ストラヴィンスキーの「春の祭典」と色川武大の「狂人日記」。

自作自演と言ってもバレエを踊っているわけではなく、指揮だ。
ストラヴィンスキーへの興味はすでに中学高校の頃からあり、オーディオ機器をひと通り揃えた早い段階で、ムーティ指揮の「春の祭典」、LPレコードを買って聴いてみたのだが、芸能山城組にも通じるような暴力的な音の羅列には馴染めなかった。
デジタルの時代になってあらためて挑んでみようと、三大バレエをブーレーズの録音で揃えて聴いてみたが、苦手意識が染み付いてしまったのか、受容には至らず。その後はマゼールの30枚組み作品集にもいくつかストラヴィンスキーの作品が入っていたので聴いてみたが、「ペトルーシュカ」が多少聴きやすく感じたぐらいか。

それなのに何故か、周期的にというわけではないのだが、ふとした折にストラヴィンスキーのことが気になる。で、オンラインショップのクーポンがあり、他に買うものがあったついでに検索をかけてみると、ストラヴィンスキー自身の指揮によるステレオ録音のバレエ作品集が見つかった。三大バレエ以外の作品、「ミューズを率いるアポロ」や「プルチネッラ」も聴いてみたいと思いつつまとまったセットが見つからぬまま忘れていたのだが、このボックスのおかげで一通り網羅できる。


ソニーの廉価ボックスシリーズのひとつで、これ以前に自演を集めた22枚組みボックスセットが出ており、そこからバレエ音楽を抜き出した7枚組みとのことだ。22枚組みの方は作品の大半を網羅し、歴史的録音やリハーサルまで含んでいるようだが、そもそも苦手であるし、何より膨大すぎるし、でこちらを選んだ。予約商品も一緒に注文しているので、届くのは2週間後ぐらいだろうか。


その予行演習と言うわけではないが、もっとも強烈で苦手な「春の祭典」を、SONY時代のブーレーズ指揮の手持ちのディスクから、久々に聴いてみた。
すると不思議なことに、あまり苦しくない。ムーティの録音はデジタルになってから持っていないのでうろ覚えだが、もっと強烈だったろうか。これがブーレーズらしい学究的な怜悧なスタンスと言うのかどうかは分からないが、破壊的な面が鳴りを潜めて、結果、自分にとっては聴きやすい。映画音楽のようだ(多少、変わった映画ではあろうが)。
ちょっと意外で拍子抜けというか。同じ録音を聴いても、以前はこんなふうに感じたことは無かったのだが。

 
色川武大の小説「狂人日記」を読むときに、何となく頭の中に浮かんでくる音楽がある。閑散とした東北の一軒家を囲むように、蛙が鳴き募る夜のイメージ。単調な音程の連続が長閑さから不安を染み出させやがて狂気へと昇華させて行く。自分の中で勝手に沸いて出たもので、これを楽譜に出来たら交響詩になるだろうかなどと思っていた。
驚いたことに、その音楽が、「春の祭典」の第二楽章と言うか第二幕と言うかにそっくりだったことに、今朝初めて気がついた。この曲が頭の中で鳴るようになって以後も、「春の祭典」を聴いた覚えはあるのだが、これまで全く気づいていなかった。とっくの昔から無意識下でこの曲を好んでいたのだろうか。

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