正月からの通勤の友。

今年はごく普通に正月5日が仕事始めで、たいして休んだ気もしないまま日常に戻った。
電車の中では相変わらず文庫本が無いと手持ち無沙汰でいけない。



まず小林信彦の「うらなり」。「坊っちゃん」の世界とその後を、登場人物の一人であった「うらなり」の視点で描いた作品。これを読むために、昨年末「坊っちゃん」を30数年ぶりに読み返したのだが、あっけらかんとした馬鹿話だと思っていたのが、どうにもやりきれない哀話であったかと気づいて驚いた。生きるのが下手な主人公、ヤマアラシ、うらなりの3人、そのうちヤマアラシはまだましだが、そのましなヤマアラシがいよいよ我慢しきれず主人公を触媒に暴発して作品世界の日常は崩壊、主人公は敗残者として逃げ帰るという、どうにも救いようのない物語だったのだ。
それをうらなりサイドから描き、その後まで。あわせて読むとなかなかに面白い。特に、ただ一方的に憐れみを受けていたうらなりが、一個の人格として生命を得て動いている感覚は新鮮だった。



「バトルロワイヤル」という作品はあらましは知っているものの本も映画も見ていないが、それの老人版というのが、この「銀齢の果て」についての一番手っ取り早い説明になるようだ。
中学生時代が筒井康隆にもっとも耽溺していた時期であって、当時最高傑作だと思っていたのが「俗物図鑑」。この文庫版「銀齢の果て」を読み始めると程なく、様々なキャラクターが山藤章二の絵で出てくるあたりに「俗物図鑑」を髣髴とさせるものがあり、おかげで久々の筒井世界にすっと馴染んでいくことが出来た。
相変わらずのハチャメチャというか破滅的なスラップスティック・コメディであり、御年70代になってこれをぶつけてくるパワーには恐れ入るが、おかしなものや汚いものを鋭く突き刺す刃の奥に、昔の作品とはちょっと違う温かい眼差しが垣間見えるようになった気がする(それはこちらが年をとったことによるのかもしれないが)。

考えてみるに中学時代に筒井ファン、2年のとき友人に薦められた「唐獅子株式会社」から小林信彦ファンにもなり、大学に入ってからは阿佐田哲也/色川武大が加わって、日本のエンターテイメント系の文学作品においてはこのお三方の作品を随分と読んできたのだが、筒井、小林のお二人が今も現役で読み応えのある作品を生み出されていると言うのは驚きであり嬉しくもある。
しかし、郷里の家にあった「脱走と追跡のサンバ」「東海道戦争」はじめ文庫とはいえ数十冊あった筒井作品群は、やはり亡母が捨ててしまっているのだった。無念。

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