色川武大の「狂人日記」について書こうと思ったら「麻雀放浪記」の話になってしまった。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」から色川武大の小説、「狂人日記」のことを思い出したので、久々に本棚から取り出して読んだ。他にも、文庫ばかりだが、色川作品が10冊ほど出てきたので、続けて読もうと机上に積んである。

大学に入って、教養部の正門の並びにあった教科書などを売っている書店で、阿佐田哲也の麻雀小説と出会った。麻雀そのものは高校時分に覚えていたものの麻雀小説には馴染みが無かったが、以後貪るように読み耽った。
中でも代表作の長編「麻雀放浪記」四部作は、一体どれくらい読み返したことかわからない。延べにすると100回は越えているだろう。大学の二回生の秋には、第一部が和田誠監督で映画化され、当然のこととして観に行ったが、それも随分遠い思い出だ。世間的には第一部が青春小説としても評価されていると思うしその映画化もあって広く読まれているのだろうが、「戦後」が薄れていく中、時代に取り残されながら、それでしか生きられない人々のそこはかとない悲哀と、それでも矜持を持って生きるろくでなしたちへの愛情を込めた視線に満ちた第三部、第四部あたりも好ましい。むしろそれらの方が読んだ回数が多い。もちろん第二部も、関西が舞台でちょっとコミカルな感じはあるが傑作だ。
時に若者の成長譚であり、時に社会に順応する方法を反面教師側から解説したテキストであり、時にヒロイズムに満ちた冒険譚であり、時に幻想小説的な様相を垣間見せるかと思えば、戦後の歴史を辿ったルポルタージュの様でもあり。いや、そんなことはどうでもよくて、結局、兎に角面白いのだ。これほど面白い小説は他になかなか無い。



昔は角川文庫から出ており、黒鉄ヒロシの少し毒気のあるイラストによる、味のあるカバーだった。しかし今の角川文庫では、漫画家福本伸行による、例の鼻と顎の尖った顔のイラストに変わっているようだ。福本氏には申し訳ないが作品の世界観を限定しすぎる、いや、はっきり言えば壊していると思うし興醒めなので、イラストの無い文春文庫の方を貼っておこう。

すっかり脱線してしまったが、その阿佐田哲也の本来の名前が色川武大であると知り、色川作品にも手を伸ばすのは、私にとって自然なことだった。阿佐田哲也=色川武大は亡くなって久しく、それはかつての私にそれなりの喪失感をもたらしたが、色川武大の最後の作品として、「狂人日記」という傑作が世に出されたこと、言い換えれば、この作品が彼の死に「間に合った」ことは、読者にとっての大いなる恵みと言えるだろうと、改めて痛感した。

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