マーラーとショスタコーヴィチ。

マーラー全集の方はクレンペラー指揮の2番を聴き終えた。

相変わらず曲と自分との相性は悪く、どうにも散漫な印象は拭えなかった。ただ、終楽章の神々しさは目を瞠るほどで、感動的だった。

そして、この2番に限らず、このところ毎日マーラーのあれこれ、特に普段あまり聴かない曲もまじめに聴いていて、ところどころで、あれっ?と思う瞬間があり、それは何かと言えば「今のフレーズはなんだったっけ?」という記憶の引っ掛かりであり、ちょっと記憶を手繰ると、シナプスの先にぶら下がっているのはショスタコーヴィチのあの曲のあの部分、だったりするのだ。例えば「あ、今のは10番のあそこにそっくりだ」といった具合に。
軽音楽の領域でも、いいなと思える曲を眺めるとコード進行の骨格が似たものばかりだったりする。クラシックでも同じことがあっておかしくない。そう言えばヤナーチェクのシンフォニエッタの4楽章を聴いていて、「今のコード進行はデル・シャノンの悲しき街角と一緒ではないか!」と気付いてびっくりしたこともある。人それぞれおそらくは育った音楽環境に因るのだろうが自分の琴線に触れる旋律とか音階とか和音とかがあって、私にとってマーラーとショスタコーヴィチの曲はそうした要素を他よりも多く含んでいるのだろう。両者はどこか似ているのだろう、あるいは、タコさんがマーラーを研究して取り入れたものが色々あるのだろう、きっと。

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