夏の闇、輝ける闇。

標題は開高健、いや、開高先生の小説の題名二つ。
高校三年のある日、開高先生が、田舎町に講演に来られると知った。出版社主催で、同じく大作家であられた阿川弘之さんと、二人で、と言っても対談形式ではなく各々、夫々のテーマで話されると言うものだった。
葉書で出版社に申し込み、無事に入場券を手に入れ、いよいよ当日、会場となっていた市立の施設へ。

入場し、古本市で買った「夏の闇」のハードカヴァー、初版本を鞄に入れて、建物の中をうろついた。楽屋を探していたのだ。どういうわけか、勘が働きすぐに楽屋は見つかって、すいません、と、覗き込んだが、阿川さんはいたが開高先生はいなかった。乗り物が遅れているとか、そんな話だった。少し待って、先生が到着し、私は古本であることに後ろめたさを感じながら「夏の闇」を差し出し、サインをお願いした。
表紙を開いて、「○○さんへ」と私の姓が記され、続いて「開高健」と、少し扁平だが勢いのある、それでいて丸みも感じられる文字が走った。そして握手をした。数々の怪魚や大魚を釣り上げ鰓や鰭や歯や釣針やらで削られたり荒らされたりして来た手の皮は厚みを持ちながら、その内に優しい柔らかみを湛えていた。
だがあの時私は、まだ、「夏の闇」を、ほんの数行しか読み進めていなかった。そしてその後も、何度も本棚から出し箱から出しながら、いつも、数行で止まり、読み進められないのだった。そうして30年近くが経って、ようやく、それも宝物になったハードカヴァーとは別にわざわざ文庫本を買って、この夏、読了した。




「輝ける闇」と、未完に終わった「花終る闇」とで三部作となるはずだったこれらの作品群。最初に入手した「夏の闇」が読み終えられないので、飛び越えて「輝ける闇」を読むわけにも行かず、敬愛する作家の代表作でありながら読めずに来たのだが、まず「輝ける闇」を文庫で買って読み終え、勢いをつけて「夏の闇」に挑んで、読み終えることができた。長かった。
20歳の頃には最高だと思えたマーラーの1番が青臭く思え、では逆に今愛する9番を当時愛せたかと言えばそれは疑わしい。40台半ばとなってようやく、受けとめられる様になったと言う、ただそれだけのことかもしれないが。

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