収集癖というやつは、きっと果ての無い無いものねだりなのだろう。

ショスタコーヴィチの5番、おそらく、クラシック音楽すべての中で、最も好きな曲といえるのだが、もうこれでいいやという録音が手元に無い。
今はインバル指揮フランクフルト放送響のものを携帯プレーヤに入れている。スコアを解きほぐすような分析的な演奏といわれる通り、確かにそれぞれの楽器の音が聴き取り易く、曲の構造が分かり易い。アナログレコードのPCM録音時代から続くと思われる、DENONらしい冷静なというか温度が低い感じの録音も、分析的という印象に繋がっていると思う。
その反動か、ドカーンという爆発力、燃え上がるということが無い。また、第一楽章後半のとろける様な弦の響きも、冷徹かつ克明に寄ってしまっている。と書くと悪いところばかりのようだがそう言う訳では無く、非常に完成度の高い演奏だと思っている。ただ、最近の自分の気分としてもうちょっと熱っぽい演奏を体が求めているのだろう。
一番スタンダードと思われるのはハイティンクの全集のもので、第四楽章のテンポ設定、感情移入の度合い、バランスが良いが、バランスが良すぎるとも感じられる。ムーティ指揮フィラデルフィア管になると、さらに物思いの度合いが減って美しい古典的交響曲になるも、同時にアクが弱くなる。本家本元というべきムラヴィンスキーは、テンポが馴染まない。
と考えて、結局は、ムラヴィンスキーほど冷徹でなく、粘着的な情念を微かに漂わせつつ、旧ソヴィエトらしい爆発力もそれなりに兼ね備えた、コンドラシン指揮モスクワフィルの録音に長く慣れ親しんでしまっているだけのことなのだと気づく。そして、もしもあの演奏がもっと録音がよければ、それで答えが出ているのだ。

興味や愛情が雑多に散らばっている分、巷間のマニアというレベルにはまだまだ達していないので、大したことにはなっていないのだが、なんとなく悩ましい。

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