マーラーとCD。

昨今マーラーの人気が高い理由のひとつに、音源がアナログレコードからCDへと変遷したことが挙げられていて、自分の昔を振り返ると、まさしく、その通りだと思える。
学生のころ持っていたマーラーは、ワルター指揮コロンビア響の1、2、9番、大地の歌あたりだったと思うのだが、いつしか1番しか聴かなくなっていた。アナログ盤は1枚の片面にせいぜい30分程しか収まらないので、長い曲の場合、ひっくり返したり入れ替えたりしなければならなかった。それが面倒で、1回ひっくり返すだけで済む1番はまだしも、他を聴かなくなってしまったのだろう。
それが、CDなら1枚に収まっていて、しかも、演奏が終わったら勝手に止まってくれたり、ずいぶんと色々な手間が省かれているのである。
値段が安くなったこととあわせ、音楽を聴くにあたっての儀式的な重々しさや、聴く態度の真剣さは薄れてしまったかもしれないが、こういう便利さは素直に甘受したい。

アメリカ出張以来体調が優れないので、今日は休みをもらって静養しつつ、クーベリックの全集から7番、2番、4番を続けて聞いている。マーラーにはCDになっても2枚に渡る曲、演奏が多いが、この全集では、3番が2枚に渡っているだけで、あとは皆1枚に納まっている(もっとも、アナログ時代の録音なのだから、CD1枚に収めようと言う意図はあるはずも無い)。クーベリックにはこの他にも評判の高いライブ音源などあって、それも結構速めなので、この人はこういう指揮をするのだろう。
だからといって、コクが無かったり、陰影に乏しいわけではなく、重苦しいところは重苦しく響いてくるわけで、こういうのが、妙にタメを作ったり必要以上に深刻になったりしない、素直な解釈というものではないだろうか、と、思う。

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