ブルックナー、ベートーヴェン、マーラー、全集づくし。

パーテルノストロのブルックナー全集は聴き終えた。通勤の往復時、順番に聴き進めたが、やはり初期の方が自分には面白いと感じ、デジタルオーディオプレーヤ中には、1、2、3番を残すことにした。

並行して、家のリビングではワルター指揮コロンビア響のベートーヴェン全集を、これも順番に聴いていた。ベートーヴェンの面白さが分からないのはなぜか、確認してみたかったのだが、9番以外はやっぱりあまり面白くなかった。その9番も、終楽章で歌が始まるとどうでもよくなる。そこまでの抑圧的な緊張感から開放されるわけで、本来ならそれで歓喜が高まるのだろうが、もうちょっと最後に近いところまで重さ苦しさを引きずってくれた方が好みに合う。これはきっと、ショスタコーヴィチに毒されすぎたせいだろう。そして、打楽器や金管の叫びもない、古典派から脱しきっていない交響曲では、身体が満足しなくなっているのだろう。
しかし、ベートーヴェンに関しては、アナログ時代は東側の伝統的な演奏をしていたと思われるスイトナー、CDになってからはこの59年頃のワルターの録音しか聴いていないので、現代の解釈、校訂による演奏も聴いて見れば、印象が変わるのかもしれないと、またまたディスクを買う理由をでっち上げてしまう自分がいる。

ワルター/コロンビア響/ベートーヴェン交響曲全集

そしてノイマン&チェコフィルのマーラーにとりかかっている。

ノイマン/チェコフィル/マーラー交響曲全集

1番(1979)
冒頭から比較的高いテンションで展開される。随所で金管が目立ち、ノイマン晩年のマーラー(聴いているのは5番、9番だけだが)を基準にするとかなりやんちゃな演奏に聴こえる。第3楽章はもう少しくだけてユーモラスにやってもよいかなと思うが、そこまでいかないところがこのコンビらしさでもあるだろう。
終楽章のクライマックスはいよいよテンション高く、賑々しく、いかにも交響曲を堪能したという気にさせる。

10番(1976)
滅多に聴かないのだが、こうした機会に改めて聴くと、9番とのつながりを感じさせる優美な曲であり、完成されなかったことが惜しまれる。このような緩楽章では、ノイマン&チェコフィルらしい節度ある柔らかな弦の魅力が、最大限に発揮される。

6番(1979)
いかにも悲劇的な、些かくどい旋律が、生真面目に厳粛に緊張感を保って刻まれていく中で、背後に忍び寄るような不安が高まる。故に、不意に訪れるアルマのテーマの優美さが際立ち、この転換の妙には目を見張るものがある。第3楽章終盤もこの上なく美しい。第4楽章ではハンマーの響きに金属的なものが混じっていてユニーク。また、全体に緩急強弱のメリハリが良く効いていてだれない。
この全集は、国内盤より音質は劣るというレビューを読んだ記憶があるのだが、カウベル他の装飾的な打楽器(?)群の音まできちんと捉えられており、むしろ音は良い方なのでは、と感じた。

7番(1977~78)
ホルンのティルシャル、トランペットのケイマルという、彼らがいなければマーラー演奏はできないとノイマンに言わしめた首席奏者たちが、入れ替わり吹きまくる冒頭、パワフルだが必死さがなく余裕を感じる。以後、金管、高音弦は折にふれて高いテンションで鋭く切れ込んでくるので、いわゆる「チェコフィルらしい」柔らかい演奏を予測していると身を切り刻まれる。
とはいえ、一方で特に第4楽章のような緩楽章での柔らかいアンサンブルはまろやかで心地よい。6番同様、メリハリの効いた演奏だ。

4番(1980)
終楽章、マグダレーナ・ハヨーショヴァーの独唱が可憐で美しい。それはさておきこの4番は、短いわりに散漫な印象がある曲で、あまり好んで聴き込むことができないのだが、この録音でもそうした印象は払拭できなかった。

ここまでのところ、全般に緩急の対比が鮮明で、予想以上に力感、張りのある演奏。特に金管はパワフルで切れがある。晩年の録音は5番、9番しか持っていないのでまだ直接比較はできていないが、オケが若々しい音を出している気がする。
ただ、どの曲も第1楽章の立ち上がりが少し遅めというか、丁寧というか、それから徐々にテンションを上げていく感じであるところは、ゲヴァントハウス時代から晩年まで変わらないノイマンの特徴ではないかと感じた。

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