ノイマンとチェコフィルのタコ9。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番は、第二次大戦の終結、それも、当時のソヴィエトにとっては「勝利」を讃える曲として期待されていたわけだが、実際にタコさんが送り出したのは、短い楽章ばかり五つも並べた、軽妙で明暗の転換めまぐるしく、小粒だけれどもとても面白い作品だった。
この前の7番8番が大規模で重々しい作品だっただけに、また、ベートーヴェンやマーラーの9番がそうなったように「9番」というだけで「代表作」「大傑作」的なイメージもあって、実際の作品と国家的な期待感との落差はあまりにも大きかったそうだ。
しかし当時のソ連人ではない私にとって9番はとても楽しい愛すべき作品だ。第一楽章の、管、弦が入れ替わり立ち代り主題を奏でるあたりや、第四楽章で唐突に伊福部風のファンファーレが響いてくるところや、全編飽きさせない面白さにあふれている。
故にこの曲においては特に、ソヴィエト~ロシアのオケの豪快さよりも、器楽合奏のまとまり、美しさを重視し、普段はハイティンクの全集や、ヨエル・レヴィ指揮アトランタ交響楽団の演奏を聴いているのだが、他に何かあるかなと探していて、国内の老舗ショスタコーヴィチ関連サイトさんでノイマン指揮チェコフィルのディスクが薦められているのを発見した。
「ノイマン 20世紀の名曲を振る」と題し、タコ9のほかにタコ7、ブリテンの鎮魂交響曲、シェーンベルクの浄夜も収録した2枚組みだ。

ノイマン 20世紀の名曲を振る
指揮:ヴァーツラフ・ノイマン
オケ:チェコフィルハーモニー
品番:コロムビア COCQ-84043

ノイマン/20世紀の名曲を振る

チェコフィルでは、前任者のアンチェルは1番5番7番の録音を残しているが、ノイマン時代で手に入るのは7番と9番だけだ(他にもあるのかもしれないが)。ノイマンとチェコフィルにとって、ショスタコーヴィチの音楽がどういう意味を持っていたのかはわからない。ただ、ソヴィエトに対しては、同盟の盟主ではあるものの民族、国家の自立を抑圧する存在と感じていたのではないかと想像する。先々代の主席指揮者であったクーベリックは、国の共産化を受けて亡命、先代のアンチェルは国の改革運動にワルシャワ条約機構が軍事介入したこと(プラハの春事件)を受けて亡命した。どちらも、ソ連が引き起こした。そのソ連で(上辺だけとはいえ)体制に迎合する音楽を作っていた(作っているふりをしていた?)ショスタコーヴィチに対しても、否定的な見方をしていたかもしれない。

あるいは、政治に翻弄されるもの同士の連帯感を感じていただろうか、それとも、芸術家としてそのような政治的な視点を捨てて純粋にスコアに向かっていたのだろうか?

答えはわからない。ただただ、柔らかな管、けしてささくれ立つことのない弦、少しウェットな打楽器、ホールの甘美な残響。それらがこのコンビらしい美しい音楽として提示されるばかりだ。

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