「慈悲深い死」と「墓場への切符」。

相変わらずローレンス・ブロックのマット・スカダーものを読み続けている。
6作目の「聖なる酒場の挽歌」で、シリーズはいったん終わっても良さそうな様相を見せたが、ブロックは「慈悲深い死」でスカダーを甦らせた。そして7作目の「墓場への切符」、タイトルはいかにも荒っぽいステレオタイプのタフガイものを想起させるが、実に緊張感の高い傑作。この一連の展開で、シリーズはさらに高みへと昇って行ったと言えるだろう。



「八百万の死にざま」でアル中である己を受け入れさせ、「聖なる酒場の挽歌」では酒を断ったスカダーに過去を振り返らせた。そこまでのシリーズは、スカダーの克己の物語だった。
それでシリーズは終わったかと思いきや、「慈悲深い死」で酒への欲求と戦い続けるスカダー像の創造に挑み、成功した。
続けて読んでいると、どうもこの「慈悲深い死」は、次の展開への、つまり「墓場への切符」(および続く2作品を含めた"倒錯三部作")で、より高く飛ぶための、助走のように思える。

このシリーズでは初期から、倒錯的というか、異常性を孕んだ犯罪が描かれてきた。しかし、「聖なる酒場の挽歌」、そして「慈悲深い死」では、犯罪の動機は金で、手口や結果として目に見える殺人現場に奇異な要素はあるにしても、他の作品に比べればおとなしいものだったと思う。特に「慈悲深い死」では、犯人像や動機はストレートで、そこを書き込む労力を他で使い果たしているような、あるいは何か、手探りをしているような気配を感じる。これからどう描いていこうか。スカダー像をどのように固定させるか。スカダーをどのように苦しませるか。
しかし、「慈悲深い死」が成功したことで、確信が生まれたに違いない。「墓場への切符」では、常識の埒外からこれまでに無く異常なキャラクターを連れて来て、前作で生まれ変わった新たなスカダーにぶつけた。そこには最早迷いのようなものは微塵も感じられず、強烈な推進力でストーリーは引っ張られ、読者である私まで引きずられて行く。
大作家に向かって一読者がこんなことを言うと失礼かもしれないが、この作品でシリーズは"化けた"のだと思う。酒を飲まないアル中探偵と現代社会に潜む異常犯罪との関わり、という、ひとつの様式が生まれた。そうすることで物語は、スカダーの問題から、この世界の問題へと視界を拡大した。キャラクター像が安定したことで、スカダー自身ではなく、スカダーの視点を通してその目に映る世界を存分に描けるようになった。そういうことなのではないか。
もともと快楽殺人や動機のない殺人、倒錯したセクシュアリズムは顔を出していたが、リアリティを確保するための味付け程度だったと思う。ここからはそれだけではない。それらが日常になりつつある現代の都会への恐怖、悲嘆、諦めといったものを、読者はスカダーと共有するのだ。

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