。

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