ランス・アームストロングのドーピング疑惑、決着。

ロンドン五輪、男子自転車ロードレースはTV放映されずストリーミングで視聴したが、優勝は、懐かしいアレクサンドル・ヴィノクロフだった。
ドーピングで一度消えた男が復活した姿は、感慨深くもあり、一方で納得できない部分もあり、もやもやしていたのだが、そこに、一般のニュースとして、ランス・アームストロングの記事が飛び込んできた。情報を整理するとともに、ついでに他の選手も含め、ツール・ド・フランスとドーピングについて、ざっとメモしておこう。

●ランス・アームストロング

1999年から2005年までツール・ド・フランス7連覇。一度引退し、2009年シーズンから復帰するが、振るわず、2011年1月に再度引退した。
ランスのドーピングについては、今年に入って大きな動きを見せていたが、ついに日本時間の今日、かつてのツールでの優勝が剥奪されることになったとの報が、全世界に広がった。

ここまでの経緯はWikipediaに詳しいが、簡単にまとめると、こんな感じだろうか。

当時:あやしい。しかし証拠が出ない。

2010年:自身がドーピングでクロになった元チームメイトのフロイド・ランディスが、突然ランスを告発。自分はランスと監督のヨハン・ブリュイネールからドーピングを教わったと。

2011年:アメリカのTV番組で過去のチームメイトやその家族が証言。やはり自身がクロだったタイラー・ハミルトンは、UCIとブリュイネールが金を動かしてもみ消したとまで話した。

2012年:全米アンチドーピング機関(USADA)が違反と裁定。7月、USADAはランスがいたチームの元チームドクターと元顧問医師、元トレーナーの3人を永久追放。8月23日、無罪を主張してきたランス側が、これ以上争わないと言う声明を発表。「本当に潔白だけど、どっちみち有罪にされるからもうやらない」、と言うスタンスのようでもあり、これ以上騙せないと諦めたようでもあるが、どちらだろう。
そしてMSN産経ニュースによると、USADAは現地時間の8月24日、
7連覇したツール・ド・フランスを含め、1998年8月1日からの全タイトル剥奪や自転車競技からの永久追放の処分を同選手に科したと発表
したとのこと。

2006年ジャパンカップに来日したブリュイネール監督。
穏やかな感じで、機嫌よく写真を撮らせてくれたが…。
うちの奥さんはドーピングについて、「(数年で復帰できるなど)処分が甘いから繰り返すのではないか」とか、「(自分の知己含め)ファンの側にそういうことを気にしない人間が多いのもおかしい」とお怒りだ。ランス側の声明に対しては、クロならクロで潔く認めろ、そうでないのなら最後まで戦え、かつてランスに敗れていった選手たちのことも考えろ、と、かなり厳しい。

確かにそりゃそうで、ドーピングが無ければ勝っていた選手もいたかもしれないし、あるいは、ランスに勝つためにドーピングに手を出した選手もいたかもしれない。もちろん、同じようにドーピングをしても勝てなかった選手もいたかもしれないが。

ランスのかつてのチームメイトには、前述のランディス、ハミルトンをはじめ、他チームに移籍後ではあるがEPO陽性で引退に追い込まれたロベルト・エラスもおり、どうにも周辺が黒すぎる。黒い泥沼の中心にいて、白衣に染みひとつないとは考えられず、クロだろうと個人的には思う。7連覇は剥奪で仕方あるまい。

●近年のツール・ド・フランス優勝者および有力選手

1988年
総合優勝のペドロ・デルガドの薬物使用が発覚するが、五輪では禁止されているものの自転車競技連盟では禁止されていないものだったため不問。

1996年
総合優勝のビャルヌ・リース、後にこの時のEPO使用を告白。チームの同僚でありポイント賞獲得のエリック・ツァベルも同様。

1998年
フェスティナ事件。チームフェスティナにて、チームぐるみでの薬物使用が発覚。大事件となる。

2006年
5月に「オペラシオン・プエルト」と呼ばれる大規模なドーピング摘発が始まり、主犯的な位置にいた医師フエンテスが保管していた大量の血液サンプルが押収された。ヤン・ウルリッヒ、イヴァン・バッソ他、関わったと推定される多くの選手が、あくまで疑わしいという状況ではあったが、出場できない事態となった。
そうした中で総合優勝したのがフロイド・ランディスだったが、テストステロンの数値が異常で薬物使用と看做され優勝剥奪となった。

2007年
優勝候補筆頭のアレクサンドル・ヴィノクロフが薬物陽性で途中棄権。
その後優勝確実な位置にいたミカエル・ラスムッセンが大会前に協会に申告していた逗留地が虚偽であったことが発覚。途中で追放、チームからは解雇された。
薬物追放の厳格化のため、選手はオフシーズンでも居場所を報告する義務があるのだが、こうした人権侵害に近い決まりごとを作らねばならないほど事態は深刻だということだ。

2008年
若手の成長株で上位争いに加わっていたリカルド・リッコが途中で薬物陽性となりチームごと棄権。リッコは後に競技出場資格停止から復帰するが、それ以降も練習パートナーなど周辺で薬物陽性が相次ぎ、疑惑をもたれていたところ、ついに自己輸血が発覚した。2012年から12年間の出場資格停止。

2010年
大会終了後、アルベルト・コンタドールのクレンブテロール陽性が発覚。ごく微量で、食品が汚染されていたためと訴えるも認められず、総合優勝剥奪。

2012年
フランク・シュレクにキシパミド陽性が発覚し棄権。ただしキシパミドは利尿剤で、世界アンチ・ドーピング機関により「パフォーマンスの向上目的で使用したのではないと証明することができる物質」に指定されており、まだ反論の機会があるとのこと。

●ヤン・ウルリッヒ
1996年のツールは、チームメイトであるリース(前述のように、後にこのときのドーピングを告白)の2位。1997年総合優勝。1998年マルコ・パンターニの2位。1999年怪我で不出走、2000年、2001年はランス・アームストロングの2位、2002年、事前にアンフェタミン検出で出場停止、2003年アームストロングの2位、2004年4位、2005年3位。アームストロングが引退した2006年はチャンスだったはずだが、「オペラシオン・プエルト」で出走できず。以後、押収された血液サンプルがDNA鑑定でウルリッヒのものと特定されたことが決め手となり、チームを解雇、プロライセンス剥奪を経て、翌年引退に追い込まれた。

●イヴァン・バッソ
2004年3位、2005年2位。2006年ジロ・デ・イタリアを制し、2006年の大本命となるも、「オペラシオン・プエルト」で出場できず。そして、2006年のツール・ド・フランスに向けてドーピングを準備していた(それ以前はやっていないとのこと)と告白し、2007年初夏から一定期間の出場停止処分を受けた。ただし、2006年のツールには出場していないため、公式には、実際のレースにおいてドーピングをしたわけではないということになる。

●マルコ・パンターニ
1998年、ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスのダブルツール制覇。1999年ジロの期間中、2連覇を目前に、ヘマトクリット値の異常で出場停止。2000年はツール途中棄権、2001年ドーピング疑惑が再燃し2003年まで出場停止、精神を病み、2004年コカインの過剰摂取により死亡。ヘマトクリット値の推移が疑惑を持たれたものの、何らかの薬物そのものが検出されたわけではない。

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