小林旭の無国籍映画に関するメモ(12)。

ここまで、「渡り鳥」シリーズ全8作、「流れ者」シリーズ全5作をあらためて視聴しながら整理した。プログラムピクチャであるから、それなりのつくりであることは仕方ないが、それにしてももう少し設定面など統一すべきではないか、プロットを詰めておくべきではないかと思える粗は多々ある。しかし、そんなことが気にならないほど、主役級3人の魅力と観光とアクションと(白木マリに代表される?)ちょっとしたお色気と、歌と実らぬ恋のはかなさと、1950年代末から60年代初の日本人にとってはあまりにふんだんに魅力が詰まった作品群だったのだろう。

参考資料として、以下を本棚から引っ張り出して読み返した。どれも絶版のようだ。



「日本の喜劇人」に関しては、他の笑芸人や喜劇に関する著作をまとめたものが1万円近い金額で今も買えるようだが、日活映画に関する部分は「第6章 醒めた道化師の世界」のみであるので、そのために買うのはいかがなものかと思う。
また、学生時代(なんと28年も前だ!)に図書館で借りて読んだきりだが、渡辺武信「日活アクションの華麗な世界」は持っておかねばなるまい。



そもそも私は1964年生まれで、リアルタイムで日活アクションの全盛期を観てなどいない。
それなのに、少年時代から常に頭の片隅に小林旭がいた。東映に移って「仁義なき戦い」に出ていた旭を観ていた訳でもない。
小林旭は「団欒」のシンボルだったのだ。父親がろくでなしで母親はかん性で、7歳になった頃に一度家庭が崩壊した。それ以前の、記憶に残る唯一の団欒の場面で、テレビに映っていたのが小林旭だった。1970年あたりだろうか。映画だったのか、テレビドラマだったのかもわからないが、旭は海でボートに乗っていた。それが何だったのか、長じてからも時折思い出し、おそらく「渡り鳥」とかなんとかいう映画だったのではないかと思うにいたり、少しずつ、掘り下げてきた。「団欒」と「渡り鳥」、「流れ者」。真逆にあるものが偶々私の中でだけ結びついたに過ぎなかった。しかし、そんな感傷や追憶がすっかり薄れてしまった今、これらの作品群は日本が元気だった時代の、粗製ではあるがエネルギーに満ち溢れたエンターテインメント作品としてかつて以上に輝いて見えるのは何故だろう。

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