ピエール・ブーレーズのマーラー第1番。

第1番は、1998年、シカゴ響との録音。スピーディできびきびとしたショルティ、ベートーヴェンを聞いていたかのような錯覚を起こされたジュリーニと、指揮によって異なる表情を見せてくれたが、ブーレーズの指揮ではどうなるか。



第一楽章は森の中にいるようなやわらかく新鮮な空気感で、管の響きが素晴らしくふくよかだ。
第二楽章はその印象を引き摺りつつ、優雅に、しかしきびきびと歯切れの良いリズム感で舞い踊る。このテンポの良さと言うか速さは、余り記憶に無い。
そして第三楽章、1番を聴くときに、ここ数年はこの楽章に最も注意を払ってしまう。土着的な葬送の場面を思い浮かべ、しかしそれは単に厳かで悲哀に満ちたものではなく、やや卑俗的であって、そうしたイメージがどこまで深まるか、感じ取ろうとしてしまう。そういう観点からはスマート過ぎると感じるが、自分の基準になっているクーベリックの録音のほうが少数派なのかもしれない。少し音量を控えめにしているのも特徴的だ。
そして終楽章は一転、厚みとスケール感を増して展開される。堂々たる押し出しの強い、シカゴ響の力量が存分に発揮された演奏と言えるだろう。

このような、楽章ごとに表情を大胆に変えて行く展開は予想外だった。極力演出をしない、例えばショルティとの録音のスピード感は保ちつつ、破壊的なパワーは押さえ込んだような、きびきびしてはいるが淡い物になるのではないかと思っていたのだが。もともと交響詩として構想されていた、その物語性をしっかりと引き出したと言うことなのだろうか。
最近1番を聴いていないので、ほかの録音を聴きなおしてみたほうが良いかもしれない。

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