ハイティンクとバイエルン放送響のマーラー第9番。

バイエルン放送響の自主レーベルから、ベルナルト・ハイティンク指揮のマーラー、交響曲第9番がリリースされるというので注文しておいたのが届いた。
ハイティンクは長く名門コンセルトヘボウ・オーケストラを指揮してきたマエストロで、個人的にはショスタコーヴィチの全集で好感を抱いているが、本邦では余り人気はないように感じられる。ショスタコーヴィチ以外にはリヒャルト・シュトラウスのいくつかの録音と、コンセルトヘボウ管とのマーラーの新録音の4番と7番ぐらいしか持っていないが、概して過剰な演出や感情移入が感じられない朴訥とも言うべきスタイルだからだろうか。
マーラーにも造詣の深い指揮者で、コンセルトヘボウ管時代にはセッション録音の全集に加え、クリスマスコンサートでのライブ録音集も残している。その後ベルリンフィルとの全集録音は途中で途絶えたそうだが、近年に至るまでシカゴ響とのライブ盤など続々とリリースされている。
全集は聴いてみたいものの、最低限の枚数のディスクに刻んで詰め込んでいると思われ、一曲一曲を聴くには面倒そうで手が出ないのだが、単発の、9番で、しかも1枚物となると手が伸びてしまう。

さてこの9番、風邪で倒れたマリス・ヤンソンスのピンチヒッターとして指揮したライヴのCDだそうだ。病欠した指揮者の代打が80歳を超えているというのが驚きだ。
2011年12月の録音で、我が家にある最も新しいマーラーの9番になる。その前が2009年のサロネンとフィルハーモニア管、その前が2001年のウーヴェ・ムントと京響の録音で、如何に新しいものより往年のものばかり積極的に聴いているかがよく分かるが、仕方が無い。大指揮者の全集や選集が驚くほどの安価で発売されると、つい手が伸びてしまうではないか。

とはいえ、現大阪市長のように大阪にクラシック音楽など必要ない、誰があんなものを聴くのか、と言い放つ為政者が現れるようになると、少し考えねばならないという気がする。
オーケストラがクラシック音楽を演奏しても採算が合わない。採算が合わないと言うのは皆が聴かないわけだから、多くの人にとって必要ないものだということだ。それを税金で補助するのはおかしい。
と言われてしまうと、どうにも反論が難しい。まして、クラシック音楽と言うのは西洋のもので、日本の伝統文化ですらないから、保護保存すると言う名目も立たない(流石に日本の伝統文化である文楽すら採算で判断し切り捨てようとしているのは狂っていると指弾すべきだ)。東京や京都、あるいは金沢などは民度が高いので、こんな首長の発言自体が問題になり、言われっぱなしにはならないと思うのだが、恐ろしいことだ。

実際のところ、こちらに責任の一旦はあって、本当に申し訳ないが、同じ曲で、ベルリンフィルと大阪フィルの録音が並んでいて、値段が同じなら、ベルリンフィルの方を手に取ってしまう。しかも現実には、ほとんどの場合ベルリンフィルの方が安いのだから、尚更だ。
また、環境の問題もある。大阪で日本のオケの生演奏を聴きに行くにも、大抵平日の夜で、仕事帰りにはちょっと開演が早すぎる。交通の便もよろしくない。残業が全くない業種や会社でないと無理だろう。せめて、ネットやCATVの配信などで、日本のオケの音源をもっと気軽に聴ければ(そしてその視聴料がオケに還元されれば)よいのだが。
パトロンと言うシステムを、「メセナ」というムーヴメントにして流行らせ、消費し、衰退させてしまったことも、今となっては悔やまれる。

脱線してしまったが、演奏は非常に良かった。しばしば、意識的にアクセントをつけているところ、例えば、ターラララーと行くところをタア、ラララーと一瞬切って溜めて、おやっと思わされる場面があるぐらいで、自然に流してくれたほうが好みだが、悪くは無い。走りすぎることも無く、枯れ切ってもいない。丁寧だが、CD1枚に収まっているように、鈍重ではない。確かに御大ハイティンク、老いてなお盛んだ。

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