カラヤンのマーラー第5番。

マーラーがユダヤ系であったことで、ベルリンフィルでは長くマーラー演奏を行っておらず、カテゴリーを越えて圧倒的な録音数を誇るカラヤンでさえマーラーの録音はあまりというか驚くほど少ない。4、5、6番、9番2種、大地の歌。これだけだ。
その最初の録音が、1973年の第5番。しかし、この録音の第4楽章がカラヤンの録音の中から美しい緩楽章を抜き出した「アダージョ・カラヤン」に収められており、カラヤンのマーラーとして、と言うより、数あるマーラー録音(の一部分ではあるが)の中でも広く耳にされているのではないかと思う。クレンペラーはマーラーに直接師事したことがありながら、5番については第4楽章をサロンミュージックのようと評するなどかなり低く見て録音を残していないのだが、カラヤンがマーラーに挑む最初の一歩としてこの曲を選んだのは、そのサロンミュージック的な美しさ故だったりしたのだろうか。



録音はそこそこ古く、今時のものの様な鮮度は無いが、これは仕方が無い。冒頭、やや控えめにも感じられるトランペットから、葬送行進曲が厳かに立ち上がる。じっくり落ち着いたテンポで、抑制の効いた演奏と感じるが、止め撥ねはらいがしっかりとしていると言うか、ベルリンフィルらしい整い具合で、緊張感が高い。
ただし、落着いた流れは変わらず続くので、第三楽章あたりになると少し間延びしたようにも感じられる。7番を聴いている時のように、何を聴いているんだか、ふと見失ってしまう。
第四楽章にいたって、さぞかし人工的な美が生み出されるのではないかと思っていたら、緩やかなまま、しかしうねりを持たせた、どちらかと言えば硬派な演奏で面食らう。美しいのだが、耽美的ではない。マーラーの躁鬱気質的な部分を表しているかのようにも思える。随分と少ない編成で演奏しているように聴こえるのは、それだけ徹底して音の出が揃っているからだろうか。
続く終楽章はしっかりとメリハリを利かせてまとめにかかった感じだが、全曲を通じて、我々がしばしば決め付けてしまうカラヤンらしい美しく纏め上げられたものではなかった。良い意味で期待を裏切られたとは思うのだが、5番に関しては美しさにこだわって欲しいと言う気持ちがあるので、自分にとってマゼールやノイマン晩年の演奏に取って代わるものではない。

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