ジム・フジーリ著、「ペット・サウンズ」。

30年近く前の学生時代、卒業論文のネタ探しと、ジョン・レノンが住みそして亡くなったアパートメントを見に、ニュー・ヨークに行った。2週間ほどの旅だったが、とても面白い街で2週間では全く足りなかった。
ほぼ毎日、何処かの美術館に出かけて、合間に42丁目の映画館で何故か香港のカンフー映画を観たり、「ロッキー4」を観に入って最後にロッキーがソヴィエトのボクサーを倒すと同時に映画館でありながら観客が総立ちで大喜びする様に驚愕したり、生牡蠣の美味さに純粋に感動したり、パンケーキとベーコンやソーセージとメイプルシロップとの相性の良さに目を瞠ったりしていたが、そんな毎日、何故かしょっちゅう、頭の中にビーチ・ボーイズの「スループ・ジョン・B」が流れていた。

I feel so broke up, I Wanna go home.

というくだりが、何度も何度も頭の中に浮かんでくる。ダコタ・アパートメントを見に行って、守衛に、彼は何処で亡くなったのかと聞き、そこだよと自分の足元を指されて驚いたりしていたくせに、ジョン・レノンやビートルズの曲を思い浮かべることはあまり無かった。
そこはカリフォルニアとは反対側であった上、自分はビーチ・ボーイズのアルバムなど持っておらず、60年代のロック史を理解しておくためにレンタルしたベスト・アルバムをカセットテープにダビングして聴いていた程度だったにも拘らず、しかも彼らの曲では「スループ・ジョン・B」よりは「ダーリン」辺りの方が好きだったにも拘らず、そして何より、あまりに面白い街で「日本に帰りたくない」と感じていたにも拘らず、彼らは頭の中で「I feel so broke up, I Wanna go home.」と歌い続けるのだった。今にして思えば、帰りたくない自分への、それでも帰らなきゃと言う、無意識の説得だったのかもしれない。



「スループ・ジョン・B」は、ロック史上で最も価値のある作品のひとつと評されるアルバム「ペット・サウンズ」に収録されている。このアルバムと、ビーチ・ボーイズの中心にいたブライアン・ウィルソンについて書かれた、ジム・フジーリ著、村上春樹訳の「ペット・サウンズ」は以前から気になっていたが、アルバム「ペット・サウンズ」をまともに聴いていない身としては手を出すのが躊躇われた。しかし先日、外出先で丁度読むものが無い状態で書店を見つけてしまい、そこからしばらく電車に乗る必要があったので、未聴のレコードについて語られた本ではあるけれど、買って読んだ。

ブライアン・ウィルソンは長らく精神的にやばい状態で、バンドは分裂してすでに久しく、と言った状況については知っていたが、この本に書かれていることの大半は、熱心なファンではない身には驚くべきものだった。しかも著者の行間からにじみ出る愛情がやがて迸り、こちらにまで伝染してくる。アルバム未聴でも味わい深い本で、聴いてまた読めば、もっと得られるものがあるだろう。アルバム中の最高傑作でもなんでもないのだろうが、彼らのオリジナルでさえないのだが、自分にとっては最も身近な「スループ・ジョン・B」が、約30年ぶりに頭の中で鳴り始める。

読み終えて、芥川龍之介の「朱儒の言葉」の一説を思い出した。

天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。
同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。
後代は又この千里の一歩であることに盲目である。
同時代はその為に天才を殺した。
後代は又その為に天才の前に香を焚いている。

ブライアンと彼の父親、あるいは他のメンバー、レコード会社、多数のリスナーとの間には、この、「一歩」が横たわっていたのだろう。それが彼を追い詰めた。しかしこの本を読むと、少なくとも「この一歩の千里であること」は理解できる。きっと多くの人が、理解するだろう。悲しい本ではあるが、同時に少し、ほっとする。

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