久々にチャペックを読む。

カレル・チャペックの「絶対製造工場」を取り寄せた。



昔は「絶対子工場」という邦題がついていたように思うが、読んだことがなかったのでニュアンスがわからず、よって邦題が変わった理由も判らないがまあ気にせずにおこう。
「RUR(ロボット)」に続いて書かれた処女長編小説だそうで、あれ?と一瞬思ったが、「RUR(ロボット)」は形式としては戯曲だったので、長編小説としてはこれが最初の作品なのだろう。
「RUR(ロボット)」も「山椒魚戦争」も結局人類が破滅に向かう話で、「クラカチット」では破滅までは描かれていないけれど、人類は極端な緊張下におかれたまま、視線は主人公にあたり、世界がどうなったか、どうなっていくか、描かれぬまま終わる。しかもどれもこれも人類の選択や行動によるものであって、自業自得である。
この作品でも同様に人類はとんでもなく厄介なことになってしまう。物質から完全にエネルギーを取り出せる炉のようなものが発明され、それは同時に物質に宿る「絶対」を顕現させてしまう。あちこちの炉から生じた絶対は奇跡を起こし、地域や民族ごとに己が絶対を奉じてやがて諍いが起こる。その過程は年代記作者の視点から場面を変えたりしつつ淡々と記されていく。人によってはこのあたりの掘り下げ、書き込みに物足りなさを感じるかもしれない。しかし、それは後の「山椒魚戦争」にも通じるもので、きっかけがあって否応なしに進んでいく状況と言うものを必要以上に描写しないのがチャペックの流儀と言ってよいのではないかと思う。それはまた全編に妙な乾いた感覚とユーモアを漂わせてもくれる。

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