タイラー・ハミルトンの「シークレット・レース」。

「ちょっとピンぼけ」に続いて、翻訳もののノンフィクション。元自転車ロードレーサーのタイラー・ハミルトンに取材して書かれたドキュメンタリー、「シークレット・レース」だ。
ハミルトンがいかにしてロードレーサーとなり、プロとなり、ドーピングに関わり、やがてすべてを告白するにいたるか、それを時系列で追ったドキュメンタリーだ。しかし、ランス・アームストロングがツール・ド・フランスを連覇していた頃のチーム・メイトの証言として、ドーピングの実態を白日の下ににさらけ出しているので、俄然そこに注目が集まる。私自身も、そこに気を惹かれて手に取ったことは否めない。

 

その世界で生き残るために、チームのために、ハミルトンや周囲の選手たちはドーピングに手を染めていく。誰もが薬を使い、使うことではじめて対等、公平になるという錯覚が生まれ、より効果的な薬剤や手法を追い求め、検査をすり抜けるテクニックを磨いていく。ロードレースほど美しい献身を目の当たりに出来るスポーツはないだろう。しかし彼らの時代、美しい白鳥たちは、水面下で薬や血の混じった泥水を掻き続けていたのだ。
単純な二元論で言えば、彼らはすべて悪に染まっていた。そして、互いに競い合う者たちが皆悪であるならば、最も悪いやつが勝つのは当然だ。それがランス・アームストロングだったと言うことなのだろう。現役当時からアームストロングのことは疑っていたが、想像を超える衝撃的な内容で、彼がどれほど腐った詐欺師であったか、悪夢を見せられているように思える。

ここ数年、プロ・ロードレースを眠い目こすったりオプション料金を払ってまで観る気になれないのだが、これでさらにしばらく、見る気にならないだろう。この失望感は払拭できないし、今現役の選手たちには罪は無いのだろうが、素直に感動することができなくなってしまっていて、どうにもしようが無い。素晴らしい走りに、果敢なアタックに、どのような新しい薬物が効果を発揮しているのかと、疑ってしまう。

それはあくまで私のとるに足らぬ感傷という別の話であって、この本そのものについて言えば、ひとりの元アスリートの、過酷な運命に翻弄される類まれな半生を克明に描いた、素晴らしいドキュメンタリーだ。読み始める前の私がそうであったように、ロードレース界のドーピングに興味を持って見れば、この本は「暴露本」と呼ばれるのだろう。しかし読み終えると、そのような下種な呼び方は、この真摯な作品にはけしてふさわしくないと思うに至った。すべてを告白し、身の危険も感じながら真実のために戦ってきたタイラー・ハミルトンと編者ダニエル・コイルに敬意を表したい。

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