カンフー映画、武侠映画についてのメモ。続き。

ジャッキー・チェンがブレイクしジェット・リーが現れた1980年代前半が第二次カンフー映画ブームだったが、やがてそれも終息し、カンフー映画は再び日陰の存在となった。まあ、ブームの間でも、仲間たちと5~6人で映画を見に行ったのに、私とH君がジャッキー・チェンの小屋へ入り、あとの皆は向かいの小屋で「Uボート」を見ると言った具合で、誰もが馬鹿になっていたわけではなかった。

沈静化してからは、時折深夜や野球が雨天中止になったときにTVで放映されるのを観るぐらいになってしまったが、そうした中に、意外と面白い作品が転がっていた。
例えば83年から89年春まで私は京都に住んでおり、KBS京都の阪神戦中継が雨天中止となったある日、ジミー・ウォング主演の「ドラゴン修行房」を観ている。あの伝説的な珍品「ドラゴン太極拳」も野球中止の代替だったような気がする。“超立体映画”として公開された、レオン・タン主演、パイ・イン共演の「空飛ぶ十字剣」を観たのは深夜放送だ。
また、これは京都にいた頃かどうか定かでないが、「最後の少林寺」と言う、方世玉ものも深夜放送で観ている。ジェット・リーの少林寺ものの後追いで作られた中国映画だと思っていたが、今調べたら中国・香港合作だった。

1990年、金庸の「笑傲江湖」を原作とする「スウォーズマン/剣士列伝」が製作されるが日本未公開。92年、主役をジェット・リーに替えて続編が作られ、「スウォーズマン/女神伝説の章」として、94年に日本で公開される。これは大阪南の千日前で看板を目にした覚えがあるが、観逃してしまった。相前後して、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱」が93年に日本公開されている。
このあたりの作品でジェット・リーが復活した。
93年の秋に妻と暮らしはじめたのだが、不思議なことに彼女はこれらのジェット・リー作品のレンタルビデオを一緒に観てくれるような人で、90年代前半のジェット・リー作品(ついでにその他のカンフー映画で借りられるもの)も一通りビデオで観た。武侠小説を原作とする(と言ってもあまりにも突飛な改変で原作の痕跡はあまりないが)「スウォーズマン」シリーズは勿論、「ワンチャイ」シリーズもカンフー映画と言うよりは武侠映画と呼ぶべきものだったが、それこそ、ファンにとっては彼の魅力が存分に味わえ、ジェットにとっても輝きが増すふさわしい居場所だったと思う。その流れでは、「レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 格闘飛龍」「レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 電光飛龍」「ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ 烈火風雲」「カンフー・カルト・マスター 魔教教主」「新・少林寺伝説」など、どれもそれなりに面白かった。ただ、いくつかの作品ではバリー・ウォンが監督であったため、設定がいい加減で詰めの甘さが目立ったのは残念だ。

そして、追い続けているのはジェット・リーぐらいだが、「燃えよドラゴン」から40年経った今も、時折カンフー映画や武侠映画を観る。Youtubeで、小画面で英語字幕だがショウブラザース作品が楽しめるのはありがたい。中国が本気で映画産業に取り組みお金のかかった作品が出てきているので、武侠ものがCSなどで放映される機会が増えた。日本語字幕付のパッケージソフトも、昔に比べればかなり増えてくれた。
そんな今の時点での、これは観ておくべきだと言う作品を挙げておこう。




ジェット・リーの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」3作がセットになったブルーレイ。家にはDVDしかないが、これは問答無用で観ないといかん。主題曲「男児當自強」が流れてきたらそれだけで奮い立つ。それは置いておいても、第2作「天地大乱」は、ドニー・イェンやデビッド・チャンとの共演、熊欣欣との闘いもあり別格の出来と言える。全てのカンフー/武侠映画の中で自分が選ぶベストは「天地大乱」だろう。勿論、ユン・ピョウが脇に回ってジェットを立て、ヤン・サイクンが時代に取り残された武術家(同時に劇中当時、清朝末期の中国の分かりやすいメタファーであるが)の悲哀を見せ付けてくれた第一作「天地黎明」もそれに匹敵する素晴しさだ。
そしてショウブラから「五毒拳」。大スターに頼るのではなく、動ける役者が集まって、闘いで、動きで魅せる、カンフー映画の新機軸を確立した名作だ。
もうひとつショウブラ。ジミー・ウォングは、カンフースターとしては評価しにくいが、この武侠片における哀感の表現はさすがだ。ただし、次作の「続・片腕必殺剣」は打って変わって珍品と化しているので要注意。
さらにもうひとつショウブラ。デビッド・チャンとティ・ロンは、日本ではブレイクしなかったが、ブルース・リー存命中からジャッキー・チェンの時代に至るまで、香港映画を牽引し続けた大スターだ。その二人による「片腕必殺剣」のリメイク(ストーリーは全くの別物)で、殺陣は少し荒いが、特にデビッドの憂いに満ちた演技が素晴しく、それと対を成すティ・ロンの陽性な魅力も映える。
ブルース・リーの作品としては、「ドラゴンへの道」。ブルースの、ブルースによる、ジークンドーのプロモートのための映画だ。
そして、最近の作品から、「ドラゴン・キングダム」。ジェットとジャッキーの共演と言う歴史的な出来事が話題になったが、それだけでなく全編に、カンフー映画への愛情が滲み出ている佳品。オープニングのアニメーションだけでもちょっと感動だ。余談だがこの作品のCGなど、韓国のスタジオが関わっている。狙いのあやしい韓国上げは嫌いだが、目立たぬところで進歩し、国際的に戦えるレベルに達しているのではあるまいか。このあたり、日本の映像業界は置いてけぼりなのではないか。と、劇場でエンドロールを見ながら少し不安になったことを思い出す。

さて、カッコつけて言えば、これはブルース・リーのファンではあったが、カンフー映画マニアにはならなかった男の足跡なのだろう。
普通の人よりはカンフー映画に詳しく、妙な作品のことまで覚えていたりするが、日本語字幕の無いビデオCDやDVDまで買い漁るようなことはしないし、ジャッキー・チェン作品すらコンプリートしようとは思わない。何故だろうと考えると、カンフー映画の雑なところを許容できないからではないかと思う。
例えば「ドラゴン修行房」を例に挙げよう。ジミーさんは虎の拳の使い手だが、仇敵に歯が立たない。仇敵にも弱点があるのだが、そこを守るために、ベストにスタッドを取り付けているのだ(そもそもこの時点で弱点を相手に知らせているわけで、どうにもおかしいのだが、こんなのは序の口だ)。散々悩んでジミーさんは、鶴の拳でスタッドを取り去り、むき出しになった弱点を虎の拳で打てば勝てると考え、鶴の拳を修行する。そしてクライマックス、苦戦しつつもジミーさんは鶴の拳でスタッドを掴み、千切り取る。するとなぜか、それだけでベストの穴から血が噴出し、仇敵は死んでしまうのだ。こんな結末をTVでなく劇場で金を払って見ていたら、とてつもない自己嫌悪に陥っただろう。
他にもある。「ヤングマスター」の最後の格闘で人形を使っているのが見え見えだったりするのも許せないし、「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」の、普通の中国人が顔を茶色く縫っただけのムエタイ男も我慢ならない。ブルース・リーの未公開映像が見られると勇んで観に行った「死亡の塔」で騙されたショックも余りにでかい。
おそらくカンフー映画とは、そうした駄目なところ、粗製乱造も含めて愛すべきものなのだろう。しかし、少なくともブルース・リー作品では(「怒りの鉄拳」の日本人の服装や鬘には問題があるがまだ許せる。「危機一発」には微妙な場面はいくつかあるが)、それほどひどい場面はなかった。ツイ・ハークとジェット・リーが組んだ「ワンチャイ」シリーズには、そんな興ざめな場面など欠片もなかった。ショウブラは日本では余り流行らなかったけれど、その時代の技術で出来る限りの真面目な映画作りをしていた。そういうまともなものと駄目なものは、分けてしかるべきだと思うのだ。
だから、こう言うチョイスになるんだろう。

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