猫との暮らし。

1993年10月、十三に引越し。11月に、その一月ほど前すでに入籍していたが別々に暮らしていた妻も引っ越して来て、同居を始めた。
しばらくしてある日仕事から帰宅すると、ソファに猫が寝そべっていた。十三東公園界隈には多くの野良猫が棲んでいて、その中の一匹だった。その後、うちに来ては夜は出て行くという付き合いがはじまった。野良猫が、半野良になった、と言う感じか。内田百閒にちなんで、と言うよりは、「人形の家」のノラ、家を出た雌猫のノラ、と呼ぶようになった。

94年4月、一週間ほどの新婚旅行から帰って来て間もないある日、ノラが鳴き叫びながら駆け寄ってきた。その前から妻は、ノラが妊娠していることに気づいていたそうで、家に入れてやると、物陰になるような場所を捜す。出産のために、安全そうな場所を探しているのだ。妻が、机の前に布を垂らし、陰になる空間を作ってやったら、その中に落着いた。そして夜になり、5匹の子を産んだ。
子どもたちが動き回るようになると、アパートの狭い裏庭に物置があるので、そこに住処を作ってやろうとしたが、移動させてもノラが一匹ずつくわえて室内に連れ戻すのであきらめた。ノラたちは家猫になってしまった。

まだ一般にはインターネットのない時代で、ミニコミ誌で里親を募集した。3匹引き取られていった。4匹目の時、相手が猫の扱いがあまりにがさつで危ないと感じて断り、結局2匹が残ってしまった。ヨーダとガタガタだ。

一年も経たぬ間に、ヨーダは気がつくと妊娠していた。あわててガタガタに不妊手術を施した。ヨーダは生後11ヶ月で、彼女の母と同じ机の下で、4匹の子を産んだ。情が移らないよう1号、2号、パグ、茶子と適当に名前をつけ、またミニコミ誌で里親を募集した。
1号は、阪神大震災で猫がいなくなってしまったと言う初老の女性に引き取られた。いなくなった子とそっくりだと感激され、こちらもうれしかった。茶子も無事に里親が見つかり、パグは、飼っていた猫を亡くしていた私の母の元に送り出した。そして2号が残った。
そうこうしている内に、自分の居場所が狭くなって気に入らなくなったのか、ガタガタが家出をしてしまった。二度と帰ってこなかった。私は泣いた。

私たちはその後引越し、引越し先にノラたちを連れて行った。しばらくは何事もなく過ごしたが、数年を経て母親が癌になり、郷里と私たちの家を行き来するようになって、その間、里子に出していたパグと、もう一匹、母が拾った野良猫の世話をすることになった。パグはミッコと名を変えていた。野良猫の名はナナだった。

やがてノラが亡くなり、ひと月ほど経って母も亡くなった。おかしなものだがノラが死んだときの方が衝撃が大きく、また、悲しかった。

ノラは元々野良猫だったので年齢が分からないが、よく獣医の世話になる子だった。獣医の話では野良だった時代に罹った病気で消化器系が弱くなっているのではないかということだった。台所の片隅で横たわって亡くなっていたのを妻が見つけたのだが、果たして幸せに、天寿を全うしてくれたのだろうか。

ヨーダは18歳を超え、2号とミッコも17歳を超えている。ナナは不明だが、生前の母親の話から推測するに、15歳ぐらいだろうか。母がどういう育て方をしたのか、爪を切らせてくれず、歩くだけでカーペットにひっかかったりして難儀なことになっているが、それでも以前よりは少しなついてくれていて、触っただけで引っかかれたり牙を立てられたりすることは無くなった。
2号は数年来糖尿病を患い、後ろ足が不自由になっている。ミッコは何かの麻痺だろうか、いつも顔が傾いていて、呆けているのか、ひっきりなしに食餌を求めるし、消化器系も良くなさそうだ。ヨーダは年々食が細くなり小さく軽くなった。少し前までは起きている時は元気で、私がベッドに行くと追いかけてちゃんと飛び上がって来ていたが、その元気も無く、ここ数日はほとんど何も食べない。

そして、とうとう、先ほどヨーダが息を引き取った。18歳と5ヶ月。幼いころは体が弱かったが、まずまず長生きしてくれた。安らかに。ありがとう。

コメント

人気の投稿