田舎の少年の笑いの感性とせんだみつおとか青空球児・好児のゲロゲーロとか。

長く大阪に住んでいるが、そもそも兵庫県より西の土地、岡山県で生まれたので、阪神ファンではないし、笑いの感覚の下地になっているのも関西の笑芸だけではない。
東京キー局の番組が中心で、ところどころに大阪の番組が混じる。そんな編制のテレビを見続けて、今の自分の感性が形成されている。

かつての岡山には、民放の局としては山陽放送と岡山放送の2局しかなかった。瀬戸内海をはさんで対岸の香川県に西日本放送と瀬戸内海放送があった。現在では各局とも出力を上げたり中継アンテナを整備したのだろうか、2県で5局を共有して視聴できているようだが、当時は岡山側だと県南部でも、西日本放送は良好だったものの、瀬戸内海放送は場所によってはまともに映らなかった。
系列としては、山陽放送はTBS~毎日系、岡山放送はフジ~KTV系、西日本放送は日テレ~読売系、瀬戸内海放送は朝日系となる(テレ東系の局も後に出来たがそれは私が岡山を去ってからのことだった)。

お笑いに関して思い出してみると、1964年生まれの自分にとって、「シャボン玉ホリデー」はすでに過去の存在だった。「ゲバゲバ90分」が小学校に上がる前後、何となく覚えているぐらいか。
物心ついてから楽しんでいたものと言うと、まず山陽放送では土曜の午後に、毎日放送制作の吉本新喜劇を放映していた。音楽と笑芸とがミックスされた公開形式のバラエティで「やんぐおーおー」という番組があり、これも毎日放送の番組だったが、山陽放送でもネットされていた。話が逸れるが私が岡山を離れた大学生の間に、やはり毎日放送で「突然ガバチョ」という人気番組があったが、たまに岡山に帰省すると、放映されていなかったのは何故だろう。
「笑点」はすでに三波伸介が司会で、当然NTV系の西日本放送で、今と同じ日曜夕方。「お笑いネットワーク」も西日本放送だったか。「やじうま寄席」と言うのもあって、毒蝮三太夫が司会をしていたように思うがこれは記憶が曖昧だ。
祖母が好んだ藤山寛美の松竹新喜劇の番組が、毎週土曜だったか日曜だったか、これはどこの局だったかも覚えていない。
ザ・ドリフターズの「8時だよ全員集合」は当然見ていたし、「見ごろ食べごろ笑いごろ」だったか「見ごろごろごろ大放送」だったか、ベンジャミン伊藤や「電線音頭」なども鮮やかに思い出せるが、これらよりは、新喜劇や漫才の方が好きだった。落語にはあまり惹かれなかったが。
そして、どういうわけか「せんみつ・湯原のドット30」という番組が妙に好きだった。せんだみつおのことは、かなり好きだったのかもしれない。

「おれたちひょうきん族」や「花王名人劇場」は高校生になったぐらいから始まったもので、その頃には「お笑いスター誕生」なんてのもあり、楽しんでいた覚えがあるが、それは同時代の中高生にとってはごく普通のことだったと思う。

こんなことをつらつらと思い出したのは、何故か「青空球児・好児」のことを思い出したものの、職場の若い者に「球児好児」と言っても全く通じず、しかもYoutubeなどで彼らの芸を見つけることができず、今昔の漫才と言うとやすきよを筆頭に漫才ブーム以降の、それも大阪のものばかりが語られるが(ここは大阪だから仕方が無いのだが)、それ以前から東京にも面白い漫才があったのに残念だなあ、と、ふと思ってしまったからだ。



自分にとっては夢路いとし・喜美こいしと中田軍司が生きていた頃のWヤングが最高だったが、東の漫才も面白かった。重鎮獅子てんや・瀬戸わんや、Wけんじ、そうした中でも青空球児・好児の「ゲロゲーロ」は余りに可笑しくて転げ回ったものだが。

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