アンチェルのマーラー第9番。

ヴァーツラフ・ノイマンの前任者としてチェコフィルを指揮者していたカレル・アンチェル。ユダヤ系故に家族揃ってアウシュビッツに入れられ本人以外は亡くなってしまう。生き延びたアンチェルはやがて民主化されたチェコで常任指揮者になったが、アメリカ演奏旅行中に故国はソ連の軍事介入を受け、帰国を諦めて亡命する。
アンチェルの前任者ラファエル・クーベリックもコミュニストによる政権樹立によりチェコが実質的に旧ソ連の支配下に入ってしまったことで国を去っており、チェコフィルの指揮者は2代続けてソヴィエトによって失われたことになる。ヒトラーとスターリンは敵同士であったがナチもソヴィエトも自由な民を支配し、蹂躙し、圧迫し、搾る点においては同じ穴の狢であったということだろうか。
アンチェルの後任のノイマンは長く常任指揮者をつとめ、外からは体制迎合によって生きながらえている官僚的な音楽家と見做されることもあったようだが、1989年、共産体制崩壊を記念して行われた演奏会で指揮を執ったのはノイマンであり、寧ろ彼は主を次々と失った故国の楽団を辛抱強く支えてきた忍従の人であったのではないかと思われる。

ノイマンのことはさておき、激動の歴史の中、チェコフィルを鍛え上げ、高い評価を得ているアンチェルの9番。演奏時間は78分強だから、必要以上に粘着質ではないだろうし、今のCDなら1枚に収まって少し余裕がある尺だ(それなのに国内盤で1番と一緒に2枚組セットになったものは、CDが74分だった時代のマスターなのだろうか、9番が2枚に分かれているという残念な仕様で手を出さずに来た)。
ショスタコーヴィチの5番のように、大胆なテンポや破綻ぎりぎりまで追い込まれた強奏が醸し出す独特の味と、後のノイマン時代にも感じられる美しい弦のアンサンブルとが期待される。

聴き始める。まずは、温かい、と感じる。ノイマン時代に通ずる、弦の柔らかさ。ホールの響きに由来するものだろうか。しかし、ノイマンとチェコフィルの全集での9番は、もう少し溌剌としている。通じるところはあっても、やはり指揮者の違いが出ている。
金管を含めても、全体に温もりを感じさせる木質の空気感に包まれて第一楽章が過ぎ、第二楽章、第三楽章で、ショスタコーヴィチの5番でも感じたアンチェルらしい強さや激しさ、テンポの変化が現れる。しかしマズアの9番のように(ライヴ故の自然なノリのせいであろうが)速すぎるとは感じない。楽譜に忠実な人であったと評されているアンチェルであるから、ただただ指示通りに速いところは速く、ということが徹底されている、ということなのか。そして、この第三楽章のスピード感が、終楽章で生きてくる。音楽はそこにあるが静かで、光はあるが眩しくはなく、柔らかく空気は震え、満たされていく。
すばらしい。少し温か過ぎるかも知れないけれども。

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