小林信彦「ちはやふる奥の細道」に見るパロディとその寿命。

久々にW.C.フラナガン著、小林信彦訳の「ちはやふる奥の細道」を取り出して読んだ。



ギャグ満載のパロディ小説ゆえ、こういう場に内容を引用するのは避けるべきだが、ギャグの一例を挙げよう。

(前略)七、八歳の孤児らしい男の子が、河原の石を積みあげながら、次のような歌をうたっていた。
   Well it's one for the money, two for the show, ......
    (ひとつ積んでは父のため ふたつ積んでは母のため)
 芭蕉の心の中を寒風が吹き抜けた。(後略)

電車の中で、これだけで吹き出してしまった。何度も読んだ本であるにも拘らず、だ。英語の歌詞と、カッコ内の訳文とを見比べると、出鱈目さと、元ネタの組み合わせの妙に何度もニヤニヤ出来る。
敢えて野暮な説明をすると、「Well it's one for the money, two for the show,」は、エルヴィス・プレスリーのカヴァーで高名なロックンロールの古典、「ブルー・スエード・シューズ」の出だしの歌詞だ。「ひとつ積んでは~」は、「賽の河原地蔵和讃」と言う、仏教の説話を歌にしたもののひとつの歌詞で、落語に取り入れられたりもしている広く知られたものであったから、昔はTVなどでも耳にする機会があったように思う。全体はかなり長い歌だが、この部分だけ取り出され、妙な節をつけて歌われていた。

この本は日本文化に中途半端に詳しいアメリカ人がいい加減な調査ととんでもない解釈と出鱈目な想像力で記した珍妙な本を邦訳したと言う設定で書かれたパロディだから、こうしたギャグが全編に散りばめられている。だからこそ、元ネタが理解できないことには全く笑えないことになる。「 ブルー・スエード・シューズ 」の歌詞を知っているか、地蔵和讃を耳にしたことがあるか。これは、少なくとも現在の30代以下の人たちにはハードルが高いのではあるまいか。
エルヴィスと言わずとも、例えば、「リンリン・ランラン」を知っている人はどのくらいいるだろう。職場の若い者、と言っても30代半ばだが、そろそろ子供が生まれると言う。それも、女の双子だと言うので、私は、双子の女性アイドル歌手、リンリン・ランランを思い浮かべた。ザ・ピーナッツは私にはすでに古かったし、同時代にはリリーズもいたが、リンリン・ランランの方が私には印象深かった。彼女たちの代表曲である「恋のインディアン人形」の、「私はおませな インディアン人形」という歌詞が、ちゃんとメロディ付で想起された(とはいえ、続きをしばらく脳内再生しているうちに、どうしてもピンクレディーの「ペッパー警部」に変化してしまう。何故だろう)。しかし、マナカナなら通じるのだろうが、リンリン・ランランと言っても通じない。寧ろ、日本国内限定で活動していたリンリン・ランランよりも、世界を席巻したエルヴィスの方が、ネタとしての寿命は長いかもしれない。

残念ながらこの本、ハードカヴァーも文庫も絶版になってしまっているようで、出てすぐに買って貪り読んだ身には些か悲しいが、パロディと言う形式そのものが時代を超えた普遍性を獲得できない宿命を負っていると考えると、仕方の無いことなのだろうか。

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