さらば愛しき馬よ。

サッカーボーイが亡くなった。
オグリキャップと同世代で、3歳(当時の数え方では4歳)までの戦績しか残っていないため、伝説にはなれなかったが、鮮烈な印象を残した名馬だった。
ダービーでの一番人気は危険な人気馬と見て買いもしなかったがやはり惨敗。しかし立て直した中日スポーツ賞で皐月賞馬ヤエノムテキを軽くあしらい、函館記念では当時の芝2000mの日本レコードを打ち立てるなど、はまった時の強さ、直線の伸びは圧倒的だった。
最後の勝利となったマイルチャンピオンシップでも、古馬を手玉にとっての完勝。直線で切れまくるその脚色に声援を送り続けていたら、呼吸が苦しくなって死ぬかと思ったのも、よい思い出だ。有馬記念繰り上がり3着を経て、翌年は脚部不安で姿を見せなくなり、秋にようやく復帰すると言うニュースに心を躍らせていたが、結局古馬になってからは一度もレースに出ぬまま引退した。気性に難があり、故障に付き纏われていたが、万全の調子で気分よく走ったら、2000mまでならどんな馬にも負けなかっただろう。もちろん、そんなたらればで語らねばならないこと自体が彼の弱点であり、しかし、そのはかなさと自ら命を削るような直線の切れ故に、彼は神々しいほど美しかったのだ。
(なので、彼の子に菊花賞馬が現れ、甥の子にダービー馬が現れたりするのはうれしくもあるが、じゃじゃ馬だった彼とは異なる勤勉実直なのが出てきたようで違和感もある)

この世代にはもう一頭、コウエイスパートと言う、地味だったが菊花賞で買おうと思っていた贔屓の馬がいた。ダートの中距離ばかり走っていたが、アンバーシャダイの子で、芝の中長距離に出てきたら活躍できそうだぞ、と睨んで京都4歳特別で買ったら、しっかりオグリキャップの2着に入って馬券を取らせてくれた。次のダービーは流石に厳しいと思ったら8着。続く中日スポーツ賞では期待して馬券を買ったら4着。しかし神戸新聞杯、京都新聞杯で連続2着に入り、菊花賞に向けて希望の灯を点してくれたが、故障で菊花賞には出られず、亡くなった。後に弟のコウエイダッシュが出てきてからは、いつも応援馬券を買っていたことも、ふと思い出した。

あの頃のように、全身全霊で陶酔し叫びながら競馬を見るには、少し年をとりすぎたが、馬たちは変わらず命を削るように走り、感動を与えてくれる。
サッカーボーイに、全ての素晴らしい馬たちに。あらためて、ありがとう。

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